スイス軍

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スイス軍(スイスぐん、ドイツ語:Schweizer Armee、フランス語:Armée suisse、イタリア語:Esercito svizzero、ロマンシュ語:Armada svizra)は、スイスの国軍。最高指揮官は大統領であるが、実質的な権限は首相が有する。スイス軍の管理・運営は連邦参事会が行う。常備軍を構成するのは約4000名の職業軍人であるが、徴兵制度により21万名の予備役を確保している。傭兵の歴史を持つスイスでは、国民皆兵を国是としており、徴兵制度を採用している。また、外国がスイス国内に基地等の軍事施設を設置することも認めていない。

歴史[編集]

スイス国家の起源とされる盟約者団が成立した時、まだスイス国家としての軍隊はなく、加盟各国ごとに軍隊が保有されていた。1315年モルガルテンの戦いドイツ語版英語版において、盟約者団の同盟軍が、ハプスブルク家に勝利したことにより、盟約者団の実力が周囲に認識されるようになった[1]

17世紀に三十年戦争が起きてスイスにも戦火の及ぶ危険が高まったことを機に、盟約者団13邦がヴィール防衛軍事協定を締結して、スイス国家としての連邦軍が創設された。加盟各国が兵員を提供し、共通の参謀会議も設置された。スイスが連邦軍を組織して中立を維持したことが評価され、ヴェストファーレン条約におけるスイス独立につながった[2]

分離同盟戦争による内乱後の1848年に連邦憲法が制定され、連邦政府の軍事権限が明確化された。1848年憲法は、連邦としての常備軍保有を否定し、カントン(州)ごとの常備軍も300人を上限とした[3]。他方で国民皆兵を規定し、有事には人口の3%規模の連邦正規軍及びその半数の規模の予備軍を編成するものと定められた[3]。1848年憲法に基づくスイス連邦軍は、普仏戦争で危機が高まった際に総動員を実施したが、編制や装備など様々な不備があって有効に機能しなかった[4]

普仏戦争時に不備が顕になった1848年憲法による軍制は、1874年に成立した以前よりも中央集権的な改正連邦憲法の下で改革が進められた。改正憲法下では防衛関連法規の制定や軍事力の育成が、連邦政府の権限となった[4]第一次世界大戦においてもスイス軍は動員され、同国の武装中立の維持に務めたが、戦争の長期に伴う動員体制の継続が財政を圧迫して戦時税制が導入された[5]

第二次世界大戦の開戦前、スイスはフランスおよびドイツから戦闘機を大量に購入、またはライセンス生産して航空戦力を整えた。第二次世界大戦の開戦と同時に、スイスは国際社会に対して「武装中立」を宣言し、侵略者に対しては焦土作戦で臨むことを表明。アンリ・ギザンを軍の最高司令官に選出した。スイス国民に対しては、侵略者への降伏を禁ずる動員令を布告し、一時期は850,000人を軍に動員した。スイス軍は、1907年の万国平和会議(ハーグ会議)で定められた国際法上の「中立義務」を果たすため、領空を侵犯する航空機があれば、連合国側・枢軸国側を問わず迎撃機を発進させて退去や強制着陸を指示し、場合によっては撃墜した。第二次世界大戦中、スイスでは約7400回の空襲警報が発令され[6]、航空隊のスクランブル発進以外に高射砲部隊も火力を有効に発揮して航空隊を支援した。スイス軍は領空侵犯機25機を撃墜したほか、アメリカ軍機だけで166機がスイス領内に入って事故で墜落・不時着・終戦まで抑留といった運命になった[6]。被撃墜以外で墜落した領空侵犯機は52機、不時着機は177機に上る[6]。スイス軍は航空機約200機を喪失した[6]。陸上では、ナチス・ドイツのフランス侵攻後に連合国軍の敗残兵約42000人が入国してきたのを武装解除して抑留した[7]

近年では、国際テロリズムへの対処と、国連加盟国として国際貢献を行うために必要となる軍のプロフェッショナル化を図るため、徴兵制を廃止して志願制に切り替える法案が3回、国民投票にかけられたが、いずれも否決されている。

機構[編集]

二軍[編集]

スイス軍は、陸軍、空軍の二軍種から成る。陸軍は、国際河川であるライン川および国境地帯の湖を警備するための巡視船艇を有し、隷下に「船舶部隊」を編成している。装備する主力戦車はドイツ製の「レオパルト2A4」。空軍は、アメリカ製戦闘攻撃機「F/A-18Cホーネット」を約30機保有している。これに加えて、近い将来にはスウェーデンの「サーブ 39 グリペンNG型」を約20機導入する予定である。冷戦の終結後は、戦闘機を平日の日中のみ運用し、夜間と休日の運用は控えている。平時のスクランブル発進は、平日のみ実施している。

統制機関[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 飯山(2005年)、15頁。
  2. ^ 飯山(2005年)、21-22頁。
  3. ^ a b 飯山(2005年)、30-31頁。
  4. ^ a b 飯山(2005年)、46-47頁。
  5. ^ 飯山(2005年)、59頁。
  6. ^ a b c d 飯山(2005年)、145頁。
  7. ^ 飯山(2005年)、113頁。

参考文献[編集]

  • 飯山幸伸 『中立国の戦い』 光人社〈光人社NF文庫〉、2005年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 公式サイト(ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語)