ファビアン・カンチェラーラ

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ファビアン・カンチェラーラ
(ファビアン・カンチェッラーラ)
Fabian Cancellara
Cycling (road) pictogram.svg
PR2013 Cancellara 2.JPG
個人情報
本名 ファビアン・カンチェラーラ
Fabian Cancellara
愛称 Spartacus(スパルタクス
カンチェ
生年月日 1981年3月18日(33歳)
国籍 スイスの旗 スイス
身長 186cm
体重 82kg
チーム情報
所属 トレック・ファクトリー・レーシング
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 タイムトライアルスペシャリスト
クラシックスペシャリスト
パンチャー
プロ所属チーム
2001-2002
2003-2005
2006-2010



2011
2012-2013

2014-
マペイ・クイックステップ
ファッサボルトロ
チームCSC
チームCSC-サクソバンク
チーム・サクソバンク
レオパード・トレック
レディオシャック・ニッサン
レディオシャック・レオパード・トレック
トレック・ファクトリー・レーシング
主要レース勝利

Arc en ciel.png世界選手権

MaillotMundialCrono.PNG ITT (2006-2007, 2009-2010)

Gold medal.svg北京オリンピック・個人タイムトライアル (2008)
ツール・ド・フランス 通算8勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ 通算2勝
ティレーノ〜アドリアティコ 総合優勝 (2008)
ツール・ド・スイス 総合優勝 (2009)
パリ〜ルーベ (2006, 2010, 2013)
ミラノ〜サンレモ (2008)
E3・ハレルベーク (2010-2011, 2013)
ロンド・ファン・フラーンデレン (2010,2013,2014)
MaillotSuiza.PNGスイス選手権

ロード (2009, 2011)
個人TT (2002, 2004-2008, 2012)
 
獲得メダル
オリンピック
2008 北京 個人ロードレース
2008 北京 個人タイムトライアル
世界選手権自転車競技大会
2010 メルボルン 個人TT
2009 メンドリージオ 個人TT
2007 シュトゥットガルト 個人TT
2006 ザルツブルク 個人TT
1999 ヴェローナ ジュニア個人TT
1998 ファルケンブルフ ジュニア個人TT
2000 プルエー U-23 個人TT
2005 マドリード 個人TT
最終更新日
2014年4月11日

ファビアン・カンチェラーラ(Fabian Cancellara、1981年3月18日 - )はスイスベルン出身のプロ自転車ロードレース選手。「カンチェッラーラ」「カンチェララ」「カンセララ」等と表記されることもある。2001年にマペイ・クイックステップでプロデビュー。

一定距離を単独走行してタイムを競うタイムトライアル競技では「異次元」としばしば形容される[1][2] 圧倒的な強さを発揮し、ツール・ド・フランスでのステージ優勝や2006年~2007年と2009年~2010年の世界選手権個人タイムトライアルを2度の2連覇などを達成しているタイムトライアルスペシャリスト

経歴[編集]

ファッサボルトロ時代[編集]

1998年1999年世界選手権ジュニア・タイムトライアル2連覇、2000年世界選手権U-23・タイムトライアル2位の実績を引っさげて2001年にプロ転向。翌2002年にはスイス選手権のタイムトライアルで優勝する。

ファッサボルトロに移籍してからは、アレサンドロ・ペタッキのアシストとして注目を浴びるとともに、自身も2003年ツール・ド・ロマンディツール・ド・スイスのプロローグを制するなどタイムトライアルの実力に磨きをかけていく。

2004年は再びスイス選手権のタイムトライアルで優勝したほか、ツール・ド・フランスプロローグの個人タイムトライアルでランス・アームストロングに2秒差をつけて勝利。グランツールでも初のステージ優勝を果たす。

2005年は、スイス選手権のタイムトライアルを連覇したほか、世界選手権の個人タイムトライアルでも3位に入った。

世界選手権連覇[編集]

