バーデン大公国邦有鉄道

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1806年から1945年までのバーデンの地図

バーデン大公国邦有鉄道(バーデンたいこうこくほうゆうてつどう、ドイツ語: Großherzoglich Badische Staatseisenbahnen、略称G.Bad.St.E.)は、1840年に設立されたバーデン大公国国有鉄道である。日本語ではバーデン国鉄バーデン官有鉄道などとも呼ばれる。

ドイツでは、1871年にプロイセン王国バイエルン王国ザクセン王国・バーデン大公国・ヴュルテンベルクなどのドイツ語圏の多くの領邦からドイツ帝国が成立したが、それ以前に多くの領邦は独自に鉄道を有していた。各領邦の鉄道は、次第に運営上の協力を深めてはいったが、ドイツ帝国成立後も第一次世界大戦後までそれぞれに独立したまま運営された。

1920年にドイツ国営鉄道へ統合された時点で、路線長の合計は約2,000 kmに達していた。

歴史[編集]

設立[編集]

鉄道建設資金を調達するために1845年から1849年にかけて発行された、バーデン大公国の割増金つき債券

バーデン大公国は、ドイツの領邦の中ではブラウンシュヴァイク公国に次いで2番目に国家予算で鉄道を建設し運営した。1833年にマンハイムの事業家、ルートヴィヒ・ニューハウス (Ludwig Newhouse) がマンハイムからバーゼルまでの鉄道を建設する提案を初めて提出した。しかし当初はバーデン大公国政府からの支援は得られなかった。フリードリッヒ・リストによるものなど、他の鉄道建設提案もやはり当初は受け入れられなかった。隣接するフランスアルザスにおいて1837年にバーゼルからストラスブール(シュトラースブルク)までの鉄道を建設する会社が設立されて初めて、通商路をめぐる競争でアルザスに敗れるのを避けるために、バーデンにおいて鉄道を建設する真剣な検討が開始された。1838年3月29日にバーデンの議会の臨時会において、最初の路線であるマンハイムからバーゼル付近のスイス国境まで、そしてバーデン=バーデンへとストラスブールへの支線を建設するための3本の法律が制定された。主にカール・フリードリッヒ・ネベニウスドイツ語版の主張により、この鉄道の建設には政府が資金を出すことになった。1838年9月に建設に着手した。

鉄道の建設には内務省が責任を負っており、この目的のために鉄道建設局を内務省内に設置した。後にこの鉄道建設局は水・道路建設局へ統合された。一方で鉄道の運営に関しては対照的なことに外務省が責任を負っていた。これは郵便運営部門が外務省に置かれていたためで、これ以降郵便・鉄道局となった。1872年にバーデンの郵便部門がライヒスポスト(ドイツ帝国郵便)へ統合されたのち、バーデン大公国邦有鉄道として独立した鉄道部門が設置された。

幹線網の建設[編集]

ハイデルベルク駅からの列車の出発、1840年

最初の路線はバーデン本線ドイツ語版と呼ばれ、1840年から1863年にかけて順次開通した。マンハイムからハイデルベルクまでの最初の18.5 kmの区間は1840年9月12日に運行を開始した。その後カールスルーエまで1843年に、オッフェンブルクまで1844年に、フライブルクまで1845年に、シュリーンゲンドイツ語版まで1847年に、エフリンゲン=キルヒェンドイツ語版まで1848年に、そしてハルティンゲンドイツ語版まで1851年に開通した。ケールおよびバーデン=バーデンへの支線はそれぞれ1844年と1845年に開通した。本線をバーゼルまで延長するにはスイス政府との交渉が必要となり、バーデンからの路線をスイスの鉄道網に接続するのはバーゼルがよいか、ヴァルツフートがよいかで議論になっていたため、いくらか遅れることになった。

コンスタンツ駅、かつてのバーデン大公国邦有鉄道の駅に典型的な細い時計塔が残る

1852年7月27日の条約により合意が成立し、スイス領内にバーデン大公国邦有鉄道が路線を建設し運行することができるようになった。

バーデンの鉄道は当初、5フィート3インチ(1,600 mm、通称アイリッシュゲージ)軌間で建設されていた。これは広軌のほうが車両を大きくでき、強力な機関車を用いることができるというネベリウスの主張によるものである。当時周辺国では標準軌による鉄道の建設が始まっていたが、バーデンは交通網の要衝に位置するため、隣接国もいずれバーデンと同じ軌間を選ぶであろうと考えられていた。しかしこの思惑は外れ、隣接国すべてが標準軌を選択したことから、バーデン大公国邦有鉄道は1854年から1855年にかけて1年かからずにすべての路線を標準軌に改軌した[1]

バーデンの鉄道は、1855年にバーゼルに到達し、その後ヴァルツフートドイツ語版へ1856年に、コンスタンツに1863年に到達した。これにより全長414.3 kmのバーデン本線が完成した。重要な南北軸で、またコンスタンツ湖地区への連絡も行うバーデン本線の完成後は、鉄道網拡大計画の続きとしてプフォルツハイム地方へカールスルーエ - プフォルツハイム - ミュールアッカードイツ語版方面(1859年から1863年にかけて開通)、オーデンヴァルト、タウバーフランケン地方への連絡路線となるオーデンヴァルト線ドイツ語版(ハイデルベルク - モースバッハ - ヴュルツブルク、1862年から1866年にかけて開通)、カールスルーエからコンスタンツへバーゼルを迂回せずに直結するシュヴァルツヴァルト線ドイツ語版(1866年から1873年にかけて開通)などが進められていった。

隣接国への連絡[編集]

1870年時点でのバーデンにおける鉄道網計画

バーデン本線の建設中でも、既にスイスの鉄道網との接続計画が策定されていた。これはヴァルツフートでライン川にかかるロベルト・ゲルヴィヒドイツ語版の手による鉄道橋が1859年8月18日に開通したことで実現した。さらに1863年にはシャフハウゼンで、1871年にはコンスタンツで、1875年にはジンゲンドイツ語版でも接続された。ライン川の東岸にあるバーデン大公国邦有鉄道側のバーゼル・バーディッシャー駅と、ライン川の西岸にあるバーゼル中央駅を結ぶバーゼル連絡線ドイツ語版は1873年に開通した。こんにちではこの路線は、ドイツとスイスを結ぶもっとも重要な接続路線となっている。

北方のヴァインハイム - ダルムシュタット - フランクフルト・アム・マイン方面への連絡は、バーデン大公国邦有鉄道も運営に参画するマイン-ネッカー線ドイツ語版によって1846年に実現した。1879年にはリート線ドイツ語版も開通したが、バーデン大公国邦有鉄道はこの路線については保有していなかった。

1861年には、ケールとストラスブールの間でライン川に架かる橋が完成して、フランスとも直接結ばれた。プファルツ地方への開通は1865年にカールスルーエとマックスアウの間の舟橋を利用して実現し、またマンハイムとルートヴィヒスハーフェンの間も1867年に開通した。バイエルン王国との接続も、オーデンヴァルト線の開通により1866年に実現した。

ヴュルテンベルクとは、ドイツとアルプス山脈の峠を結ぶ交通需要の誘致を争っていた関係で、双方を結ぶ路線の交渉はとても難航することになった。バーデン側はプフォルツハイムを経由する路線を望んだのに対して、ヴュルテンベルクはより直接的にブルッフザールドイツ語版へ通じる路線を望んだ。1850年12月4日の条約により最終的に、ヴュルテンベルクはシュトゥットガルト - ミュールアッカー - ブレッテンドイツ語版 - ブルッフザールを直接結ぶヴュルテンベルク西線ドイツ語版をバーデン領内でも建設する権利を得る一方で、バーデンは一部でヴュルテンベルク領内を通過するカールスルーエ-ミュールアッカー線ドイツ語版の建設と運行を認められることになった。ブルッフザールへの連絡は1853年に開通した。

さらなる拡張[編集]

南部バーデンおよびドナウ川流域における1887年から1890年にかけての戦略路線の建設

以降のバーデン大公国邦有鉄道網の拡張は、地域の開発を目指したものか、あるいは軍事的な見地から実行された。主なものとしては以下のようなものがある。

1895年には、一部の短区間を除いてバーデンの鉄道網はほぼ完成に達した。1900年にはバーデン領内に1,996 kmの路線があり、このうち1,521 kmを邦有鉄道が所有していた。その後は、鉄道網の核となっているの拡張工事に主な努力が費やされた。大きな改造としては以下のようなものがある。

  • カールスルーエの新操車場、1895年
  • ラシュタットにおける新駅、1895年
  • フライブルクにおける新しい貨物バイパス線、1905年
  • バーゼルの新しい貨物駅、1905年
  • ブルッフザールの新しい貨物バイパス線、1906年
  • マンハイムの新操車場、1906年から1907年
  • オッフェンブルクの新駅・操車場、1911年
  • バーゼル・バーディッシャー駅の新駅、北のヴァイル・アム・ラインに付属する操車場を含む、1913年
  • カールスルーエの新しい中央駅、1913年
  • ハイデルベルクの新しい操車場および貨物駅、1914年

新しく建設中であったハイデルベルク中央駅は、第一次世界大戦の勃発のため完成に漕ぎ着けられなかった。完成するのは1955年を待つことになる。

邦有鉄道により営業される私鉄[編集]

バーデンにおける路線の中には私有企業によって建設されたものもあったが、邦有鉄道によって運行されており、ほとんどの場合は後に買収された。1862年に開通したヴィーゼンタール線ドイツ語版(バーゼル - ショプフハイムドイツ語版 - ツェル・イム・ヴィーゼンタールドイツ語版)のような、地域的な重要性しかない支線に限らず、主要路線でもそうした例があった。鉄道路線がなく鉄道網へのより良い連絡を望んでいた町による運動だけではなく、大きな都市でも周辺地域を開発して交通の核としての地位を強化しようとしてこうした鉄道路線の建設にかかわるものがあった。たとえばマンハイムは、北へ通じるマイン-ネッカー線の開通によりバーデンの幹線がフリードリヒスフェルト(マンハイムの一部)とハイデルベルクの両方でマイン-ネッカー線と接続するようになって以来、交通網の中心から外れてしまっていたことから脱却するために、ハイデルベルクを経由せずにカールスルーエへ直接到達できる路線を推進しようとした。これに対抗して、ハイデルベルクは交通の核としての重要性を確実にするためにハイデルベルク - シュヴェツィンゲン - シュパイアー線の建設を推進した。

私有企業が建設し、邦有鉄道によって運行された鉄道の中で、重要なものとしては以下のようなものがある。

ドイツ国営鉄道への合併[編集]

1945年以前にバーデンにおいて建設された鉄道網

1920年4月1日付でドイツ国営鉄道(ドイツ国鉄)が発足し、バーデン大公国邦有鉄道もこれに統合された。カールスルーエにあった本社事務所はカールスルーエ鉄道局となった。国鉄の発足により、バーデンの路線建設計画はキャンセルされることになり、以降は4本の新線のみが建設された。

ブレッテンからキュルンバッハドイツ語版までの路線(およびレオンブロンにおけるツァーベルゴイ線ドイツ語版との接続を視野に入れていた)の建設工事は着手されたが、完成することはなかった。

電気鉄道の運転[編集]

バーデン大公国邦有鉄道は、ヴィーゼンタール線のバーゼル - ツェル・イム・ヴィーゼンタール間およびその支線であるショプフハイム - バート・ゼッキンゲンドイツ語版間において1913年9月13日から、交流15 kV16 2/3 Hz電化による電気鉄道の運転を開始した。試作のA¹型電気機関車に続いて、11両のA²型およびA³型(のちにドイツ国鉄E61型となる)が導入された。これらはすべて、サイドロッド駆動式の3動軸機であった。ヴィーゼンタール線の電化は主として電気鉄道の試験目的で行われ、輸送上は特に大きな意味を持っていなかった。第一次世界大戦後は深刻な経済状況から電気運転のさらなる拡大は行われず、バーデンの鉄道網の電化が大きく進展するのは1952年以降のことになった。

路線[編集]

バーデン大公国邦有鉄道の路線の開通状況は以下の通りである。

区間 路線 開通
マンハイム - ハイデルベルク ラインタール線ドイツ語版 1840年9月12日
ハイデルベルク - カールスルーエ ラインタール線ドイツ語版 1843年4月10日
カールスルーエエットリンゲンドイツ語版ラシュタット ラインタール線ドイツ語版 1844年5月1日
ラシュタットオースドイツ語版 ラインタール線ドイツ語版 1844年5月6日
オースドイツ語版オッフェンブルク ラインタール線ドイツ語版 1844年6月1日
アッペンヴァイアードイツ語版ケール アッペンヴァイアー-ストラスブール線ドイツ語版 1844年6月1日
オースドイツ語版バーデン=バーデン 1845年7月27日
オッフェンブルクフライブルク ラインタール線ドイツ語版 1845年8月1日
フライブルクミュルハイムドイツ語版 ラインタール線ドイツ語版 1847年6月1日
ミュルハイムドイツ語版シュリーンゲンドイツ語版 ラインタール線ドイツ語版 1847年6月15日
シュリーンゲンドイツ語版エフリンゲン=キルヒェンドイツ語版 ラインタール線ドイツ語版 1848年11月8日
エフリンゲン=キルヒェンドイツ語版ハルティンゲンドイツ語版 ラインタール線ドイツ語版 1851年1月22日
マンハイム臨港線 1854年11月9日
ハルティンゲンドイツ語版バーゼル・バーディッシャー駅 ラインタール線ドイツ語版 1855年2月20日
バーゼル・バーディッシャー駅バート・ゼッキンゲンドイツ語版 ホーホライン線ドイツ語版 1856年2月4日
バート・ゼッキンゲンドイツ語版ヴァルツフートドイツ語版 ホーホライン線ドイツ語版 1856年10月30日
デュルラッハドイツ語版ヴィルフェルディンゲン=ジンゲンドイツ語版 カールスルーエ-ミュールアッカー線ドイツ語版 1859年8月10日
ヴァルツフートドイツ語版コブレンツドイツ語版¹ トゥルギ-コブレンツ-ヴァルツフート線ドイツ語版 1859年8月18日
ケールストラスブール¹ アッペンヴァイアー-ストラスブール線ドイツ語版 1861年5月11日
ヴィルフェルディンゲン=ジンゲンドイツ語版プフォルツハイム カールスルーエ-ミュールアッカー線ドイツ語版 1861年7月4日
ハイデルベルクメッケスハイムモースバッハ オーデンヴァルト線ドイツ語版 1862年10月23日
プフォルツハイムミュールアッカードイツ語版 カールスルーエ-ミュールアッカー線ドイツ語版 1863年6月1日
ヴァルツフートドイツ語版シャフハウゼンジンゲンドイツ語版コンスタンツ ホーホライン線ドイツ語版 1863年6月13日
オッフェンブルクハウザッハドイツ語版 シュヴァルツヴァルト線ドイツ語版 1866年7月2日
モースバッハオスターブルケンラウダハイディングスフェルトドイツ語版 オーデンヴァルト線ドイツ語版 1866年8月25日
ジンゲンドイツ語版エンゲンドイツ語版 シュヴァルツヴァルト線ドイツ語版 1866年9月6日
ラードルフツェル・アム・ボーデンゼードイツ語版シュトッカッハドイツ語版 ヘーガウ-アーブラッハタール線ドイツ語版 1867年7月20日
マンハイムルートヴィヒスハーフェン ¹ プファルツ・ルートヴィヒ線ドイツ語版 1867年8月10日
ラウダ – ホーホハウゼン (Hochhausen) タウバータール線ドイツ語版 1867年10月10日
エンゲン (Engen) – ドナウエッシンゲン シュヴァルツヴァルト線ドイツ語版 1868年6月15日
メッケスハイムバート・ラッペナウ エルゼンツタール線ドイツ語版 1868年6月25日
ホーホハウゼン (Hochhausen) – ヴェルトハイム タウバータール線ドイツ語版 1868年10月15日
バート・ラッペナウヤクストフェルト エルゼンツタール線ドイツ語版 1869年8月5日
ドナウエッシンゲンフィリンゲンドイツ語版 シュヴァルツヴァルト線ドイツ語版 1869年8月16日
ケーニヒスホーフェンバート・メルゲントハイム タウバータール線ドイツ語版 1869年10月23日
シュトッカッハドイツ語版メスキルヒ ヘーガウ-アーブラッハタール線ドイツ語版 1870年2月3日
ヴァイル・アム・ラインサン=ルイフランス語版 ¹ 1872年2月11日
シュヴァッケンロイテドイツ語版プフーレンドルフドイツ語版 アルツハウゼン-シュヴァッケンロイテ線ドイツ語版 1873年8月11日
メスキルヒメンゲンドイツ語版 ヘーガウ-アーブラッハタール線ドイツ語版 1873年9月6日
クラウヒェンヴィースドイツ語版ジグマリンゲンドイツ語版 ジグマリンゲン-クラウヒェンヴィース線ドイツ語版 1873年9月6日
ハウザッハドイツ語版フィリンゲンドイツ語版 シュヴァルツヴァルト線ドイツ語版 1873年11月1日
ブルッフザールドイツ語版グラーベン=ノイドルフドイツ語版 – ラインスハイム (Rheinsheim) ブルーライン線ドイツ語版 1874年11月23日
