四人の警察官構想

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四人の警察官構想(よにんのけいさつかんこうそう)とは、1943年にアメリカ合衆国のフランクリン・ルーズベルトカイロ会談テヘラン会談を通して主張した構想である。連合国共同宣言署名の四大国のアメリカ合衆国イギリスソビエト連邦中華民国が世界平和の維持に当たるという戦後の国連と国連憲章の基礎になった。

ヤルタ会談での三巨頭、(中央ソファー左からイギリスのチャーチル・アメリカのルーズベルト・ソ連のスターリン)。米英ソの三国が第二次世界大戦の実質的な戦勝国である。

四人の警察官[編集]

テヘラン会談。左からスターリン、ルーズベルト、チャーチル。

1943年11月のテヘラン会議でルーズベルト大統領が熱心に中華民国を連合国の主要メンバーに引きずりあげることを主張した。戦後への構想は「四人の警察官」となった。中国は人工的に大国の扱いを受けるようになった。今の中国の学者たちもこの歴史の現実は率直に認めている。「中国はいかなる基準でも三大国と対等なパートナーではなかった。実際には三大国によって新たな地位を決められたのだ。当初はイギリスのウィンストン・チャーチルもソ連のヨシフ・スターリンも中国を二流のパワーとみなし、大国の地位を与えることには強く反対した」。ルーズベルト大統領は中国の格上げは対日戦争での中国の士気を高めるだけでなく、戦後のアジアで中国を親米の強力な存在とし、ソ連の覇権や日本の再興を抑えるのに役立つ、と計算していた。しかし、蒋介石のカイロ会談参加には戦術的誤算があった。

第二次世界大戦の終結[編集]

ポツダム会議。(左から)アトリー、トルーマン、スターリン。なおポツダム宣言に署名したのは米英中であった。

アメリカ、イギリス、ソ連、中国は第二次世界大戦終結まで戦いを完遂した。ポツダム会談は米英ソの三巨頭のトルーマンアトリー、スターリンがポツダムで会談したが、署名したのはアメリカ、イギリス、中国であった。

国連の常任理事国[編集]

フランスがルーズベルトの構想から除外されていたのはヴィシー政権の存在があった。後にチャーチル首相が一貫してドゴール将軍下のフランスを擁護した。国連づくりのプロセスでも主要連合国並みの資格を与える事を主張した。米英軍のフランス奪回後にパリにもどり、1944年9月に臨時政府を成立させたシャルル・ド・ゴール将軍に対しフランス国民が熱狂的支持をみせたことが大きかった。これによってアメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国、フランスが国連の常任理事国となった。

文献情報[編集]

  • 「Title F.D.ルーズベルトの中国政策:第2次大戦期を中心として」滝田賢治『一橋研究』(1975年12月)[1]
  • 「『管理された革命』構想 --米国の対中国政策1941-1945年--」杉田米行『西洋史学』157号(1990年6月)
  • 「太平洋戦争期の米中関係におけるスティルウェル事件の一解釈」杉田米行『アジア太平洋論叢』第6号 (1996年)[2]
  • 「国連安保理事会「5大国制」の起源に関わって」安藤次男(立命館国際研究2005-03)[3][4]
  • 「「大東亜会議」外交と東南アジア:欧米植民地の初期独立」判澤純太(新潟工科大学研究紀要10号 2005.12)[5][6](※PDF-P.9以降に直接の記述あり)
  • 「「国際警察力」理論の形成と発展」綱井幸裕(衆議院調査局「論究」vol.5 2008.12)[7](※PDF-P.99以降に記述あり※衆議院調査局首席調査員が執筆したもの。)

注釈[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]