2006年チームCSCへ移籍。パリ〜ルーベを制してクラシックでの初勝利を達成したほか、ティレーノ~アドリアティコカタルーニャ一周の個人タイムトライアルステージでも優勝し、スイス選手権のタイムトライアルでは3連覇を達成。さらに同年の世界選手権では個人タイムトライアルで優勝し、念願の世界王者となった。

2007年にはツール・ド・フランスのプロローグの個人タイムトライアルで圧勝し、マイヨ・ジョーヌに袖を通し、第3ステージではゴールまで1kmの地点で集団から飛び出し、自慢の独走力を生かしてステージ優勝をもぎ取るなどして、第6ステージまでマイヨ・ジョーヌを守り、レース序盤の主役となった。また、スイス選手権のタイムトライアルでは4連覇を達成。世界選手権の個人タイムトライアルでも2位のラスロ・ボドロギに52秒以上のタイム差をつけて圧勝し、マイケル・ロジャースに次ぐ、史上2人目の連覇を達成した。

北京オリンピック優勝[編集]

2008年は所属チームからメインスポンサーCSCの撤退が決定する中でのシーズン入りとなったが、いきなりティレーノ~アドリアティコ総合優勝、ミラノ~サンレモ優勝とビッグレースを連勝し、ツール・ド・フランスではジャージに13番のゼッケンを天地逆に貼って登場[3]。得意のタイムトライアルステージではいずれもステファン・シューマッハーの後塵を拝したものの、アシストとして同僚であるカルロス・サストレの個人総合優勝とチーム優勝に大きく貢献。8月に行われた北京オリンピックでは、ロードレースで銀メダル[4]、個人タイムトライアルで金メダルを獲得する活躍を見せた。しかし、その後は調子を落とし、世界選手権は病気の為に欠場した。

Fabian Cancellara 2011.jpg
Fabian Cancellara - Tour Of California Prologue 2008 (1).jpg
Fabian Cancellara - Tour Of California Prologue 2008 (2).jpg

ツール・ド・スイス制覇と世界選手権3度目の制覇[編集]

2009年は前年後半からの不調が続き、春先のクラシックでも目立った成績を残せず、ジロ・デ・イタリアも途中で棄権してしまったが、ツール・ド・スイスの第1ステージTTで2位のロマン・クルイジガーに19秒差を付けて圧勝。そのまま第4ステージの超級山岳コースまでリーダージャージを保持した。山岳ステージではタデイ・ヴァリャヴェツにリーダージャージを奪われたが、フランク・シュレクアンディ・シュレクなどサクソバンクのチームメイトの強力なアシストを受けてタイム差を最小限に保ったまま山岳をこなし、最終日の個人タイムトライアルでは2分前にスタートしたクルイジガーを途中で抜き去る圧倒的な走りで一気にヴァリャヴェツを逆転[5]。最後はペダリングを止めて拳を突き上げ勝利をアピールしながらゴールインして、ステージ優勝とともに総合優勝を決めた。

この直後の6月28日に行われた国内選手権ロードレースも制したカンチェラーラは、ツール・ド・フランスの第1ステージ個人タイムトライアルでも2位のアルベルト・コンタドールに18秒の差を付けて圧勝、第6ステージまでマイヨ・ジョーヌを着用した。更にブエルタ・ア・エスパーニャでも第1ステージおよび第7ステージの個人TTをいずれも圧勝。序盤戦のマイヨ・オロ(リーダージャージ)をほぼ独占したが、地元スイスで行われる世界選手権に備えるため第13ステージ終了後リタイアした。

その世界選手権の個人TTでは序盤から圧倒的なタイムを刻み、一人前にスタートしたグスタヴ・ラルソンはおろか、二人前にスタートしていたブラッドリー・ウィギンズまでも抜き去る異次元の走りを披露。最後は全力走行を止め、観客の声援に応え両手を突き上げてゴールしたが、それでも2位のラルソンに1分27秒の大差をつけ2年ぶり3回目の世界王者に輝いた。

