ムハンマド・シャイバーニー・ハン

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ムハンマド・シャイバーニー・ハンの肖像。

ムハンマド・シャイバーニー・ハン(ウズベク語: Muhammad Shayboniy, ペルシア語:شایبک خان Muḥammad Shaybānī Khān、1451年 - 1510年)は、ウズベク・ハン国シャイバーニー朝の初代ハンアブル=ハイル・ハンの孫。

生涯[編集]

1451年、シャー・ブダグの子として生まれる。

1468年にアブル=ハイル・ハンが没すると、ウズベクウルスは分裂状態に陥り、その多くはケレイ・ハンジャニベク・ハンの支配するカザフ・ハン国に流れた。アブル=ハイル・ハンの孫であるムハンマド・シャイバーニーは各地を転々とし、亡命生活を送る。

1496年/1497年、ムハンマド・シャイバーニーはティムール朝の内部抗争に乗じてシル川中流域に拠点を置き、ウズベク集団の再統合に成功した。

1500年、ムハンマド・シャイバーニー・ハンはサマルカンドを占領し、マーワラーアンナフルの支配権を得た。一時はティムール家のバーブルにサマルカンドを奪われるが3カ月余りで奪還した。

1503年アム川上流域のクンドゥーズからフェルガナ盆地タシュケントを占領。1505年にはホラズム地方を、1507年にはヘラートを占領してティムール朝を滅ぼし、ホラーサーンに進出した。

しかし、その後のカザフ遠征(1508年 - 1509年)や、ハザーラ族遠征に失敗し、諸王族に対する分封政策が失敗したため、彼らからの支持を得られなくなった。折しもサファヴィー朝シャー・イスマーイール(在位:1501年 - 1524年)の侵攻に遭い、ムハンマド・シャイバーニー・ハンはメルヴ郊外で敗死した(1510年)。ムハンマド・シャイバーニー・ハンの頭蓋骨はシャー・イスマーイールによって金箔を貼られ、にされた(髑髏杯)。

[編集]

  • フッラム·シャー
  • テムル

参考資料[編集]

先代:
アブル=ハイル・ハン
シャイバーニー朝の君主
1500年 - 1510年
次代:
クチュクンジ・ハン