スィースターン・バルーチェスターン州

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スィースターン・バルーチェスターン州
استان سيستان و بلوچستان
位置
イランにおけるスィースターン・バルーチェスターン(塗りつぶし部)。
統計
州都:
 • 測地系:
ザーヘダーン
 • 北緯29度29分33秒 東経60度52分01秒 / 北緯29.4924度 東経60.8669度 / 29.4924; 60.8669
面積: 181,785 km²
人口(2005年)
 • 密度:
2,290,076人
 • 12.6人/km²
シャフレスターン 8
タイムゾーン: UTC+3:30
主な言語: バルーチ語
ペルシア語
ブラーフーイー語
ISO 3166-2:IR: IR-13
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ガルエ・ナーセリー(イーラーン・シャフル)
バローチスターンの範囲(マゼンタ色)は複数国家に広がっている
ガルエ・サーブ(在サラーヴァーン)

スィースターン・バルーチェスターン州ペルシア語: استان سیستان و بلوچستان‎; Ostān-e Sīstān-o Balūchestān)は、イラン州(オスターン)。イラン南東部にあってパキスタンおよびアフガニスタンと国境を接する。州都は人口42万のザーヘダーン。面積は181,600km²でイラン第二位。人口は210万。

名称[編集]

「バルーチェスターン」とはペルシア語でバルーチの地という意味であり、パキスタンにはバローチスターン州がある。またスィースターンは古くは「スィジスターン」 Sijistān سجستان と呼ばれていたもので、これは中世ペルシア語の「サカスターナ」すなわちサカの地に由来する。

地理[編集]

北部のスィースターンと南部のバルーチェスターンの2地域からなる。これをあわせて今日のスィースターン・バルーチェスターン州は東から西に進むにつれ降水量が多くなるイランにあって、もっとも乾燥した地域であるが、海岸地帯では湿気が多い。

州内ではさまざまな方向からの季節風が吹く。スィースターンにおいて120日間にわたって吹く「レヴァール」、「グーッセ」、第七風「ガーヴ・コシュ」、南風「ナムビー」、インド洋のしめった季節風「フーシャク」、北風「グリーチュ」と西風「ギャルド」などが主要なものである。

行政区分[編集]

主要都市[編集]

歴史[編集]

ジーロフト文化[編集]

ザーヘダーンZabolの間にあるShahr-e Sukhtehには、ジーロフト文化英語版が栄えていた。

スィースターン[編集]

スィースターン(ペルシア語: سیستان‎)はイラン南東部とアフガニスタン南西部の国境地帯であり、イラン領のスィースターン・バルーチェスターン州の一部とアフガニスタンのニームルーズ州の一部から構成される。

ビーストゥーンおよびペルセポリスに碑文では、スィースターンはダーラヤワウ大王の東方領域であると記されている。先述のようにスィースターンの名はサカ族に由来する。サカ族はアーリア人の支族で、紀元前128年にこの地域の支配権を握った。現在のスィースターンはサカ族支配地域の極西部であった。スィースターンに住んだサカ族はアルシャク朝期(紀元前63年 - 220年)にパンジャーブへと放逐された。

サーサーン朝から初期イスラーム期まで、スィースターンは相当に繁栄したようである。スィースターンがサーサーン朝の統治下に入ったのはアルダシール1世の時である。スィースターンの地はゾロアスター教との関わりが非常に強い地であり、サーサーン朝期にはハームーン湖英語版Daryācheh-ye Sīstan)はゾロアスター教徒の二大巡礼地の一つであった。ゾロアスター教伝承において、ハームーン湖はゾロアスターの種の保持者である。これは世界の最終的刷新の直前に三人の処女が湖に入り、それぞれが世界の最終的刷新において人類の救世主となるサオシュヤントを生むというものである。スィースターンにおける最も著名な考古学遺跡にクーヘ・ハージェフ英語版ペルシア語: کوه خواجه‎ - Kuh-e Khvājeh)があるが、これはハームーン湖の中央に島となっている丘である。その後644年、サーサーン朝は最終的に崩壊し、アラブ・イスラーム勢力下に入った。

ヤアクーブ・イブン・アル=ライス・アル=サッファールが支配者となり、のち数世紀にわたってこの地域を支配するサッファール朝861年 - 1003年)を築いた。サッファール朝、サーマーン朝ガズナ朝セルジューク朝などの諸王朝は、その期間すべて本地域を統治した。叙事詩シャーナーメでは、スィースターンはザーブリスターンと呼ばれ、作者フェルドウスィーはザーブリスターンを神話的な英雄王ロスタムの故地として記述している。これは当地域の街ザーボル英語版から取ったもので、ザーボルは近代に至るまでスィースターンの中心都市であった。

のちモンゴル帝国の侵入があり、大きな損害を受ける。1508年サファヴィー朝のシャー・イスマーイール1世がスィースターンを征服したが、ナーディル・シャーの時期には再び混乱に陥っている。

バルーチェスターン[編集]

バルーチェスターンは古くは「モカ」といい、時の経過とともに「モクラーン」となった。モクラーンは現在はバルチェスターン南部地域を指す。この地域がバルーチェスターンと呼ばれるようになったのはバルーチ人が住み着いて以降のことである。バルーチェスターンの小丘上に残る遺跡調査によれば、歴史は紀元前3000年ころにさかのぼる。

この地域がイスラーム勢力に征服されたのは、第二代カリフウマルの時代であり、アラブ軍司令官が統治者となった。916年にはブワイフ朝下に入り、さらにセルジューク朝が続いた。このときにケルマーン地方の一部となっている。

現代[編集]

2013年4月16日イラン地震

政治[編集]

近年、バローチ人英語版の権利拡大を求める反政府武装組織『ジョンドッラー英語版』(ペルシア語: جندالله‎、英語: Jundallah、「神の兵士」の意)が州内でゲリラ活動を活発化させ、イラン軍・治安部隊との戦闘が起きている。 最近ではイスラーム革命防衛隊を狙った爆弾攻撃も実行している。

経済[編集]

この地域は、現在イランの中でももっとも低開発の地域であり、荒涼とした貧しい地域である。イラン政府は、チャーバハール港英語版チャーバハール自由貿易地域英語版を設置する計画やen:Iran–Pakistan gas pipelineなどの諸計画によって、テコ入れを図っている。同地域内への自動車工場の誘致に関する交渉が現在進行中である。

住民[編集]

民族[編集]

スィースターン・バルーチェスターン州の南部および西部の人びとはほとんどがバローチ人英語版である。スィースターン・バルーチェスターン州の人びとは、その伝統的生活様式・規範を維持しており、イランの観光地の一つとなる潜在性をもつ。州内では「バラーフイー」と「バルーチ」の二部族が主要なもので、生業、生活、住居、慣習、伝統、移動経路など、それぞれ価値ある文化的背景をもつものである。

言語[編集]

バルーチ語を話す。

文化[編集]

多くの学者、説教師、文学者などを輩出した地域でもある。なかでもファッローヒー・スィースターニーヤアクーブ・イブン・アル=ライス・アル=サッファールロスタムなどが有名である。アーヤトッラー・スィースターニーも現在はイラクナジャフにあるが本州出身である。

高等教育機関[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]