ルーベン・リブリン

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ルーベン・リブリン

ルーベン・リブリン (Reuven Rivlin, ヘブライ語 ראובן ריבלין)は1939年9月9日イスラエルエルサレム出身の政治家。元軍人で、イスラエル国会議長。4人の子供の父親であり、また、ベジタリアンでもある[1]

経歴[編集]

ヘブライ大学卒業後、イスラエル国防軍に入隊。少佐の地位で、軍務を終えると、1988年リクードから総選挙に出馬、初当選を果たす。党内では司令塔的存在であり強硬派の重鎮として知られ、若手議員からの人望も厚い。 カリスマ的人気を誇った首相ガザ地区撤退計画に踏み切ったアリエル・シャロンとは関係が悪く、一期目では通信相を務めるものの、軟化の兆しを見せはじめたシャロン政権・二期目の入閣要請は固辞し、国会議長に就任する。ただ、ガザ地区撤退計画においては、シャロン倒閣を目指す党内の強硬派には最後まで与することなく党の分裂回避に奔走する。2005年11月、シャロンらが集団離党しカディーマの結党に動くと、シャロンとの対決姿勢を鮮明にし党内調整に動く。同年12月の党首選ではウジ・ランダウベンヤミン・ネタニヤフへの一本化を指示。翌・2006年1月には、シャロンが脳卒中で入院したため慎重論が大勢だったものの。同党を政権から離脱させる。3月に行われた総選挙でリクードは歴史的大敗を喫するが、その際のネタニヤフの責任論も早々と封じ込めた。また、強制わいせつ疑惑で辞任圧力にさらされるモシェ・カツァブ大統領の後任候補に名前が挙がっていたが、2007年6月13日の大統領選でシモン・ペレスに敗れる。選挙は1回目の投票では当選者は出ず、2回目の投票でリブリンらが撤退し、ペレスの勝利が確定する。2007年8月14日に行われたリクード党首選ではネタニヤフの選挙責任者を務め、再選へと導く。2009年2月10日に予定されている総選挙では、同党から比例順位4位での出馬が内定しており、6選を果たし、同年3月30日国会の採決で90票を獲得し国会議長に再登板を果たした[2]

脚注[編集]