トラックレース
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トラックレースとは、自転車競技にて、陸上競技のトラック種目のように競技場の中で周回するレースのこと。その競技場のことを自転車では、自転車競技場や競輪場と呼ぶ。
自転車競技場の走路(バンクまたはトラック)は、板張り・コンクリート・ウォークトップ(軟らかいアスファルト)などで舗装されており、カーブは全速力でも速度を落とさず走れるよう走路に角度(カント)を付けている。一周の長さは海外では250mが多いが、日本では競輪の法律が影響していて400m~500mとなっている所がほとんどである。なお333.3mの走路もあるが、これは3周で1000mの扱いとなっている。
記録に残る上での世界初となる自転車競技は、1868年(明治元年)5月31日にパリのサン・クールで行われた1200m走である。また、同じく記録に残る上での日本初の自転車競技は、1895年(明治28年)7月4日にアメリカ独立祭の折に横浜クリケットクラブのトラックで行われた。
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[編集] タイムトライアル
決められた距離を時間で争う。男子は1000 m、女子は 500 m。以下は国際自転車競技連合(UCI)からの世界記録。
- 男子 スタンディングスタート(停止してから) アマチュアで野外競技場
- 1'02547 MAIK MALCHOW (RDA) 14.10.1980 MEXICO (MEX), Vélodrome Olympique
- 女子 フラインググスタート(助走有り) 室内競技場
- 29655 ERIKA SALOUMIAEE (URS) 06.08.1987 MOSCOU (URS)
[編集] スプリント
主に2人で競い、決められた周回をゴールするまで走る。途中での位置取りをめぐる駆引きが勝敗に大きく影響し、その中で相手を牽制するために停止(もちろん足を付かずに)したりする事もある(ただし現在は完全に停止することや逆走は禁止となっている)。
中野浩一が世界自転車選手権で10連覇成し遂げた種目として、日本でも注目されて認知度が高くなった。
[編集] チームスプリント
トラックを3人のチームで3周回する。次々に先頭が1周回ごとに外れてゆき、最後の1名によるタイムで競う。
この種目の原型はイタリアンチームレースというもので、4人編成で行われた。日本では、イタリアンチームレースとしては、1969年から1998年までの間、高校総体で行われていたが、1999年より3人編成のチームスプリント(2001年まではオリンピックスプリントという名称)に取って代わられた。
1995年に世界自転車選手権において正式採用された他、2000年のシドニーオリンピックより、夏季オリンピックにおいても正式種目となった。シドニーオリンピック当時はオリンピックスプリントという名称の種目であった。2004年アテネオリンピックで日本チームが銀メダルを獲得した。
[編集] ケイリン
[編集] 概要
日本発祥の公営競技である競輪を元に作られた競技で、それと区別するため「ケイリン」と表記される。
現在では国際自転車競技連合(UCI) によって"KEIRIN"の名で正式種目と認定されており、世界選手権やオリンピック(2000年のシドニーオリンピックより、柔道に続いて日本生まれのスポーツとして2番目にオリンピック正式種目になった)などの国際大会でも競技が行われている。
なおオリンピックで行われる日本発祥のスポーツは柔道とケイリンの2種目のみであるため、日本のお家芸といわれる。
自転車競技種目のケイリンは、主に6名以上の選手で争われ、基本的なルールは競輪の先頭固定競走とほぼ同じである。選手とは別に先頭誘導員が1人いて、電動アシスト自転車、またはデルニと呼ばれる特殊なオートバイを使い、決められた周回を先頭で空気抵抗を減らしながら走る。なお先頭誘導員がいるのは、一番前にいる選手が風の抵抗を受けて不利になるのを避けるためである(公営競技としての競輪においては、誘導員は自力で自転車を動かす)。そして誘導員が責任周回を果たして圏内線の中へ退避する辺りから本格的に競走が始まり、各々1着でゴールできると思った位置からダッシュをかける。選手同士の連携は公営競技としての競輪とは異なりそれほど重視されない。そのため、競輪とは異なる戦術・技術を必要とする場合も多く、日本のトップ競輪選手といえども国際大会のケイリンにおいて強さを発揮できるとは限らない。
各組2人から4人が先着トーナメント方式で勝ち上がる。また敗者復活戦もあり、その勝者は準々決勝あたりで合流して勝敗の行方が面白くなる。
[編集] 世界自転車選手権、オリンピック種目への道
[編集] 世界自転車選手権種目への道
