マザーリシャリーフ

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マザーリシャリーフ
مزارِ شریف
アフガニスタンの旗
Mazar-e sharif - Steve Evans.jpg
ブルーモスク
座標 : 北緯36度42分 東経67度07分 / 北緯36.700度 東経67.117度 / 36.700; 67.117
行政
アフガニスタンの旗 アフガニスタン
  バルフ州
マザーリシャリーフ
人口
人口 (2006現在)
  域 300600人
その他
等時帯 アフガニスタン標準時 (UTC+4:30
ブルーモスク.

マザーリシャリーフダリー語 : مزار شريف Mazār-e Sharīf)は、アフガニスタン都市。近現代におけるアフガニスタン北部の最重要都市で、現在はバルフ州の州都。国内第4位の人口 (300,600人) を擁する (2006年の公式推計[1])。幹線道路によって、南東にカーブル、西にヘラート、北にウズベキスタンと繋がれている交通の要衝である。住民はウズベク人が多く、優勢な言語はダリー語である。マザーレ・シャリーフともいい、報道等ではマザリシャリフと表記されることが多い。都市の名はダリー語(ペルシア語)で「神聖な墳墓」を意味するが、その名はスンナ派における第4代正統カリフシーア派における初代イマームアリー・イブン=アビー=ターリブのものとされる墳墓が所在することに由来し、中央アジア南境における宗教都市として発展してきた。もっとも、一般にイラン以西のシーア派の多くの人々がアリーの墓と考えているのはイラクナジャフのものである。市域には、イスラムヘレニズム時代の古代遺跡が多く残っている。

歴史 [編集]

もともと歴史的なホラーサーン地方の東部にあたるこの地域の中心都市はバルフで、バルフから20kmほど離れた現在のマザーリシャリーフはその郊外に過ぎなかったようである。しかし、バルフの郊外にアリーの墓が存在することは、12世紀に知られていたとされる。

その後、13世紀にバルフがモンゴル帝国の破壊を受けて衰退してから200年後の1480年に、この地域を支配していたティムール朝ヘラート政権の君主、スルタン・フサインの時代にアリーの聖墓とされる墳墓が現在のマザーリシャリーフの地で「再発見」され、ティムール朝の貴顕の手によってアリー廟を中心とする宗教施設が建設されて宗教都市として整備された。

16世紀にティムール朝がウズベク人によって滅ぼされた後も、新たな支配者であるシャイバーン朝ブハラ・ハン国、そしてアフガニスタンのドゥッラーニー朝バーラクザイ朝の諸君主、有力者によって寄進を受け続けた結果、マザーリシャリーフのアリー廟はアフガニスタン・中央アジアの各地から数多くの参詣者を集めるようになり、巡礼経済に支えられて18世紀以降にはバルフをしのぐアフガニスタン北部の主要都市となった。

アフガニスタン紛争 [編集]

1979年ソビエト連邦アフガニスタン侵攻を開始して首都カーブルを占拠すると、国境のアム川に近いマザーリシャリーフの地はソ連の影響下に入り、ソ連のコントロール下にある当時の政権政党アフガニスタン人民民主党に従う親ソ派ウズベク人民兵組織の拠点となった。このウズベク人民兵2万人の指導者に抜擢されたのが、ソ連で軍事訓練を受けた元技術者のアブドゥッラシード・ドスタム将軍である。マザーリシャリーフのドスタム派 (イスラム民族運動英語版) は、ムジャーヒディーン諸勢力と戦ってムジャーヒディーンの敵意を買ったが、ソ連崩壊後の1992年2月に人民民主党を捨ててムジャーヒディーン政権樹立に参加し、その後のアフガニスタン内戦ではウズベキスタンの間接的支援を受けてマザーリシャリーフを中心に北部に割拠を続けた。

国内の他地域が疲弊する中、ドスタム率いるイスラム民族運動の支配下でマザーリシャリフは平和を享受し、旧ソ連の中央アジア諸国やトルコとの政治的結びつきを固め、独自の紙幣が発行され、航空会社も運営された。しかし、1997年にドスタムの属将であったアブドゥル・マリク将軍の離反によって、マザーリシャリーフは争乱状態となり、ターリバーンに付け入る隙を与えることになった。

1997年5月から7月にかけて、ターリバーンはマザーリシャリフの攻略にかかったが、作戦は失敗し約2500人のターリバーンがマリク将軍派とシーア派ハザラ系民兵によって虐殺された。ターリバーンは直ちに反攻し、1998年8月8日に市街に再入城、続く6日間にわたって、ハザラ系住民に報復のため徹底的な虐殺を行なった。国連の推定では5000人の死者が出たとされている。マザーリシャリフは陥落し、これを契機にパキスタンはターリバーン政権の承認に積極的に乗り出した。しかし、ターリバーンはマザーリシャリーフのイラン総領事館を占拠し、外交官10人とジャーナリストを殺害した。このため、イランが国境地帯に軍を展開する事態となった。

その後、2001年アメリカのアフガニスタン侵攻に呼応した北部同盟の反転攻勢により、同年11月9日に北部同盟が奪還。ドスタム派が再びマザーリシャリーフの統治を掌握した。マザーリシャリーフはアフガニスタンの主要都市の中で最初に奪還された都市である。この戦闘の際に、今度は北部同盟系の兵士によってタリバン兵の虐殺が市近郊で行われたとされる。

2007年現在、ハーミド・カルザイ大統領率いるアフガニスタン中央政府によって、マザーリシャリーフは完全に掌握されている。国際治安支援部隊(ISAF)も市内外に展開し、政府を援助している。

産業 [編集]

主な産業は農業と牧畜であるが、小規模の石油と天然ガスの生産もマザーリシャリーフの復興を勢いづけている。古くからブズカシの中心都市であり、市内のモスクはノウルーズ(新年祭)には国内でも有数の賑わいを見せる。