モニュメントレース連勝&世界選ITT史上最多優勝[編集]

2010年3月、E3プライス・フラーンデレンでトム・ボーネンを最後に1kmのロングスパートで置き去りにして優勝[6]。4月に入った翌週に行われたロンド・ファン・フラーンデレンでも、最後の40キロ地点直前でトム・ボーネンとともに抜けだし一騎打ち状態となったが、カペルミュールの上りで瞬時にボーネンに20秒近い差を付けて独走。スイス国旗を掲げながらのゴールで初優勝を飾った[7]。翌週行われたパリ〜ルーベでも絶好調状態を維持、2位に2分以上の大差を付けての圧勝で、モニュメントレース4勝目を飾った。あまりの強さに電動アシスト疑惑騒動まで発生した(後述)。

ツール・ド・フランスではいずれも個人タイムトライアルの区間となる、プロローグと第19ステージを制覇。全6ステージ(プロローグ~第1、第3~第6)で総合首位を経験。

9月30日に行われた、世界選手権・ITTにおいて、2位のデヴィッド・ミラーに1分02秒の差をつける圧勝。同大会同種目史上最多の4回目の優勝を果たした。

Fabian Cancellara 2010 TOC.jpg
Fabian-Cancellara.jpg
ツール・ド・フランス総合首位
2010 Fabian Cancellara, Cyclist, World Championship Race Geelong Aus, jjron, 30.09.10.jpg

2011年シーズン[編集]

  • 2011年チーム・レオパード・トレックに移籍。
  • ティレーノ〜アドリアティコ 区間1勝 (第7=ITT)
  • ミラノ〜サンレモ 2位
  • E3プライス・フラーンデレンでは、残り17Kmで小集団から抜け出して独走態勢に。後続集団に1分の差をつける圧勝劇で連覇を飾った[8]
  • ロンド・ファン・フラーンデレン 3位
    • E3プライス・フラーンデレンで圧倒的な力と好調を見せつけたので他チームからカンチェラーラ包囲網を敷かれる。アシストに難があるものの、残り38㎞地点から有力勢の集団からアタック、逃げていたシルヴァン・シャヴァネルに単独で追いつくが、シャヴァネルはチームリーダーのボーネンを待つためにチームオーダーで付き位置へ。激しいパヴェでSRMのメーターやボトルを落とし、他チームにボトルを要求するが受け取れず、Shimanoカーにボトルを受け取る場面も。一時は1分以上の差がついたがBMCレーシングの強力な牽引、補給ミスもあってか、去年トム・ボーネンを引き離したカペルミュール手前で痙攣、有力勢に追いつかれてしまう。ボスベルグで集団から千切れてしまうが、なんとか追いつき残り4㎞地点で再びアタック。シャヴァネルとニック・ナイエンスにチェックされ、そのままゴールスプリントに持ち込まれ、発射台にされる形で3位ゴール。
  • パリ〜ルーベ2011 2位
    • ロンド・ファン・フラーンデレンにて包囲網を敷かれた中でポディウムに乗る実力を見せつけた影響で、ロンド・ファン・フラーンデレン以上の包囲網を敷かれてしまう。その上アシストが脆弱なところを突かれ、早い段階でアシストを消耗されられる。且つ逃げ集団にはライバルチームの選手がいるため、集団を牽かされることに。ライバル選手やチームカーに話しかけるが、自分で逃げ集団を追いかけることになる。カルフール・ド・ランブルでアタックを仕掛けるがカメラバイクに塞がれて決まらない。残り5㎞地点で再びアタック。先頭とは50秒の差があったが、先頭から千切れた選手を抜かしつつ全力で追走。勝者のヨハン・ファンスーメレンに追い付くことはできなかったものの19秒まで差を詰め、グレゴリー・ラストマールテン・チャリンヒーの3人によるスプリントでは先頭ゴールし2位。