1977年に中野浩一がプロ・スクラッチ(現在のスプリント)種目で優勝したことを受け、日本自転車競技連盟(日本車連)がUCIに競輪の同大会採用を打診。
1978年、西ドイツ・ミュンヘン大会において、中野浩一ら、日本の競輪選手だけでデモンストレーションレースが行われる。
1979年、オランダ・アムステルダム大会において、外国人選手も交えたオープンレース(公開競技)が行われる。
1980年、フランス・ブザンソン大会において、プロだけの種目として、正式に「ケイリン」として採用されることが決まった。しかし、日本国内で行われる競輪とは似ても似つかぬものだった。ひいてはここから今もなお、競輪とケイリンは別物の競技であるという見方がされている。
誘導員がスタートラインを通過後に号砲が打ち鳴らされるという方式は今も変わらないが、当時は縦一列のスタート方式が取り入れられ(スタート順は抽選によって決められた)、しかも誘導のペースは初手から速く、スタート順が後方に置かれた選手は著しく不利となった。
初代同大会ケイリン優勝者は、オーストラリアのダニー・クラーク。
1987年、オーストラリア・ウイーン大会において、本田晴美が日本人選手として初の同種目優勝(その後、本田以外に同大会を優勝した日本人選手は一人もいない)。
1990年、前橋大会開催期間中に行われたUCI総会にて、3年後のプロ・アマオープン化を睨んで、当時プロの種目しかなかったケイリンの今後の処遇が検討される。つまり、同大会の種目から除外される可能性があった。ドミフォン、タンデムスプリントについても同様に検討された結果、両種目はプロ・アマオープン化の種目として相応しくないという決定がなされ、まもなく除外されることになった。
何とか同大会からの種目除外を免れたい日本車連側は、当時ケイリンが行われていなかった諸国への技術指導等を含め、アマチュア側に対しケイリンの普及を図ることを約束。一方、日本車連は、競輪とは似ても似つかぬレース内容になっていることに対して改善を申し入れ、縦一列のスタート方式ではなく、日本で行われている横一列のスタート方式に改めるよう働きかけ、1992年のスペイン・バレンシア大会より、横一列のスタート方式に改められた。
1993年のノルウェー・ハマール大会より、プロ・アマオープン大会として同種目は新たにスタートを切った。
[編集] オリンピック種目への道
1996年のアトランタオリンピックより、同大会の自転車競技もプロ・アマオープン化されることにつき、日本車連はオリンピックにおいても、ケイリンの採用を打診。
しかし、当時世界選における種目除外の防止に気を取られていたこともあり、また既にアトランタオリンピックの実施種目は決まっていたため、2000年に行われるシドニーオリンピックの正式採用を目指した。
日本車連側は、既に1980年より世界自転車選手権において採用されていることや、日本競輪選手会の協力をもとに、世界各国へ技術指導等を含めた普及活動を行ったことを日本オリンピック委員会(JOC)を通じ、国際オリンピック委員会(IOC)にPR。その結果、1996年12月に行われたIOC総会において、ケイリンは正式種目として、4年後のシドニーオリンピックでの採用が決まった。
上述のとおり、ケイリンは日本生まれの五輪種目としては柔道(1964年の東京オリンピックより正式採用)に続いて史上2例目となった。
[編集] 個人追抜競走(パーシュート/インディビジュアルパーシュート)
この種目は2人がホームとバックの同じ距離で離れた位置からレースをスタートして、どちらかが規定の距離を先に完走するか、途中で相手を追抜いた時点で勝敗が決まる、男子では4km、女子では3kmの距離が基本。時間が計測されるが、参考としての記録となる。
[編集] 団体追抜競走(チームパーシュート)
3人から4人のチームで個人追抜競走と同じルールで行う。コーナーを使っての先頭交代が作戦の鍵を握る。ゴール地点では3人目がゴールした時点で記録が認められる。これも時間は参考記録。
[編集] ポイントレース
20人から30人の人数で(男子最高50km以内、女子もあり)で行う。決められた周回ごとにポイントが与えられ、 最後のゴールでのポイント数が多い者が勝者になる。ポイント数が同じときはトップで通過したポイントの回数が多い順で決まる。
[編集] マディソン
ある決められた距離と時間内で、2人組で交代(タッチして)しながらレースを行う。休んでいる時は外側のラインを走りながら交代のタイミングを見計らう。詳しくはマディソンを参照。
[編集] その他
[編集] アンノンディスタンス
選手には走る距離を知らせないレース。集団でレースを展開しながら合図があってから、最初の取り決めた周回数を消化してゴールする。合図があるまでの集団での位置取りがレースの見所。
[編集] ミスアンドアウト
周回ごとに最後の走者か 2人をレースから除外してゆき、決められた人数になったときに決められた周回を回りゴールする。少し複雑な頭脳プレイを要求される。
[編集] ドミフォン