ラウヒリンゲンドイツ語版シュテューリンゲンドイツ語版 ヴータッハタール線ドイツ語版 1875年4月22日
シュテューリンゲンドイツ語版 – ヴァイツェン(シュテューリンゲン近郊) ヴータッハタール線ドイツ語版 1876年10月15日
ラインスハイム – ゲルマースハイム ¹ ブルーライン線ドイツ語版 1877年5月15日
ミュルハイムドイツ語版ノイエンブルク・アム・ラインドイツ語版ミュールハウゼン ¹ - 1878年2月6日
ハウザッハドイツ語版ヴォルファッハドイツ語版 キンツィヒタール線ドイツ語版 1878年7月15日
ネッカーゲミュントエーバーバッハヤクストフェルト ネッカータール線ドイツ語版 1879年5月24日
マンハイム=フリードリヒスフェルトドイツ語版シュヴェツィンゲン 1880年6月1日
ヴォルファッハドイツ語版シルタッハドイツ語版 キンツィヒタール線ドイツ語版 1886年11月4日
フライブルクノイシュタット(シュヴァルツヴァルト)ドイツ語版 ヘレンタール線ドイツ語版 1887年5月23日
ゼッカッハ - ヴァルデュルン ゼッカッハ-ミルテンベルク線 1887年12月1日
ヴァイル・アム・ライン – レラッハ (Lörrach) ヴァイル・アム・ライン-レラッハ線ドイツ語版、スイスを迂回するための戦略路線 1890年5月20日
ショプフハイムドイツ語版バート・ゼッキンゲンドイツ語版 ヴェーラタール線ドイツ語版、スイスを迂回するための戦略路線 1890年5月20日
ヴァイツェン(シュテューリンゲン近郊) – イメンディンゲンドイツ語版 ヴータッハタール線ドイツ語版、スイスを迂回するための戦略路線 1890年5月20日
ドナウエッシンゲン - ヒューフィンゲンドイツ語版 ブレークタール線ドイツ語版 1892年10月20日
グラーベン=ノイドルフドイツ語版ブランケンロッホドイツ語版カールスルーエドゥルマースハイムドイツ語版ラシュタット – ロッペンハイム(アルザス)¹ - 1895年5月1日
カールスルーエ新操車場 1895年5月1日
カールスルーエ操車場 - カールスルーエ西 - クニーリンゲン (Knielingen) 1895年5月1日
シュターリンゲンドイツ語版ユーバーリンゲンドイツ語版 ボーデンゼーギュルテル線ドイツ語版 1895年8月18日
ヴァルデュルンアモールバッハ¹ ゼッカッハ-ミルテンベルク線 1899年9月20日
シュタインスフルトエッピンゲン 1900年11月15日
ヴァルトキルヒドイツ語版エルツァッハドイツ語版 エルツタール線ドイツ語版 1901年8月20日
ノイシュタット(シュヴァルツヴァルト)ドイツ語版ヒューフィンゲンドイツ語版 ヘレンタール線ドイツ語版 1901年8月20日
ユーバーリンゲンドイツ語版フリードリヒスハーフェン¹ ボーデンゼーギュルテル線ドイツ語版 1901年10月1日
オーバーウールディンゲンドイツ語版ウンターウールディンゲンドイツ語版 オーバーウールディンゲン-ミュールホーフェン-ウンターウールディンゲン線ドイツ語版 1901年10月2日
マルバッハドイツ語版バート・デュルハイムドイツ語版 マルバッハ-バート・デュルハイム線ドイツ語版 1904年7月31日
フライブルク貨物バイパス線 1905年9月4日
マンハイム=ライナウドイツ語版 - ブリュール ライナウ-ケッチュ線 1905年10月1日
ミメンハウゼン=ノイフラッハ (Mimmenhausen-Neufrach) – フリッキンゲンドイツ語版 1905年12月1日
バーゼル新貨物駅 1905年12月15日
ブルッフザールドイツ語版貨物バイパス線 1906年1月29日
マンハイム新操車場南部 1906年10月1日
マンハイム新操車場北部 1907年5月1日
カッペル・グータッハブリュッケドイツ語版 – レンツキルヒ (Lenzkirch) – ボンドルフ (Bonndorf) カッペル・グータッハブリュッケ-ボンドルフ(シュヴァルツヴァルト)線ドイツ語版 1907年9月24日
ヴァイゼンバッハドイツ語版フォルバッハドイツ語版 ムルクタール線ドイツ語版 1910年6月15日
新オッフェンブルク駅およびヴィントシュレーク - オッフェンブルク貨物線 1911年11月6日
ヴァルデュルンハルトハイム ヴァルデュルン-ハルトハイム線ドイツ語版 1911年11月23日
ブリュール (バーデン)ケッチュ ライナウ-ケッチュ線 1912年7月1日
バーゼル・バーディッシャー駅 1913年9月13日
カールスルーエ中央駅 1913年10月23日
ジンゲンドイツ語版ボイレン=ビュースリンゲンドイツ語版 ランデン線ドイツ語版 1913年11月21日
新ハイデルベルク貨物駅 1914年3月2日
タウバービショフスハイムケーニヒハイム タウバービショフスハイム-ケーニヒハイム線ドイツ語版 1914年12月1日
フォルバッハドイツ語版 – ラウミュンツァッハ (Raumünzach) ムルクタール線ドイツ語版 1915年6月4日

¹ 国境を越える路線については、バーデン邦有鉄道に属する区間についてのみ記載した。バーゼル連絡線は、スイス中央鉄道とバーデン邦有鉄道が共同で出資して建設された。ヘレンタール線の計画区間であったドナウエッシンゲン - ヒューフィンゲン間は政府の予算で建設されたが、当初はブレグタール線ドイツ語版の区間として私鉄として運営・管理されていた。ヘレンタール線が1901年に開業した後、この区間の管理はバーデン邦有鉄道に引き継がれ、共同運行が開始された。

邦有鉄道が運行していた私鉄

区間 路線 開通日 建設者
バーゼル・バーディッシャー駅ショプフハイムドイツ語版 ヴィーゼンタール線ドイツ語版 1862年6月7日 ヴィーゼンタール鉄道会社
カールスルーエマックスアウドイツ語版 マックスアウ線ドイツ語版 1862年8月5日 カールスルーエ市
マックスアウドイツ語版マクシミリアンスアウドイツ語版¹ マックスアウ線ドイツ語版 1865年5月8日 カールスルーエ市
ディングリンゲン (Dinglingen) – ラール/シュヴァルツヴァルトドイツ語版 ラール-ラール・シュタット線ドイツ語版 1865年11月15日 ラール鉄道会社
ラシュタットゲルンスバッハドイツ語版 ムルクタール線ドイツ語版 1869年6月1日 ムルクタール鉄道会社
マンハイムシュヴェツィンゲングラーベン=ノイドルフドイツ語版 - エッゲンシュタインドイツ語版カールスルーエ ライン線ドイツ語版 1870年8月4日 マンハイム市
フライブルクブライザッハドイツ語版 フライブルク-コルマール線ドイツ語版 1871年2月6日 フライブルク市、ブライザッハ町
ハイデルベルクシュヴェツィンゲン ハイデルベルク-シュパイアー線ドイツ語版 1873年7月17日 ハイデルベルク-シュパイアー鉄道会社
シュヴェツィンゲンシュパイアー ハイデルベルク-シュパイアー線ドイツ語版 1873年12月10日 ハイデルベルク-シュパイアー鉄道会社
デンツリンゲンドイツ語版ヴァルトキルヒドイツ語版 エルツタール線ドイツ語版 1875年1月1日 ヴァルトキルヒ町
ショプフハイムドイツ語版ツェル・イム・ヴィーゼンタールドイツ語版 ヴィーゼンタール線ドイツ語版 1876年2月5日 シュプフハイム-ツェラー鉄道会社
アッペンヴァイアードイツ語版オッペナウドイツ語版 レンヒタール線ドイツ語版 1876年6月1日 レンヒタール鉄道会社
ブライザッハ・アム・ラインドイツ語版コルマール ¹ フライブルク-コルマール線ドイツ語版 1878年1月5日 フライブルク市、ブライザッハ市、バーデン政府
グレーツィンゲンドイツ語版ブレッテンドイツ語版エッピンゲン クライヒガウ線ドイツ語版 1879年10月15日 カールスルーエ市
エットリンゲンドイツ語版西 - エットリンゲン・エルププリンツ アルプタール線ドイツ語版 1885年8月25日 エットリンゲン町、1898年1月1日からバーデン地方鉄道ドイツ語版
エットリンゲン・エルププリンツ – エットリンゲン・シュタット アルプタール線ドイツ語版 1887年7月15日 エットリンゲン町、1898年1月1日からバーデン地方鉄道ドイツ語版
ゲルンスバッハドイツ語版ヴァイゼンバッハドイツ語版 ムルクタール線ドイツ語版 1894年5月1日 ムルクタール鉄道会社

