カラカルパクスタン共和国
- カラカルパクスタン共和国
- Qaraqalpaqstan Respublikası
Qoraqalpogʻiston Respublikasi -

(地域の旗) - 地域の標語:無し
- 地域の歌:カラカルパクスタン共和国の国歌
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公用語 カラカルパク語
ウズベク語主都 ヌクス 最大の都市 ヌクス 設置
- 日付カラカルパク自治ソビエト社会主義共和国として
1932年7月20日通貨 スム(UZS) 時間帯 UTC +5(DST:不明) ISO 3166-1 UZ-QR ccTLD .uz 国際電話番号 998
カラカルパクスタン共和国(カラカルパク語:Qaraqalpaqstan Respublikası、ウズベク語:Qoraqalpogʻiston Respublikasi、ロシア語:Республика Каракалпакста́н)は、中央アジアのウズベキスタン共和国内にある自治共和国。同国の西部に位置し、ホラズム州、ブハラ州、ナヴァーイー州に隣接するほか、カザフスタン、トルクメニスタンと国境を接する。また共和国北部は「縮小する湖」と呼ばれるアラル海に面している。共和国面積は約16.5万km²。「カラカルパク」の語意は、「黒色」を表す「カラ」と、「(尖がり)帽子」を意味する「カルパック」の合成であり、「カラカルパクスタン」とは「黒い帽子を被る民族の国」を意味する。旧ソ連が同地を支配したとき、それまでウズベク族かカザフ族の方言と考えられていた同地の民族の言語を詳細に研究した旧ソ連の言語学者が、「同地の民族の言語は、ウズベク語とは異なりカザフ語と発祥を同じくする別の言語である」と認定したことにより、「カラカルパク族」が創出された。それ以前までは、ホレズム帝国を構成する部族であり、口承叙事詩(ダスタン)を元に、ロシアのサラトフやカザフのキジルカラから移動してきたという伝承のみが同民族のアイデンティティを支えてきた。本来、民族は文化や社会制度なども加味された上で分類されるべきであるが、言語によって民族を規定する方式は、旧ソ連の指導者スターリン自身が言語学者であったことに基づく。
カラカルパク共和国は、12の地区(都市、カラ)、16の町(ポショルカ)、120の村(アウル)から成っている。首都のヌクス(カラカルパク語:Nökis、ウズベク語:Nukus、ロシア語:Нуку́с)のほか、主要都市として、ホジェリ、モイナクがある。
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国家機関 [編集]
カラカルパクスタン共和国は、独自の憲法を持ち、国旗、国章、国歌を制定しているほか、国家語として、カラカルパク語とウズベク語を規定している。国家の代表者は最高会議(ジョカルガ・ケンギス)の議長であり、行政府は首相が統括する。 ウズベキスタン共和国とカラカルパクスタン共和国との関係は、ウズベキスタン共和国憲法の枠組みの中において、両国の締結した条約と協定によって調整される。カラカルバクスタン共和国は、カラカルバクスタン国民全体の国民投票に基づいて、ウズベキスタン共和国から脱退する権利を有する、と憲法第1条に規定している。つまり、ウズベキスタン憲法の枠を超えることはできないし、外交権なども有していない。
歴史 [編集]
1924年の民族境界画定により、旧ヒヴァ・ハン国領の一部、およびロシア帝国領だったザカスピ州、 シルダリヤ州の領域の一部からカラカルパク自治州(自治州とは民族自治地域のこと)が設置され、現在のカラカルパクスタン共和国の領域が成立した。1925年はじめて世界地図に現れる。カラカルパク自治州は、当初(1930年)キルギス自治ソビエト社会主義共和国(現在のカザフスタン)の管轄下に置かれたが、1932年にはカラカルパク自治共和国に昇格した。1936年にウズベク・ソビエト社会主義共和国管轄下のカラカルパク自治ソビエト社会主義共和国に移管された。 1991年のウズベキスタンの独立後、1992年にカラカルパクスタン共和国に改組された。
住民 [編集]
共和国の人口は2005年の統計で約120万人と推計され、民族構成は、ウズベク人が最大勢力であり36%、次にテュルク系カラカルパク人が32%、他にカザフ人が25%となる。他にもトルクメン人、ロシア人、タタール人、沿海州から移住させられてきた朝鮮族なども住む。
近年、カザフ人はカザフスタンへ、ロシア人や朝鮮族はロシアへ移住する傾向が高い。タタール人やウズベク人は、親類を頼ってウズベキスタンの首都のタシケント等の生活水準の高い都市へ移住する傾向が見られる。したがって、同共和国の住民によると、共和国の人口は減少する傾向にあると言われている。住民の大半はスンナ派のイスラームを信仰し、ロシア人や朝鮮族は正教を、極めて限られているがプロテスタントを信仰する住民もいる。
経済 [編集]
カラカルパクスタン共和国の経済は、綿花、米、メロンなどの農産物の生産に支えられている。かつて盛んだったアラル海での漁業は、アラル海の縮小に伴う環境悪化のため、現在はほとんど行われていない。クングラードの西方では、中国資本による苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)生産工場が最近になって稼動を開始した。南部のトルトクール行政区では、旧ソ連時代には原油を産出していた。
外部リンク [編集]
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