前のオートバイ(ペーサー)、後の自転車(ステイヤー)の2人1組で走る。先導のオートバイは誘導される自転車が接触して転倒するのを防ぐため、後輪の更に後ろにローラー付きバンパーを張り出させた特殊な作りになっている(接触するとローラーは触れた車輪に沿って回る)。決められた時間内での周回数で勝敗が決まる。先導のバイクとの距離が近いほど空気抵抗が少なくなるので、チームのコンビネーションがよいことも重要な要素になる。騒音の関係で大抵野外の競技場で行われる。
1893年に開始された世界選手権自転車競技大会においても第1回の大会から採用された種目であったが、1994年の大会を最後に廃止されて以降は、この種目の開催そのものがめったに行われなくなった。オートバイではなく、デルニーというエンジン付きの自転車がペーサーとなって行われる、「デルニーレース」については現在6日間レースにて行われているが、ルール等についてはドミフォンと類似している。
[編集] 速度競走
国民体育大会、全国高校総合体育大会などで行われている種目。概ね、4000メートルで行われる。
予め、与えられた先頭責任回数を完了することが求められ、着順の優劣は、それを完了した選手の中から、最終ゴール到達の早い順番につけられる。
責任を完了していない選手が完走した場合、失格にはならないが、順位は完了した選手よりも劣ることになる。
[編集] スクラッチ
世界自転車選手権では、2002年より実施されている種目(男女とも)。
20から30人くらいの選手数で行われるのはポイントレースとほとんど一緒だが、着順の優劣は最終ゴール到達の早い順番につけられる。
概ね15Km程度の距離で行われるが、道中、集団から抜け出しを図ってアタックをかけるといったプレーも随所に見られることから、ロードレースの戦術と類似している部分が少なくない。
[編集] オムニアム
2007年の世界選手権(男子のみ)で初採用された種目。
- 200mフライングタイムトライアル
- スクラッチ(概ね5km)
- 個人追い抜き(3km。ジュニアは2km)
- ポイントレース(15km。スプリント6回)
- 1kmタイムトライアル
の合計5種目を1日で行い、各種目の順位がその選手の順位点となる。そして、全種目の順位点が最小の選手が1位となる。なお、1種目でも競技を行わない種目があると棄権扱いになる。
[編集] アワーレコード
1人が1時間でどれだけの距離を走れるかを争う単純な種目。ただ、これに挑戦する競技者は、かなりの実績のあるトップレベルの競技者でないと実現が難しい。
1990年代に入り自転車の改良が進み、一般的な自転車のスタイルと異なる乗車ポジションを取る(いわゆる「スーパーマン」スタイルなど)自転車による記録の更新が相次いだことから、UCIは2000年に規則改正を行い、1972年にエディ・メルクスがアワーレコードを更新した際と同様の機材(一般的なロードレーサースタイルの自転車)による記録のみを公式の「アワーレコード」と認め、それ以後に作られた専用自転車による記録は「Best Human Effort」として非公認扱いとすることとした。
この改正により、空力効果のあるヘルメット('80年代にシステムUのTTチームが初めて使用 頭と背中のラインが一線になる)やディスクホイール・バトンホイール、モノコックフレームを持つ自転車、前後のタイヤサイズが異なる自転車などを使用した場合は公式な「アワーレコード」とは認められず、全て「Best Human Effort」という扱いになる。なお、システムUチームは当時、そのアイデアがあまりに斬新だった事から“次はモーター駆動のマシンを持ち込むに違いない”と周囲から揶揄された。
この種目は他のトラック種目に比べ長距離を走る必要があることから、過去のレコードホルダーにはエディ・メルクスやジャック・アンクティル、ミゲル・インドゥラインなど、主にロードレースで活躍する(中でもタイムトライアルを得意とする)選手が数多く名前を連ねている。その一方でグレアム・オブリーやクリス・ボードマンのように、アワーレコードの更新に最も力を注ぐ「アワーレコード職人」とも呼ぶべき選手も存在している。
[編集] 現在の記録
- アワーレコード
- オンドジェイ・ソセンカ(チェコ) - 49.700km/h(2005年7月19日、モスクワ)
- Best Human Effort
- クリス・ボードマン(イギリス) - 56.375km/h(1996年9月7日、マンチェスター)
[編集] 競輪
日本の自転車競技の中で、トラック種目はプロフェッショナルの競輪が有名。「NJS規格」に適合した部品のみで構成される専用自転車(トラックレーサー、ピストレーサーとも)を使用する。
競輪は第二次世界大戦の終わりから、のちの日本自転車振興会が主催するようになった。一時期は女性の競輪もあった。
なおプロの競輪選手もケイリン競技に参加している。詳しくは競輪の項を参照。

