ウルーズガーン州

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ウルーズガーン州Orūzgān パシュトー語表記で ؤروزگان)は、アフガニスタン中央部にあるである。州都はタリーン・コート (Tarīn Kowt) 。アフガニスタンのほぼ中央部にあるが、文化的かつ民族的にカンダハールと関わりが深く通常はアフガニスタン南部に分類される。パシュトゥーン系住民が多数派の南部から、ハザーラ系住民が多数派の北部が分離する形で、2004年3月28日、北部は新たにダーイクンディー州として独立した州となった。しかし、2006年5月、ギザブ県がダーイクンディー州から復帰してウルーズガーン州に加入し、ウルーズガーン州下の県は6つとなった。面積22,696km²、人口303,600人 (2006年の公式推計[1]) である。

ターリバーンの指導者ムハンマド・オマルの生地、カンダハール郊外のシンゲサル村の属する州である。

そのような事情から生じる治安上の懸念や、ターリバーンの暴動のために、国際的援助機関やNGOのオフィスは一時的なものしか設置されていないが、2006年8月オランダ軍の指揮の下、国際治安支援部隊はタリンコートで地方復興チーム (PRT) の運営を始めた。

2002年1月から2006年3月まで、ウルーズガーンはジャン・ムハンマド・ハーン知事の支配下にあった。彼はカルザイ大統領につながる軍閥指導者で、大統領と同じポーパルザイ部族に属し本州出身であったが、腐敗した無教養な人物とされ評判は良くなかった。2006年3月18日、カルザイはパクティヤー州出身のマウラヴィー・アブドゥルハキーム・ムーニーブを新知事として任命したが、彼はこれ以前にカルザイ政権との和解を果たしていたものの、ターリバーン政権で辺境担当次官を務め、安保理決議第1267号のターリバーン関係者リストにもその名が掲載されている人物であった。しかし同時に、彼は教養が高く、凄腕の行政官としても評価されている。

2006年8月にNATO米軍から引き継いでウルーズガーンの治安維持を担当し、オランダ軍を派遣した。しかし、ターリバーンの活動は引き続き活発で、2007年現在、オランダ軍の行動範囲は現在のところターリン・コートの基地のごく周辺に限定されざるを得ない状況である。何ら有効な策が打たれないまま、本州のケシの生産量は2006年に過去最高を記録した。

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参考文献[編集]

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