デビアス

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デビアス
De Beers
略称 デビアス
本社所在地 南アフリカ共和国
ハウテン州ヨハネスブルグ市都市圏
設立 1888年
事業内容 ダイヤモンド・マーケティングおよび促進。地域開発。
代表者 代表取締役会長 - ニッキー・オッペンハイマー
常務取締役 - ガリス・ペリー
売上高 65億 USドル(2005年)
従業員数 約20,000人
主要株主 オッペンハイマー家
関係する人物 セシル・ローズ(創業者)
外部リンク http://www.debeers.com/ja/
  

デビアスグループ英語: De Beers Group)は、南アフリカ共和国ハウテン州ヨハネスブルグ市都市圏に本社を置くダイヤモンドの採鉱・流通加工卸売り会社。資源メジャーのひとつ。

目次

[編集] 歴史

デビアスは1888年3月13日、チャールズ・ダネル・ラッドとセシル・ジョン・ローズ が設立した。

会社の名前は、ヨハネス・ニコラス・デ=ビアとディーデリック・アーノルダス・デ=ビアの、二人のアフリカーナー人農民の農場名に由来している。オレンジ川バール川が合流する、ヴールイトツィヒトと呼ばれる地点の付近でダイヤモンドが発見された。しかし兄弟は続いて起こるダイヤモンドのラッシュに農場を維持することができずに、6300フランで農地を売ることになった。兄弟は鉱山の所有者にはなれなかったが、これらの鉱山のうちの1つは二人に由来して命名されている。セシル・ローズおよびチャールズ・ラッドは、デビアス鉱山とキンバリー鉱山の2つの権利を握りこれらを合併した。成形加工デビアスは鉱山会社を統合することとなった。

1902年には、デビアス・サッカークラブが、デビアスが南アフリカケープタウン岸と西ケープ州の近くにダイナマイト工場を建設した際に設立された。その工場はローレンス川河口の真西、フォールス湾海岸に置かれた。

20世紀には、オッペンハイマー家が大口株主になった。アーネスト・オッペンハイマー卿、彼の息子ハリー・オッペンハイマーおよび彼の孫ニッキー・オッペンハイマーがそれぞれ会長に就いている。(アレックス・オッペンハイマーおよびテーラー・プラント、両方の相続人および親類も参照)

19世紀後半に南アフリカは“鉱物革命”と呼ばれる迅速な産業化を経験し、金やダイア鉱山での労働者の需要が高まった。キンバリーでは、労働力の大部分はコイコイ人コサ人の季節労働者によって担われた。彼らは夏に賃金のためにダイア鉱山で働く若者である。 しかし彼らは不安定な労働力であること、かつ会社が労働者のダイヤモンドの横領を常に警戒していたこともあり、デビアスは労働者の囲い込みを行った。契約期間中、坑夫は現地に滞在しなけれればならない契約をデビアスと結ばされた。白人労働者は街に住むことを認められていたが、黒人労働者は私製通貨が支給され、宿泊・食事・会社提供の安いモロコシビール等と交換しそれで生活することが要求された。黒人労働者は週末には街への外出が許可されていたが、1887年には月曜の朝に二日酔いで出てくる労働者を避けるため廃止された。

アパルトヘイト時代には、会社には囚人を労働力に使う許可が与えられ、19世紀末までデビアスは10,000人以上の刑務所労働者を毎日使用していた(これには議論がある)。大多数の囚人は、1952年に制定された厳密なアパルトヘイト法のために投獄されたと言われている。

現在、デビアスはロサンゼルスビバリーヒルズ区に小売拠点を置いている。これはデビアスの米国で第二の小売拠点である。第一のはニューヨークに位置している。

[編集] マーケティング

ロサンゼルスの直営店

デビアスは『ダイヤモンドは永遠と愛の象徴』として、婚約・結婚指輪の理想であると宣伝した。この非常に成功したキャンペーン活動は以下が有名である。

  • ロマンス映画中で結婚祝いとしてダイヤモンドを使う
  • 有名人を使い、雑誌や新聞中にダイヤモンドのロマンチックな面を想起させるストーリーを掲載する
  • ファッションデザイナーや流行仕掛け人を雇い、ラジオやテレビで流行を広める
  • ダイヤモンドを広めるために英国王室に献上する

このデビアスのPR機関N.W.アイレ親子商会によって立案されたキャンペーンは、人々にブランド名を植え付けることなく、ただダイヤモンドの理想的な永遠の価値を表現するという点で、後年長く模倣される新しい広告形式(イメージ広告)であった。日本でも黒バックに「ダイヤモンドは永遠の輝き De Beers」とだけ銀文字で大書されたCMが知られる。

このキャンペーンは成功し、アメリカのダイヤモンド市場を復活させ、それによって高価な贅沢という印象が弱まったことによって、以前は存在しなかった販路を開拓することに成功した。例えば日本では、ダイヤモンドは西側世界のシンボルのステータスとして第二次大戦後の日本の文化発展としてプロモーションに成功した。今日では日本は世界で第二のダイヤモンド小売市場である。

また、アイレによって作成されたスローガン『A Diamond is Forever(ダイヤモンドは永遠の輝き)』はマーケティングの歴史の中で最も成功したスローガンである。このスローガンの目的は、受け取ったダイヤモンドを転売しないよう女性を説得し、中古品による市場価格の下落を防ぐことにある。この結果、ダイヤモンド市場からは競争が排除され、小売業者は高値でダイヤモンドを売ることが可能になった。またそれは、デビアスが大規模にダイヤモンドの流通を操作することを可能にした。

現在、宝飾品レベルでのダイヤモンドは人工的に合成可能である。しかしこれが普及していないのは、供給サイドの圧力があるからだと言われている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク