スイスの映画

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スイスの映画(-えいが)は、スイスに属する人的・物的リソースで製作される映画である。スイスの映画祭によって行なわれるプロモーションや、映画に関するさまざま保護・助成活動もこれに含む。国内における言語の違いと文化的多様性が、スイスにおける映画史を形づくっている。ドキュメンタリー映画、アートフィルムや実験映画、そして大衆的な商業映画が存在し、作品群についても作家たちについても、情報源の多様さより以上の多様性が存在している。

略歴・概要[編集]

スイスにおける最初の公開された映画上映は、1896年(明治29年)にジュネーヴで開かれた内国博覧会でのことであった。移動上映が、展示会場や音楽ホールやサーカス小屋で行なわれ、そして最初のいくつかの映画館が出現した。1920年代後半までのサイレント映画の時代には、スイス人による映画製作はほとんど行なわれなかった。1920年代初頭には、レマン湖畔のジュネーヴやローザンヌのスタジオが、映画製作のためのインフラを提供した。

1930年代から1950年代にかけての原初的なスイス映画は、原則的にはドイツ語圏のスイスであった。チューリッヒの映画プロダクションであるプレゼンス・フィルムが国際的な名声を得ることで、スイス映画は、レオポルト・リントベルク監督の戦争映画『最後のチャンス』(Die Letzte Chance, 1945年)のような人道主義的アンガージュマンの映画と同義語となった。そういった映画は、スイスのドイツ方言で撮影された。

ジャン=リュック・ゴダールが中心的な役割を担ったヌーヴェルヴァーグは、1960年代におもにスイス西部のフランス語圏で展開された。同地のテレビ局であるテレヴィジオン・スイス・ロマンドは、アラン・タネールクロード・ゴレッタミシェル・ステーら「グループ5」のメンバーとともに、劇映画の共同製作を行なった。現在スイスでは、さまざまな異なるジャンルの映画が共存している。ドキュメンタリーの分野では、例えばクリスチャン・フレー監督の『戦場のフォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイの世界』(War Photographer, 2001年)が第74回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされている。

ロカルノ国際映画祭は、インディペンデントの映画作家の作品の映画祭であり、国際的な名声を得ている。スイス映画賞を毎年発表しているソロトゥルン映画祭を通じて、スイス映画に賞が与えられている。スイスは、ボリウッドの多数のインド映画の撮影にインフラを提供している[1]

おもなフィルモグラフィ[編集]

映画製作[編集]

映画監督[編集]

脚本家[編集]

撮影監督[編集]

俳優[編集]

映画祭[編集]

関係機関[編集]

[編集]

  1. ^ Le charme de la Suisse transporté par Bollywood, bilan.ch, du 21 mai 2008年5月21日付、2008年9月24日閲覧。