デビアス

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デビアス
De Beers
De Beers
略称 デビアス
本社所在地 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
ハウテン州ヨハネスブルグ市都市圏
南緯26度13分53.4秒 東経28度0分18.6秒 / 南緯26.231500度 東経28.005167度 / -26.231500; 28.005167座標: 南緯26度13分53.4秒 東経28度0分18.6秒 / 南緯26.231500度 東経28.005167度 / -26.231500; 28.005167
設立 1888年
業種 その他製品
事業内容 ダイヤモンド・マーケティングおよび促進。地域開発。
代表者 会長 - マーク・カティファニ
CEO - フィリップ・ミラー
売上高 $6.1 Billion (FY 2012)[1]
従業員数 約20,000人
主要株主 アングロ・アメリカン(85%)
関係する人物 セシル・ローズ(創業者)
外部リンク http://www.debeersjp.com/
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デビアスグループ英語: De Beers Group)は、南アフリカ共和国ハウテン州ヨハネスブルグ市都市圏に本社を置くダイヤモンドの採鉱・流通加工卸売会社。資源メジャーのひとつ。現在は多角的鉱山企業・アングロ・アメリカン社の子会社。

歴史[編集]

デビアスは1888年3月13日、アルフレッド・バイトらの援助を受け、セシル・ジョン・ローズ が設立した[2]

会社の名前は、ヨハネス・ニコラス・デ=ビアとディーデリック・アーノルダス・デ=ビアの、二人のアフリカーナー人農民の農場名に由来している。オレンジ川バール川が合流する、ヴールイトツィヒトと呼ばれる地点の付近でダイヤモンドが発見された。しかし兄弟は続いて起こるダイヤモンドのラッシュに農場を維持することができずに、6300フランで農地を売ることになった。兄弟は鉱山の所有者にはなれなかったが、これらの鉱山のうちの1つは二人に由来して命名されている。セシル・ローズは、ライバルであるバーニー・バルナートのキンバリー鉱山も吸収統合することで圧倒的なシェアを実現した[3][4]

1902年には、デビアス・サッカークラブが、デビアスが南アフリカケープタウン岸と西ケープ州の近くにダイナマイト工場を建設した際に設立された。その工場はローレンス川河口の真西、フォールス湾海岸に置かれた。

20世紀には、オッペンハイマー家が支配的株主となり、アーネスト・オッペンハイマー卿、彼の息子ハリー・オッペンハイマーおよび彼の孫ニッキー・オッペンハイマーがそれぞれ会長に就いていた。(アレックス・オッペンハイマーおよびテーラー・プラント、両方の相続人および親類も参照) 2011年11月、オッペンハイマー家は保有するデビアス株40%をアングロ・アメリカンに51億ドルで売却し、1世紀に及ぶ一族支配は終焉を迎えた。[5]

19世紀後半に南アフリカは“鉱物革命”と呼ばれる迅速な産業化を経験し、金やダイア鉱山での労働者の需要が高まった。キンバリーでは、労働力の大部分はコイコイ人コサ人の季節労働者によって担われた。彼らは夏に賃金のためにダイア鉱山で働く若者である。 しかし彼らは不安定な労働力であること、かつ会社が労働者のダイヤモンドの横領を常に警戒していたこともあり、デビアスは労働者の囲い込みを行った。契約期間中、坑夫は現地に滞在しなければならない契約をデビアスと結ばされた。白人労働者は街に住むことを認められていたが、黒人労働者は私製通貨が支給され、宿泊・食事・会社提供の安いモロコシビール等と交換しそれで生活することが要求された。黒人労働者は週末には街への外出が許可されていたが、1887年には月曜の朝に二日酔いで出てくる労働者を避けるため廃止された。

アパルトヘイト時代には、会社には囚人を労働力に使う許可が与えられ、19世紀末までデビアスは10,000人以上の刑務所労働者を毎日使用していた(これには議論がある)。大多数の囚人は、1952年に制定された厳密なアパルトヘイト法のために投獄されたと言われている。

現在、デビアスは米国内の第一の小売拠点をニューヨークに、第二の小売拠点をロサンゼルスビバリーヒルズ区に置いている。

マーケティング[編集]

直営店の一つ。場所はビバリーヒルズロデオドライブ

デビアスは『ダイヤモンドは永遠と愛の象徴』として、婚約・結婚指輪の理想であると宣伝した。この非常に成功したキャンペーン活動は以下が有名である。

  • ロマンス映画中で結婚祝いとしてダイヤモンドを使う
  • 有名人を使い、雑誌や新聞中にダイヤモンドのロマンチックな面を想起させるストーリーを掲載する
  • ファッションデザイナーや流行仕掛け人を雇い、ラジオやテレビで流行を広める
  • ダイヤモンドを広めるために英国王室に献上する

このデビアスのPR機関N.W.アイレ親子商会によって立案されたキャンペーンは、人々にブランド名を植え付けることなく、ただダイヤモンドの理想的な永遠の価値を表現するという点で、後年長く模倣される新しい広告形式(イメージ広告)であった。日本でも黒バックに「ダイヤモンドは永遠の輝き De Beers」とだけ銀文字で大書されたCMが知られる。

このキャンペーンは成功し、アメリカのダイヤモンド市場を復活させ、それによって高価な贅沢という印象が弱まったことによって、以前は存在しなかった販路を開拓することに成功した。例えば、第二次世界大戦前の日本におけるダイアモンドは、一部の上流階級のみが愛好するものであったが、第二次世界大戦後に行ったキャンペーンにおいてダイヤモンドは「欧米風の生活におけるステータスシンボル」として扱われた。その結果、1960年代以降の高度経済成長とともにその販売数が増加し、今日では世界で第2位のダイヤモンド小売市場となった。

また、アイレによって作成されたスローガン『A Diamond is Forever(ダイヤモンドは永遠の輝き)』はマーケティングの歴史の中で最も成功したスローガンである(直訳では「ダイヤモンドは永遠に」。偶然なのか007シリーズにも全く同じタイトルの作品がある)。このスローガンの目的は、受け取ったダイヤモンドを転売しないよう女性を説得し、中古品による市場価格の下落を防ぐことにある[要出典]この結果、ダイヤモンド市場からは競争が排除され、小売業者は高値でダイヤモンドを売ることが可能になった[要出典]またそれは、デビアスが大規模にダイヤモンドの流通を操作することを可能にした。[要出典]

参照[編集]

  1. ^ De Beers Group:Results for the year ended 31 December 2013, February 2013, Retrieved: 15 February 2013.
  2. ^ Epstein, Edward Jay (1982). The rise and fall of diamonds: the shattering of a brilliant illusion. Simon and Schuster.
  3. ^ Martin Meredith (2007). Diamonds Gold and War. New York: Simon & Schuster, Limited. ISBN 0-7432-8614-6. http://books.google.com/books?id=4t6XGAAACAAJ. 
  4. ^ John Hays Hammond (1974). The Autobiography of John Hays Hammond. Ayer Publishing. p. 205. ISBN 0-405-05913-2. http://books.google.com/books?lr=&id=IdrVz9e9CzYC. 
  5. ^ AFP (2011年11月4日). “Oppenheimers leave the diamond race with $5bn sale”. Mail and Guardian. 2011年11月5日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]