ムハンマド・シャイバーニー・ハーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ムハンマド・シャイバーニー・ハーンの肖像。

ムハンマド・シャイバーニー・ハーン(Muḥammad Shaybānī Khān、1451年 - 1510年)は、ウズベク・ハン国シャイバーニー朝の初代ハーンアブール=ハイル・ハーンの孫。

生涯 [編集]

1451年、シャー・ブダグの子として生まれる。

1468年にアブール=ハイル・ハーンが没すると、ウズベクウルスは分裂状態に陥り、その多くはケレイ・ハーンジャニベク・ハーンの支配するカザフ・ハン国に流れた。アブール=ハイル・ハーンの孫であるムハンマド・シャイバーニーは各地を転々とし、亡命生活を送る。

1496年/1497年、ムハンマド・シャイバーニーはティムール朝の内部抗争に乗じてシル川中流域に拠点を置き、ウズベク集団の再統合に成功した。

1500年、ムハンマド・シャイバーニー・ハーンはサマルカンドを占領し、マーワラーアンナフルの支配権を得た。一時はティムール家のバーブルにサマルカンドを奪われるが3カ月余りで奪還した。

1503年アム川上流域のクンドゥズからフェルガナ盆地タシュケントを占領。1505年にはホラズム地方を、1507年にはヘラートを占領してティムール朝を滅ぼし、ホラーサーンに進出した。

しかし、その後のカザフ遠征(1508年 - 1509年)や、ハザラ族遠征に失敗し、諸王族に対する分封政策が失敗したため、彼らからの支持を得られなくなった。折しもサファヴィー朝シャー・イスマーイール(在位:1501年 - 1524年)の侵攻に遭い、ムハンマド・シャイバーニー・ハーンはメルヴ郊外で敗死した(1510年)。ムハンマド・シャイバーニー・ハーンの頭蓋骨はシャー・イスマーイールによって金箔を貼られ、にされた(髑髏杯)。

[編集]

  • テムル

参考資料 [編集]

先代:
アブール=ハイル・ハーン
シャイバーニー朝の君主
1500年 - 1510年
次代:
クチュクンジ・ハーン