デヴィッド・ミラー (自転車競技)
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| 個人情報 | ||||
| 本名 | David Millar デヴィッド・ミラー |
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| 生年月日 | 1977年1月4日(36歳) | |||
| 国籍 | ||||
| 身長 | 192cm | |||
| 体重 | 76kg | |||
| チーム情報 | ||||
| 所属 | ガーミン・バラクーダ | |||
| 分野 | ロードレース | |||
| 役割 | 選手 | |||
| 特徴 | タイムトライアル・スペシャリスト | |||
| プロ所属チーム | ||||
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1997–2004
2006–2007 2008– |
コフィディス サウニエル・ドゥバル=プロディール ガーミン・チポートレ |
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| 主要レース勝利 | ||||
| ツール・ド・フランス 区間通算4勝 ジロ・デ・イタリア 区間通算1勝 ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間通算5勝 デンマーク一周 (2001) ツール・ド・ピカルディ (2003) クロノ・デ・ナシオン (2010) デ・パンネ3日間 (2010) |
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| 最終更新日 2012年7月14日 |
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デヴィッド・ミラー(David Millar、1977年1月4日- )は、マルタ共和国のムタルファ出身、スコットランドの自転車競技選手。
経歴 [編集]
1997年にプロデビュー。
1998年のツール・ド・ラブニールで区間2勝を挙げる。
- ツール・ド・フランスに初登場。フュテュロスコープで行われたプロローグの個人タイムトライアルでランス・アームストロングを2秒差退けてマイヨ・ジョーヌ(総合首位)を手中にし、通算3日間マイヨ・ジョーヌを堅持した。
- デンマーク・ルント総合優勝
- ロードレース世界選手権の個人タイムトライアルにおいて、ヤン・ウルリッヒに次いで2位に食い込んだ。
- ブエルタ・ア・エスパーニャで区間2勝(第1、6)を挙げる。
- ツール・ド・フランス 区間1勝(第13)
- 2003年区間1勝(第19=ITT)
- ブエルタ・ア・エスパーニャ区間1勝
- ロードレース世界選手権・個人タイムトライアルにおいて、マイケル・ロジャースらを退けて1位となった。ところが翌2004年6月、エリスロポエチン(EPO)使用の疑いがあると見て、警察当局がミラーの自宅に捜索に入ったところ、2001年から2003年までの間、EPOの使用を認めたことから、アルカンシエルを剥奪されたばかりか(2003年の世界選・個人TTはロジャースの繰り上がり優勝となる。さらにロジャースは2004年、2005年も制覇。)、英国車連より2年間の出場停止処分を受け、さらに1250ユーロ相当の罰金、そして、プロデビュー以来在籍してきた、コフディスからも解雇通告を受けた。
2006年、サウニエル・ドゥバル=プロディールと契約を結び、ロードレース界に復帰。
- ブエルタ・ア・エスパーニャ、第14ステージの個人TTにおいて、この年より、ロジャースに替わって個人TTの世界王者に君臨することになる、ファビアン・カンチェラーラを破って区間制覇を果たした。
- 4000m個人追い抜き(トラックレース)のイギリスチャンピオンにも輝いた。
- 英国選手権の個人ロード、個人タイムトライアルを制覇。
2008年、スリップストリーム(現、ガーミン・サーヴェロ)に移籍。
- ジロ・デ・イタリア第1ステージのチームタイムトライアルにおいて、クリスチャン・ヴァンデヴェルデ、マニュス・バクステットらとともに、チームの区間優勝に貢献。
- ツアー・オブ・カリフォルニア総合2位
- ツール・ド・フランス第6ステージの敢闘賞を獲得。
- ブエルタ・ア・エスパーニャ第20ステージ・個人タイムトライアル勝利、総合80位。
- デ・パンネ3日間総合優勝。
- クロノ・デ・ナシオン 優勝。
- シルキュイ・ド・ラ・サルト 総合3位
- ツール・ド・ロマンディ 総合10位
- ジロ・デ・イタリア 第21ステージ(ITT)勝利。
- エネコ・ツアー 総合3位
- ロードレース世界選手権・ITT 7位
- ツアー・オブ・北京 総合2位
- ツール・ド・フランス 区間1勝(第12)
外部リンク [編集]
- デヴィッド・ミラー (自転車競技) - サイクリングアーカイヴス (英語)
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