1899年1月1日にバーデン地方鉄道による運行となったエットリンゲン西 - エットリンゲン・シュタットの区間を除き、邦有鉄道が運行していたこれらの私鉄は後にすべて国有化された。

唯一建設された狭軌の路線である、モースバッハからムーダウまでの区間(1905年6月3日開業)については特殊な方式があった。民間企業のフェリンク・ウント・ヴェヒターが契約を結んで、この路線を建設し運行していた。

区間(軌間1,000 mm 開通 建設者 運行
モースバッハ-ムーダウ線ドイツ語版 1905年6月3日 フェリンク・ウント・ヴェヒタードイツ語版 フェリンク・ウント・ヴェヒター、1917年4月1日からバーデン地方鉄道、1931年5月1日からドイツ国営鉄道

バーデン邦有鉄道が運行していたこれらの路線以外にも、1889年以降に建設された完全な私鉄もあった。

ドイツ国営鉄道は、バーデンの鉄道網に以下の路線網を1945年までに完成させた。

区間 路線 開通
オッペナウドイツ語版バート・ペータースタールドイツ語版 レンヒタール線ドイツ語版 1926年11月28日
ティティゼードイツ語版 - ゼーブルック (Seebrugg) ドライゼーエン線ドイツ語版 1926年12月1日
ラウミュンツァッハ (Raumünzach) – クロスターライヒェンバッハドイツ語版 ムルクタール線ドイツ語版 1928年4月13日
ネッカーシュタイナハシェーナウ ネッカーシュタイナハ-シェーナウ線ドイツ語版 1928年10月21日
バート・ペータースタールドイツ語版バート・グリースバッハ・イム・シュヴァルツヴァルトドイツ語版 レンヒタール線ドイツ語版 1933年5月25日
トゥットリンゲンドイツ語版 – ハッティンゲン (Hattingen) ゴイ線ドイツ語版 1934年5月15日
フライブルクフライブルク=ヴィーレドイツ語版 ヘレンタール線ドイツ語版 1934年11月8日

また、外国の国有鉄道でバーデン領内に建設されたものがいくつかあった。ブレッテン-ブルッフザール間は1878年にバーデン邦有鉄道に移管された。

区間 路線 開通 運営者
ハイデルベルクヴァインハイムフランクフルト・アム・マイン マイン-ネッカー線ドイツ語版 1846年8月1日 マイン-ネッカー鉄道
ミュールアッカードイツ語版ブレッテンドイツ語版ブルッフザールドイツ語版 西線ドイツ語版 1853年12月1日 王立ヴュルテンベルク邦有鉄道
プフォルツハイムバート・ヴィルトバート エンツタール線ドイツ語版 1868年6月11日 王立ヴュルテンベルク邦有鉄道
ロットヴァイルドイツ語版フィリンゲンドイツ語版 1869年8月26日 王立ヴュルテンベルク邦有鉄道
ヤクストフェルトオスターブルケン 1869年9月27日 王立ヴュルテンベルク邦有鉄道
トゥットリンゲンドイツ語版イメンディンゲンドイツ語版 ドナウタール線ドイツ語版 1870年7月26日 王立ヴュルテンベルク邦有鉄道
コンスタンツクロイツリンゲン・ハーフェンドイツ語版ローマンスホルンドイツ語版 ゼー線ドイツ語版 1871年7月1日 スイス北東鉄道
バーゼル・バーディッシャー駅バーゼル中央駅 バーゼル連絡線ドイツ語版 1873年11月3日 スイス中央鉄道ドイツ語版
プフォルツハイムカルフ ナーゴルトタール線ドイツ語版 1874年6月1日 王立ヴュルテンベルク邦有鉄道
ジンゲンドイツ語版 – エッツヴィレン (Etzwilen) – ヴィンタートゥール 1875年7月17日 スイス国民鉄道ドイツ語版
コンスタンツクロイツリンゲンドイツ語版– エッツヴィレン (Etzwilen) 1875年7月17日 スイス国民鉄道ドイツ語版
プフレンドルフドイツ語版アウレンドルフドイツ語版 1875年8月14日 王立ヴュルテンベルク邦有鉄道
マンハイム・ネッカーシュタット – ビブリス リート線ドイツ語版 1879年10月15日 ヘッセン・ルートヴィヒ鉄道ドイツ語版
マンハイム=ヴァルトホーフドイツ語版ケーファータールドイツ語版マンハイム中央駅 リート線ドイツ語版 1880年5月1日 ヘッセン・ルートヴィヒ鉄道ドイツ語版
シュヴァイゲルンエッピンゲン クライヒガウ線ドイツ語版 1880年8月18日 王立ヴュルテンベルク邦有鉄道
ローア・アム・マインドイツ語版ヴェルトハイム マインタール線ドイツ語版 1881年10月1日 王立バイエルン邦有鉄道
エアバッハエーバーバッハ オーデンヴァルト線ドイツ語版 1882年5月27日 ヘッセン・ルートヴィヒ鉄道ドイツ語版
フロイデンシュタットドイツ語版シルタッハドイツ語版 キンツィヒタール線ドイツ語版 1886年11月4日 王立ヴュルテンベルク邦有鉄道
トゥットリンゲンドイツ語版ジグマリンゲンドイツ語版 ドナウタール線ドイツ語版 1890年11月27日 王立ヴュルテンベルク邦有鉄道
シュランベルクドイツ語版シルタッハドイツ語版 1892年11月9日 王立ヴュルテンベルク邦有鉄道
ヴァインハイムフュルト ヴェシュニッツタール線ドイツ語版 1895年 プロイセン=ヘッセン鉄道共同体ドイツ語版
シャフハウゼンイェシュテッテンドイツ語版エーグリザウドイツ語版 1897年6月1日 スイス北東鉄道
ヴァインハイムラムパートハイム ヴァインハイム-ヴォルムス線ドイツ語版 1905年 プロイセン=ヘッセン鉄道共同体ドイツ語版
ミルテンベルクヴェルトハイム マインタール線ドイツ語版 1912年10月1日 王立バイエルン邦有鉄道

