ムジャーヒディーン
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ムハンマド |
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ムジャーヒディーン(مجاهدين mujāhidīn)とは、アラビア語で「ジハードを遂行する者」を意味するムジャーヒド(مجاهد mujāhid)の複数形。一般的には、イスラム教の大義にのっとったジハードに参加する戦士たちのことを指す。最近はイスラム過激派の民兵を指すことが多い。
[編集] 起こり
歴史的には、個々のムスリム(イスラム教徒)たちがジハードに対する意識を常にもっていたわけではなく、むしろ近代に至ってイスラム世界に対する侵略に対抗する民衆の抵抗運動において、ムジャーヒド意識が発揮されてきた。19世紀にインドで起こった対英ジハード「ムジャーヒディーン運動」は、その代表的なものである。
[編集] ソ連侵攻
ソビエト連邦が1979年にアフガニスタンに侵攻したことにより始まったソ連・アフガン戦争の際、パキスタンが支援したムスリムのゲリラたちは、自分たちの闘争をアフガニスタンのイスラムを防衛するジハードと位置付け、自らムジャーヒディーンと名乗った。その代表的な組織が、ブルハーヌッディーン・ラッバーニーが組織し、アフマド・シャー・マスードが軍事的に率いた「イスラム協会」や、グルブッディーン・ヘクマティヤールが率いる「イスラム党」であり、その他にも多くの軍閥が群雄割拠した。
アフガニスタンのムジャーヒディーンには、アフガニスタンのみならずイスラム世界の各地から志願兵として若者が集まってきたが、ウサーマ・ビン=ラーディンも若い時はこの志願兵の1人だったということが知られている。
アメリカもCIAを通じてこのようなゲリラ組織に武器や装備(有名なものではスティンガー対空ミサイルなど)を提供していたが、東側の兵器に比べメカニズムが高度かつ高価であるため、損耗しても修理や補充がきかず次々に失われていったようである。

