シモン・ペレス

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シモン・ペレス
שמעון פרס ノーベル賞受賞者
Shimon peres wjc 90126.jpg

任期 2007年7月15日

任期 1995年11月4日1996年6月18日
元首 エゼル・ワイツマン

任期 1984年9月13日1986年10月20日
元首 ハイム・ヘルツォーグ

出生 1923年8月2日(90歳)
ポーランドの旗 ポーランド、ヴィシェニェフ
政党 カディーマ
配偶者 ソーニャ・ペレス
署名 Shimon Peres Signature.svg
ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:1994年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:中東へ平和を築く努力に対して。[1]

シモン・ペレスヘブライ語: שמעון פרס‎, Shimon Peres, グレゴリオ暦1923年8月2日ユダヤ暦5683年アブ20日) - )は、イスラエル政治家。現在、同国大統領(第9代)。首相(第9・12代)を2期務めた。

生い立ち[編集]

家族とともに(1930年、最後列の右から3番目の人物がペレス)

シモン・ペレス(出生時の名はSzymon Perski)はポーランドのヴィシェニェフ(現在ベラルーシの一部)の中で生まれた。1934年に家族とともにイギリス委任統治領パレスチナテルアビブへ転居する。彼はテルアビブのゲウラ・スクールおよびベン・シェメンの農業学校で学んだ。

1947年に、彼はハガナーイスラエル国防軍の前身)に徴用され、ダヴィド・ベングリオンによって隊員募集と武器購入の責任者に指名された。1952年に彼は国防省副長官となり、1953年には国防省長官に就任する。彼は成立間もないイスラエルのための武器の調達に努力した。彼の尽力はフランスからのダッソー・ミラージュIIIジェット戦闘機や、原子炉購入に大きく貢献した。

政治経歴[編集]

イスラエル労働党の党首、第9代首相1984年-1986年)を務めた。1992年ラビン政権下の外務大臣としてアラファト議長率いるPLOと和平交渉を進め、オスロ合意に結びつけた。この功績により、ラビン首相、アラファト議長と並んで1994年ノーベル平和賞を受賞した。ラビン暗殺後、1995年-1996年に再び首相に就任、2001年-2002年には外務大臣を務めた。また2005年にはアリエル・シャロンの下の連合において副首相を務めた。そして、11月29日に労働党を脱退し、同首相の結成した中道政党カディマを支援すると表明した。

軍隊経験の乏しさと人のいい性格から、選挙では連敗続きである。1996年の首相公選では、支持率で10ポイントもの差がついていたベンヤミン・ネタニヤフに討論会で逆転され、「無念の人」のイメージを内外に印象付ける。2000年の大統領選でも勝利は確実視されながらモシェ・カツァブに逆転を許す。2005年の労働党党首選でもアミール・ペレツに破れ、11月末の離党へとつながる。

2007年6月13日に行われた大統領選にて、国会での投票でルーベン・リブリンを破り、第9代イスラエル大統領に当選。7月に正式に就任した。

トルコ首相との口論事件[編集]

2009年1月29日にペレスはダボス会議に出席。そして、同年1月初頭に起きたガザ紛争について、「ハマスによって沢山のイスラエルの人々が命を落とした」などと、およそ25分もの長きに渡ってイスラエルによるガザ地区攻撃の正当性を訴えた。しかし、会議に同席していたトルコレジェップ・タイイップ・エルドアン首相がこれに激高し、「人殺しをしているのはイスラエルの方だ」などと糾弾、ペレスと口論になる一幕があった。エルドアンは「二度とこない」と吐き捨てるように言ってその場を去った[2]。これ以降、トルコとイスラエルの関係は、その後起きたトルコのテレビドラマについての非難合戦[3]や、トルコからガザ地区へ人道支援のために向かっていた船が、イスラエル軍の特殊部隊により急襲を受け、多数の死傷者が出た事件などもあって、現在もぎくしゃくしたままである。

イランへの姿勢[編集]

核開発問題が明らかになって以降、イスラエルと鋭く対立しているイランとの関係について、ペレスは「(ロウハーニー大統領と)会って話す用意がある」と朝日新聞記者との単独会見で表明した。ベンヤミン・ネタニヤフ首相は武力攻撃も辞さない姿勢を見せており、それとは異なる姿勢であるが、イスラエルの政界に長年いるペレスの発言は世論への影響力が大きいとされる[4]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ "The Nobel Peace Prize 1994" NobelPrize.org
  2. ^ “「2度と来ない」トルコ首相、ダボス会議でイスラエルと応酬”. 産経新聞. (2009年1月30日). http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090130/mds0901301006004-n1.htm 2009年7月17日閲覧。 
  3. ^ “「侮辱する意図はなかった」 イスラエル高官がトルコ大使に謝罪”. 産経新聞. (2010年1月14日). http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/100114/mds1001140902000-n1.htm 2010年1月26日閲覧。 
  4. ^ “「イランと話す用意ある」イスラエル大統領単独会見”. 朝日新聞. (2014年2月5日). http://digital.asahi.com/articles/ASG25112PG24UHBI027.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG25112PG24UHBI027 2014年2月6日閲覧。 

外部リンク[編集]

公職
先代:
モシェ・カツァブ
イスラエルの旗 イスラエル国大統領
第9代:2007 -
次代:
(現職)
先代:
イツハク・シャミル
イツハク・ラビン
イスラエルの旗 イスラエル国首相
第9代:1984 - 1986
第12代:1995 - 1996
次代:
イツハク・シャミル
ベンヤミン・ネタニヤフ
党職
先代:
イツハク・ラビン
イツハク・ラビン
アムラン・ミツナ
労働党党首
第5代:1977 - 1992
第7代:1995 - 1997
第11代:2003 - 2005
次代:
イツハク・ラビン
エフード・バラック
アミール・ペレツ
先代:
イツハク・ラビン
「同盟」代表
第4代:1977 - 1992
次代:
イツハク・ラビン