鉄道車両[編集]

バーデン邦有鉄道向けの最初の2両の蒸気機関車は、イギリスシャープ・ロバーツによって製造され、1839年に納入された。この2両はレーヴェ(ライオン)とグライフ(グリフォン)と名付けられた。鉄道網が拡張されるにつれて、鉄道車両も急速に増備されていった。1854年から1855年にかけて、広軌から標準軌に改軌した時点で、66両の機関車、65両のタンク機関車、1,133両の貨車があった。第一次世界大戦終結時点では、915両の機関車、27,600両の貨車、2,500両の客車が在籍していたが、ヴェルサイユ条約に基づく連合国に対する戦後賠償として、106両の機関車、7,307両の貨車、400両の客車が引き渡された。バーデンの機関車の一覧は、Liste der badischen Lokomotiven und Triebwagen(バーデンの機関車と動車の一覧)を参照。

バーデン邦有鉄道は、地元の会社から車両を購入することを好み、バーデンの鉄道車両工業の成長に貢献した。エミール・ケスラードイツ語版(のちにエスリンゲンドイツ語版を設立する)の工場やカールスルーエのマルティエンゼンの工場で、後者はのちにカールスルーエ機械製造ドイツ語版となった。また1862年にハイデルベルクに設立されたフックス車両製造ドイツ語版と、1897年にラシュタットに設立されたラシュタット車両製造ドイツ語版という2つの客車メーカーも発展した。

注釈[編集]

  1. ^ 松永 2000, pp. 64-65

参考文献[編集]

  • Karl Müller, Die badischen Eisenbahnen in historisch-statistischer Darstellung. Heidelberger Verlagsanstalt und Druckerei, Heidelberg 1904 (Online-Version)
  • Albert Kuntzemüller, Die Badischen Eisenbahnen. Verlag G. Braun, Karlsruhe 1953
  • Wolfgang von Hippel, Joachim Stephan, Peter Gleiber, Hans-Jürgen Enzweiler, Eisenbahn-Fieber: Badens Aufbruch ins Eisenbahnzeitalter. Verlag Regionalkultur, 1990
  • Fridolin Schell, 110 Jahre Eisenbahndirektion Karlsruhe. Eisenbahn-Kurier Verlag, 1982
  • 小池滋; 青木栄一; 和久田康雄, eds. (2010), 鉄道の世界史, 悠書館, ISBN 978-4-903487-32-8 
    • 松永和生, “ドイツ・オーストリア”, pp. 49-94 

外部リンク[編集]