ヘルマンド州

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ヘルマンド州(ヘルマンドしゅう、Helmand、ダリー語表記で هلمند)は、アフガニスタン南西部のである。砂漠地帯である州内をヘルマンド川が流れ、灌漑用水をもたらしている。面積は58,584 km²でアフガニスタン最大、人口799,000人[1]、州都はヘルマンド川のほとりにあるラシュカルガー (Lashkar Gāh) 。住民のほとんどはパシュトゥーン人で、少数のバローチ人も生活している。世界のアヘン生産量の20% を生産する[2]。2007年現在の知事はアサドゥッラー・ワファ。ラシュカルガー県など13の県を擁する。

目次

アメリカの援助プログラム [編集]

1960年代ヘルマンドは米国の開発援助計画の中心地で、リトル・アメリカと渾名されるほどだった。援助計画によって、州都の並木道、灌漑水路網、巨大な水力発電ダムなどが建設された。しかし1978年共産主義政権が成立した際にこの計画は中止された。

現在、米国国際開発庁 (USAID) による開発計画は、代替収入計画 (AIP) と呼ばれる麻薬撲滅計画に尽力している。これは、ケシ栽培の代わりに、地域の環境と経済社会資本を向上させる事業を、地域住民に職として与える計画である。主要事業は排水路と用水路の再生である。しかし2005年と2006年には、地域住民に対して事前の約束通りの給与が支払われず、農民とUSAIDの間に深刻な緊張がもたらされた。

治安に関する近況 [編集]

2006年1月27日英国議会において、ヘリック作戦 (Operation Herrick) の一環として、米軍に代わってNATO国際治安支援部隊 (ISAF) がヘルマンド地域に展開することが発表された。英軍第16空挺強襲旅団がヘルマンドの中核的兵力を担った。

2006年夏、ヘルマンドは、アフガニスタン南部のターリバーン掃討を目的としたNATOとアフガニスタン国軍の共同作戦、山岳部突進作戦 (Operation Mountain Thrust) が実施される地域の1つとなった。英軍はラシュカルガーに基地を設置した。しかし7月には、武装勢力の反撃によって英軍とアフガニスタン国軍は次第に守勢一方となり、作戦はこう着状態に陥った。事態打開のため、英軍は兵力を増強し、サンジンとゲリシュクに新たに基地を設置した。サンジン、ナウェイ、ナウサド、ガルムサーでは特に激しい戦闘となった。複数の報道によれば、NATOとアフガニスタンの合同軍から地域を奪還することができるかを知るための重要な試金石として、ターリバーンはヘルマンドを位置づけていたようだ[3]。現場の複数の英軍司令官によれば、ヘルマンドの前線は英軍にとって朝鮮戦争以後、最も凄惨な状況となった。

2006年秋、英国軍は、夏から英国軍が駐屯している地域中心部のターリバーン勢力と和平協定を結んだ[4]。この協定によって双方が交戦地域から兵力を引き揚げることになった。英国軍の側から見ると、カルザイ大統領が要望した、英国軍によって地域の主要拠点を抑える戦略は、英軍が現在投入している戦力のレベルでは到底無理である、ということをこの協定は示していた。しかし、同地域で獲得した足場をできるだけ強固にしたかったにも関わらず、NATOを排除できなかったターリバーンにとっても、この協定は痛手であった。

報道によると、一連の戦闘に関与した武力集団はターリバーン兵と、地域に莫大な利益をもたらしているアヘンの取引に深く関わっている、イシャクザイ族とアリコザイ族による混成集団であった[5]

脚注 [編集]

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  1. ^ 2006年の公式推計[1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [3]
  4. ^ [4]
  5. ^ [5]

関連項目 [編集]

参考文献 [編集]

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外部リンク [編集]