ミラノ~サンレモ、ロンド・ファン・フラーンデレン、パリ~ルーベで勝つことはできなかったが、カンチェラーラらしく力を魅せたレースだった。

2012年シーズン[編集]

2013年[編集]

残り35km地点のオウデ・クワレモントでアタックすると誰も追走できず、このまま独走勝利。

冬の故障とヘント~ウェヴェルヘムの落車で不調ではあるものの、それでも優勝候補のトム・ボーネンが早々に落車リタイヤ。その影響もあってか、レースは淡々と進む。終盤にステイン・デヴォルデルの必死な牽引もあり徐々にプロトンも絞られていく中、E3と同じく3回目のオウデ・クワレモントでカンチェラーラがアタック。ついていけたのはヘント~ウェヴェルヘムを勝った怪童ピーター・サガンのみ。2人は先行していたユルゲン・ルーランツに追いつき、最後の激坂パヴェの3回目パーテルベルグへ突入。最大勾配20%を超える石畳だが、360mと距離が短いため何も起きずゴールへもつれるかと思いきや、カンチェラーラが再度アタック。長い距離を逃げていたルーランツが早々に千切れ、サガンが食い下がるも頂上付近で大きく離される。最終的に1分27秒差をつけて独走勝利。チームメイトが要所要所で集団牽引し、一昨年のチーム力とは異なる展開で去年の雪辱を晴らす結果となった。

ボーネンやサガンが未出走のため優勝の本命とされ、他チームからマークされる。終盤で他チームのエース格がアタックする中で取り残されても前方を追おうとせず、トラブルを抱えているかと思いきやアタック。付き位置の選手を千切って単独で前方集団へ合流。更にアタックし、先頭集団に追いつく。カルフール・ド・ランブルでステイン・ファンデンベルフズデネク・シュティバルが観客と接触し先頭から脱落。残ったセプ・ファンマルクを千切るべくアタックを繰り返すが引き離せず、ヴェロドームでスプリント対決となった。先にスプリントを開始したファンマルクの番手を取り、最後のストレートで外側から差して勝利した。同年のロンド・ファン・フラーンデレンとパリ~ルーベ2連勝を2回(2010、2013)はトム・ボーネン(2005、2012)と並び、史上2人目となった。

2014年[編集]

人物[編集]

レーススタイル[編集]

競技の面で目標としている選手はミゲル・インデュライン[10]

ステージレースでは、得意のタイムトライアルで積極的な走りを見せるほか、平地でチームエースの強力な牽引役として活躍することが多い。単独走行での素晴らしい高速巡航能力を生かして、ゴールスプリントが発生する直前にアタックを仕掛けて独走で逃げ切るという戦法[11] も得意としており、ツール・ド・フランスやツール・ド・スイスでもこの戦法を駆使してステージ勝利を幾つかものにしている。

Stage 3 Fabian Cancellara is the early hero of the 2007 Tour de France.jpg

かつては、山岳コースの上りをこなせるようになればグランツールでの総合優勝も狙える逸材と、市川雅敏ツール・ド・フランス2007中継の解説で評していたが、翌年のツール・ド・スイス解説では「筋肉が付きすぎ(で重いため山岳の上りをこなせない)」として前言を撤回している。栗村修は2009年のツール・ド・スイス中継の解説において、体重を落とせば(筋肉量を減らせば)新たな(グランツールでの総合優勝も狙える)カンチェラーラを見られるかもしれない、と評したが、その2009年のツール・ド・スイスでは、山岳ステージにおいてもメイン集団から脱落せずにゴールする登坂力を新たに示して総合優勝を遂げた。カンチェラーラ本人も、将来的にはグランツールの総合優勝を狙いたいと発言している[12]

その強さの背景としては、単に高い出力を連続して出せるだけではなく、コーナリングの技術も群を抜いていることが指摘されている[13]

プライベート[編集]

