エリ・ヴィーゼル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
エリ・ヴィーゼル
ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:1986年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:
1945年4月16日ブーヘンヴァルト強制収容所にて。下から2段目、左から7番目がエリ・ヴィーゼル[1]

エリ・ヴィーゼルElie Wiesel, 1928年9月30日 - )は、ルーマニア出身のアメリカユダヤ人作家。自らのホロコースト体験を自伝的に記し、1986年ノーベル平和賞を受賞した。現在、ボストン大学教授

来歴[編集]

ハンガリー名ヴィーゼル・エリエーゼルWiesel Eliézer)としてシゲト(現在のシゲトゥ・マルマツィエイ)に生まれる。生家は食料品店を営む、ハンガリー系の正統派ユダヤ教徒の家庭だった。ヴィーゼルは幼時よりヘブライ語トーラーカバラを学んだ。

シゲトは1940年ナチス・ドイツの占領を受け、この町のユダヤ人は1944年強制収容所へ送られた。ヴィーゼルはアウシュヴィッツで囚人番号A-7713の刺青を左腕に彫られる。母と妹はガス室送りとなり、行動を共にすることができた父も辛い環境に耐えられず終戦を迎える前に命を落とした。

戦後、フランスの孤児院に送られてフランス語を学ぶ。ヴィーゼルは生き残った姉2人とここで再会することができた。1948年ソルボンヌ大学へ入学し、哲学を専攻する。ヘブライ語教師や合唱団長の職を経てジャーナリストとなった彼は、イディッシュ語やフランス語でイスラエルフランス新聞に寄稿するようになったが、戦後11年もの間、ホロコースト体験だけは扱う気になれなかった。しかし友人モーリアックの勧めにより、ヴィーゼルはホロコーストについて書き始めた。こうして小説『夜』の出版にこぎつけたが、モーリアックの後押しにも拘らず、この本は当時ほとんど売れなかった。

1955年、イスラエルの新聞『イェディオト・アハロノト』の通信員としてニューヨークに移住。1963年、米国に帰化した。

暴力や圧政や差別を告発する本を書き続けて、1986年ノーベル平和賞を受賞。このほかにも多数の栄誉を授けられているが、ユダヤ人社会の一部からは批判も受けている。たとえば急進的左翼活動家で言語学者ノーム・チョムスキーは、パレスチナ問題でイスラエルにばかり肩入れしてパレスチナ人の苦しみから目を背けているとヴィーゼルを糾弾した。政治学者ノーマン・フィンケルスタインは、ヴィーゼルが法外な講演料を要求し、ホロコーストを金儲けに利用していると非難した。このほか、ヴィーゼルの政治思想は(過度に修正主義シオニズム寄りであるということで)クリストファー・ヒッチンズen:Christopher Hitchens)など一部の非ユダヤ人からも問題視されている。

脚注[編集]

  1. ^ Jewish Virtual Library[1]