ベニンシティ

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ベニンシティ
Benin City
ベニン市環状道路に立つ像
ベニン市環状道路に立つ像
位置
ベニン市の位置の位置図
ベニン市の位置
座標 : 北緯6度19分3.36秒 東経5度36分52.20秒 / 北緯6.3176000度 東経5.6145000度 / 6.3176000; 5.6145000
行政
ナイジェリアの旗 ナイジェリア
  エド州
 市 ベニンシティ
人口
人口 (2006年現在)
  市域 1,147,188人
その他
等時帯 西アフリカ時間 (UTC+1)

ベニンシティ (Benin City) は南部ナイジェリアエド州の州都でベニン川の河港である。 2006年の推計人口は 1,147,188 人。ラゴスの東約320Kmにある。

ベニンはナイジェリアのゴム産業の中心地であり、アブラヤシの加工も伝統的産業である[1]

歴史[編集]

ベニンは12世紀ベニン王国の首都イビヌ (Ibinu) として建設された。オバ・エウアレの元でエドと改名され、皇帝(オバ)達の元で14世紀から17世紀に最盛期を迎え、「大ベニン」と呼ばれた面影は現在に残されていない。1485年にポルトガルが来航し、以降ヨーロッパ勢力との奴隷貿易象牙胡椒や布などの熱帯産品の輸出で栄えた[1]

ベニン湾岸は「奴隷海岸」の一部であり、取引相手となったのは現地の首長等であった。16世紀初頭にオバ・エシギエはリスボン宣教師を送るようにと大使を派遣している。19世紀まで住民の中にはピジンポルトガル語を話す者もいた。

奴隷貿易の衰退に伴いベニンも賑わいを失ったが、パーム油の輸出で盛り返した。1852年2月1日ベニン湾一帯がイギリスの保護領に組み込まれ、1861年8月6日にはビアフラ湾一帯もイギリスの保護領とされた。

1897年2月17日ベニンでのイギリス人殺害に対する「討伐」 (Punitive Expeditionとしてハリー・ローソン提督率いる1200人のイギリス海軍部隊が王国を征服しベニンを焼き払った。王国の財宝や文化財の殆どが破壊された。ベニン・ブロンズとして知られる、真鍮、象牙の彫刻等による人物や動物等の造形物はこの時に持去られ、現在世界の博物館に展示されるようになった。これによりベニン王国はイギリスのニジェール海岸保護領英語版に組み込まれ、後南部ナイジェリア保護領英語版となるナイジェリア植民地(en:Colony and Protectorate of Nigeria)に併合された。

1914年にベニン王室の再建が認められたが、実権は植民地政府が握ったままであった。

1967年9月ビアフラ戦争時にベニンもビアフラ共和国に占領され、一時ベニン共和国となった。

教育[編集]

ベニン大学とベンソン・イダホサ大学が市内にある。

文化[編集]

観光資源としてベニン市国立博物館オバ宮殿や祭り等がある。

脚註[編集]

  1. ^ a b Benin, City, Nigeria,, Columbia Encyclopedia, Sixth Edition. 2005 Columbia University Press.

参考文献[編集]

  • Bondarenko D. M. A Homoarchic Alternative to the Homoarchic State: Benin Kingdom of the 13th - 19th Centuries. Social Evolution & History. 2005. Vol. 4, No 2. P. 18-88.

外部リンク[編集]

座標: 北緯6度19分03秒 東経5度36分52秒 / 北緯6.3176度 東経5.6145度 / 6.3176; 5.6145