バルチスタン

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バルチスタン(桃色)

バルチスタン(Baluchistan)とは、現パキスタンの西南(バローチスターン州)、イラン東南(スィースターン・バルーチェスターン州)、アフガニスタン南部にまたがる地方。アラビア海に面するグワーダルGwadar)がある。

[編集] 略歴

バルチスタンはインダス文明を担ったとされるブラフイ人が住んでおり、7世紀にはウマイヤ朝、8世紀にはアッバース朝アラブ人の支配下に置かれていた。その後、13世紀にはモンゴル人の治世下になるイルハン国、15世紀にはチムール帝国の版図に入った。

1638年にカラート藩王国が成立したが、ペルシャアフガニスタンからの影響が大きく、半独立の状態が長く続いた。1758年に再び独立を確保する。

しかし、1840年にイギリス軍が侵攻。1854年に条約を結び、イギリス保護領となった。このあたりはイギリスによるインドの統治が進むにつれて、本国とインドの間の電信線を敷くためには不可欠な地方となり、ペルシャと相談してイギリスはバルチスタンを分割した。

1947年にイギリスのインド統治が終了すると、「もともとインドの一部ではないので」インドやパキスタンには参加せず、単独で独立を宣言、議会や内閣を設置。イギリスやパキスタンもカラート王国の独立を認めた上で、パキスタンとは特別の関係を結ぶことを模索するものの、パキスタンの軍事的圧迫に抗すことができず藩王は併合条約に調印し、パキスタンに軍事併合された。その後もしばらく内政自治は続いていたが権限は大幅に縮小され、1955年には藩王国自体が名目上も消滅させられた。

バルチスタンはパキスタン国土の4割を占めるが、バローチ人は5%にすぎず、石炭天然ガスクロムなど豊富な資源があるバルチスタンから富を収奪しているという意識がバローチ人にある。

バルチスタンの民族主義(これは多くのブラフイ人も参加する)はパキスタンの共産主義運動と結びついており(en:Baloch nationalism)、バルチスタンのen:Ataullah Mengalは旧ソ連と関係があった。

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