ステファニー夫人との間に娘のジュリアナがいる。愛車はアウディQ7。好物はイタリア料理赤ワイン、そしてロードレース選手らしく「水」。オフにはマウンテンバイクスノーボードを楽しむ[14]

エピソード[編集]

  • 2006年のパリ〜ルーベでは、ゴール20km手前からウラジミール・グセフのアタックを追走して2人の逃げ集団を形成し、さらにそこから抜群の独走力を生かして加速。同じくタイムトライアルを得意とするグセフですらついて行くことができないほどのスピードで逃げ続け、追走集団が途中、踏切の遮断機にさえぎられて、一度止まってしまったことも幸いし、ゴールまで独走を決めるという、いかにもカンチェラーラらしい勝利だった。
  • 2007年のツール・ド・フランスではクランクセットに何故かFSA社の上級グレードであるSL-K(中空のカーボン製クランク)でなく、中級グレードであるゴッサマー(アルミ製クランク)を敢えて使用していた(使用開始は春のクラシックシーズンから)。理由としては本人のパワーにカーボンが耐えきれなかったとも、アルミのダイレクト感を求めた(この年はカーボンパーツが流行する中、本人はハンドルとステムもアルミだった)言われるが真相は不明。メカ担当のアレハンドロ・トラルボーは理由について「彼が強い男だから」と答えており、パワーに耐えられなかった説が有力[15][16]。問題のパワーは、2010年のロンド・ファン・フラーンデレンでアタックを仕掛けた際、パワーメーターは1450Wを記録していた[17]
  • 2008年のロンド・ファン・フラーンデレンでは、ヘルメットの左側にマジックペンで「Spartacus」と書いていたため、これがあだ名として定着した。
  • NHK2007年2008年ツール・ド・フランスのハイライトを放送した際、ファビアン・カンセララフランス語読みで報じた[18]。これに対し、J SPORTSではイタリア系の名前であると判断し、イタリア語読みをより正確に反映させたファビアン・カンチェッラーラとしている(フジテレビの放送ではカンチェラーラとしていた)。
  • 2004年のツールプロローグを制したときはインタビューで涙した。
  • 2010年のロンド・ファン・フラーンデレンや同年のパリ〜ルーベでの圧倒的な強さに対して電動モーター付き自転車を使用しているという疑惑がつき、インターネット上には検証映像(加速する前にボタンを押しているような仕草があるとしている)までアップロードされた [1]。これに対して当時自転車を供給していたスペシャライズドが、コロラドで行われた展示会に巨大なバッテリーを装着したバイクを出展するというジョークで応えるなど [2]、最近では関係者もカンチェラーラが活躍するたびにこの騒動をネタとして楽しんでいる節もある [3]
  • 2012年のツール・ド・フランス2012マイヨ・ジョーヌ着用日数が27日間となり、総合優勝未経験者のマイヨ・ジョーヌ着用日数記録を達成した [4](最終的に28日間まで伸びた)。
  • 永久追放処分が決まったランス・アームストロングヨハン・ブリュイネールについて厳しく批判。特にアームストロングについては、『奴(アームストロング)は売人そのものだ!』、『奴が「最後のモヒカン族」であることを祈っている』と言明した[19]

所属チーム[編集]

  • 2001年~2002年 マペイ・クイックステップ
  • 2003年~2005年 ファッサボルトロ
  • 2006年~ チームCSC
  • 2008年6月~2008年12月 チームCSC・サクソバンク
  • 2009年~2010年 チームサクソバンク
  • 2011年 レオパード・トレック
  • 2012年 レディオシャック・ニッサン・トレック
  • 2013年 レディオシャック・レオパード・トレック
  • 2014年 トレック・ファクトリー・レーシング

主な戦績[編集]

グランツール[編集]

