フアード・シニオラ
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フアード・シニオラ
فؤاد السنيوره |
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| 任期 2005年7月19日 – 2009年11月9日 |
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| 大統領 | エミール・ラフード ミシェル・スライマーン |
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| 副首相 | Elias El Murr Issam Abu Jamra |
| 前任者 | ナジーブ・ミーカーティー |
| 後任者 | サード・ハリーリー |
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| 任期 2007年11月23日 – 2008年5月25日 |
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| 前任者 | エミール・ラフード |
| 後任者 | ミシェル・スライマーン |
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| 出生 | 1943年4月14日(70歳) |
| 政党 | 未来運動 |
| 配偶者 | Huda Siniora |
| 母校 | ベイルート・アメリカン大学 |
| 信仰 | スンナ派 |
フアード・シニオラ(もしくはセニオラ。アラビア語: فؤاد السنيوره、Fuʼād al-Sinyūra、またはFouad Sanyoura、Fuad Siniora、Fouad Seniora)は、レバノン共和国の政治家。同国首相などを歴任。2005年7月19日、ナジーブ・ミーカーティーから引き継ぐ。日本のメディアでは「シニオラ」のほか「シニョーラ」、稀に「セニョーラ」とも表記される。
元首相・実業家で、2005年2月14日に暗殺されたラフィーク・ハリーリーとは長年親しい関係にあった。
目次 |
略歴 [編集]
- 1943年、サイダのスンナ派ムスリムの家庭に生まれる
- ベイルート・アメリカン大学卒業後、シティ・バンク勤務
- 1970年代、母校で教鞭をとった後、シティ・バンク監査委員
- 1982年、ハリーリーに雇われる
- 1992年-1998年、レバノン共和国財務大臣
- 2000年-2004年、2度目のレバノン共和国財務大臣
- 2005年5月・6月、ハリーリー暗殺後、反シリアの気運に乗って議会選挙勝利
- 2005年6月30日、エミール・ラフード大統領との話し合いで組閣依頼を受ける
- 2005年7月19日、レバノン共和国首相に就任。レバノンからのシリア撤退後最初の政府、またヒズボラを含む初めての政府となる
- ヒズボラについて「政府は、反抗勢力をイスラエルの侵略・脅威に対する、国民の愛国権・国土の開放・名誉の防衛の為の、自然で正直な自由への表現だと見なす」「"The government considers the resistance a natural and honest expression of the Lebanese people’s national rights to liberate their land and defend their honour against Israeli aggression and threats」と述べる
2006年レバノン侵攻 [編集]
2006年のイスラエルによるレバノン侵攻に際しては、「レバノン南部統治の回復、市民軍、軍隊の武装解除が重要である」「シリアはレバノン国内に侵略しており、我々は十分な自衛力を持たない」などとコメントしている[2]。
出典 [編集]
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ナジーブ・ミーカーティー |
第64代:2005 - 2009 |
次代: サアド・ハリーリー |
| 先代: エミール・ラフード |
(代行)2007 - 2008 |
次代: ミシェル・スライマーン |