  • ツール・ド・フランス 通算8勝
    • 2004年1勝(プロローグ)
    • 2007年2勝(プロローグ、第3)
    • 2008年1勝(第20)
    • 2009年1勝(第1)
    • 2010年2勝(プロローグ、第19)
    • 2012年1勝(プロローグ)
  • ブエルタ・ア・エスパーニャ 通算2勝
    • 2009年2勝(プロローグ、第7)
    • 2011年1勝(第1TTT)

ステージレース[編集]

  • 2003年 ツール・ド・ロマンディ1勝、ツール・ド・スイス1勝
  • 2006年 ティレーノ~アドリアティコ1勝、カタルーニャ一周1勝
  • 2007年ツール・ド・スイス2勝
  • 2008年ティレーノ~アドリアティコ総合優勝・ステージ1勝、ツール・ド・スイス2勝
  • 2009年ツール・ド・スイス総合優勝・ポイント賞・ステージ2勝
  • 2010年ツール・ド・スイス1勝
  • 2011年ティレーノ〜アドリアティコ1勝、ツール・ド・スイス区間2勝、ツール・ド・ルクセンブルク1勝
  • 2012年ティレーノ〜アドリアティコ1勝

ワンデイレース[編集]

脚注[編集]

  1. ^ カンチェラーラが異次元の走りで区間V。
  2. ^ 初日の個人TT、大本命のカンチェラーラが圧倒的な強さでリーダージャージを獲得
  3. ^ 西洋では一般に13は忌み数とされているため、厄祓いの意味でわざと逆さに貼っていた。同レースにゼッケン113番で出走したゲロルシュタイナーのマークス・フォーテンも同じ理由からゼッケンを逆さにしていた。
  4. ^ 当初3位入線だったが、2位入線のダヴィデ・レベッリンのドーピング違反による失格のため、2009年11月17日、2位に繰り上がり。
  5. ^ ダントツのタイムをたたき出したカンチェラーラが涙の総合優勝!
  6. ^ 北のクラシックスターが激突 カンチェラーラがボーネンとフレチャを沈める
  7. ^ カンチェラーラが圧巻の独走劇 3つ目のモニュメント制覇を達成
  8. ^ 終盤17kmを独走したカンチェラーラがセミクラシック連覇を達成
  9. ^ 落車続発のフランドル決戦 王者ボーネンが史上5人目となる3度目の優勝 - シクロワイアード 2012年4月2日付
  10. ^ 公式サイトプロフィール
  11. ^ 通常、ゴールスプリントはゴール直前の数百メートルで行われる。その直前まではアシスト選手がいわゆる「トレイン」(一列縦隊による高速巡航)を形成してエースのスプリンターをスリップストリームにより牽引する。一方、カンチェラーラは高速巡航にかけては世界最高の能力を持っている為、他の選手がスリップストリームに入れないタイミングで飛び出した場合、たとえ上記のトレインを持ってしても容易にカンチェラーラに追いつくことは出来ない。この能力差を利用し、ゴール前数キロの地点で一気にスパートをかけて後続を引き離して、トレインやスプリンターが追いつく前にゴールラインに飛び込むという戦法である。現在グランツールのレベルでこの戦法を使いこなせる選手は彼以外には知られていない。世界最速カンチェラーラが地元で劇的な独走勝利を掴む
  12. ^ カンチェラーラがキャリア最大の勝利、ツール・ド・スイス総合優勝
  13. ^ 地元スイスの超特急が見せた激走 カンチェラーラが3度目の栄冠
  14. ^ 公式サイトプロフィールより
  15. ^ メカへのインタビュー。2007年のチームはクランクセットのサプライヤーにFSAを選んでいたため、デュラエースなど、他社のアルミクランクを使う事が契約上無理だった。
  16. ^ Cancellara prefers the security of FSA's mid-level Gossamer aluminum crankset
  17. ^ 同年パリ〜ルーベ内実況で発言
  18. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「cance」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  19. ^ Report: Cancellara critical of Bruyneel and Armstrong - cyclingnews.com 2012年10月12日付(英語)

外部リンク[編集]