イェンス・フォイクト
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| 個人情報 | ||||
| 本名 | イェンス・フォイクト Jens Voigt |
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| 愛称 | イェンシー | |||
| 生年月日 | 1971年9月17日(41歳) | |||
| 国籍 | ||||
| 身長 | 189cm | |||
| 体重 | 76kg | |||
| チーム情報 | ||||
| 所属 | レディオシャック・レオパード | |||
| 分野 | ロードレース | |||
| 役割 | 選手 | |||
| 特徴 | ルーラー オールラウンダー |
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| プロ所属チーム | ||||
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1997
1998-2003 2004-2010 2011 2012- |
ZVVZジャイアント gan クレディ・アグリコル チームCSC チームCSC-サクソバンク チーム・サクソバンク サクソバンク・サンガード レオパード・トレック レディオシャック・ニッサン |
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| 主要レース勝利 | ||||
| ジロ・デ・イタリア 通算1勝 ツール・ド・フランス 通算2勝 ドイツ・ツアー (2006,2007) ツール・ド・ポローニュ (2008) |
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| 最終更新日 2011年12月31日 |
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イェンス・フォイクト(Jens Voigt, 1971年9月17日 - )は、ドイツ出身の自転車ロードレース選手。脚質はルーラー、オールラウンダー。選手仲間からの人望も厚くUCIプロツアーにおいて選手組合 (CPA) の代表も務めている。身長189センチ、体重76キロ。
目次 |
経歴 [編集]
当時の東ドイツ・ロストック県(現在のメクレンブルク=フォアポンメルン州)グレーフェスミューレンに生まれる。ちなみにヤン・ウルリッヒもこの地方(ロストック)の出身である。1994年にはアマチュア選手にとって大きなタイトルとなるピースレースに優勝した。
兵役を終えたのち、1997年にプロに転向、オーストラリアのZVVZジャイアントの所属となった。翌年にはフランスのgan(のちのクレディ・アグリコル)に移籍し、2003年まで主力選手として活躍する。この間に2000年のマイヨ・ジョーヌ獲得(1日間)、2001年のツール・ド・フランスにおけるステージ優勝など目覚ましい結果も残している。また2000年のシドニーオリンピックではヤン・ウルリッヒのアシストとしてドイツ代表チームの勝利にも貢献した。
2004年にはデンマークのチームCSC(現在のチーム・サクソバンク)に移籍。この年のツール・ド・フランスではイヴァン・バッソのアシストとして何度も見せ場を作り、あらためてその存在感を見せつけた。2005年のツール・ド・フランスでは第9ステージでクレディ・アグリコル時代の同僚、クリストフ・モローの協力を得て集団から先行、総合首位に立ちマイヨ・ジョーヌを獲得(1日間)した。
2006年にはチームの中心選手の一人としてバッソのジロ・デ・イタリア制覇に貢献。特に19ステージの山岳では逃げ集団のチェックに入り、クイックステップチームのフアン・マヌエル・ガラテの付き位置でゴール前まで2人で逃げ切るという走りを見せた。このステージでのフォイクトはバッソをアシストするため、逃げ集団を全く引かなかった。逃げ集団が崩壊して総合優勝争いに無関係なガラテだけが残った段階でフォイクトの仕事は終了となった。フォイクトはガラテの健闘に敬意を表して、ゴール前でのスプリント勝負を仕掛けなかった。このフォイクトの配慮もあってガラテはこの年のジロ・デ・イタリアの山岳賞を獲得、フォイクトが最後にガラテの背中を叩いてステージ優勝を譲ったシーンは多くのファンを感動させた。
その後エースとして出場したドイツ・ツアーでは見事に総合優勝を果たし、翌2007年にも総合優勝して、史上初のドイツ・ツアー2連覇を遂げている。
2008年にはジロ・デ・イタリアの第18ステージで逃げ集団に乗り、最終的には逃げ集団からも飛び出して素晴らしい速度で走り続け、見事に単騎逃げを決めた。このステージはパオロ・ベッティーニがジロ・デ・イタリアでステージ優勝を取る最後のチャンスと目されており、またステージ中盤の山岳では一時ベッティーニと共に遅れかけたことから、フォイクトの逃げ切り勝利は驚きの目で見られた。
2008年のツール・ド・フランスでは、中盤から後半にかけて活躍しカルロス・サストレの総合優勝に貢献した。ちなみに最終ステージでは、シャンゼリゼでの周回レース終盤にシートポストがヤグラ付近から折れたため、立ち漕ぎをしているシーンがテレビ中継で映し出された。
その後、前人未到のドイツツアー3連覇に挑んだものの、山岳ステージの第1ステージで大きく遅れを取り、総合優勝を諦めざるを得なかった。しかし、直後のツール・ド・ポローニュでは山岳の第6ステージで実力を遺憾なく発揮し、総合優勝に輝いた。
2009年のツール・ド・フランスでは何度も逃げに加わって多くの見せ場を作ったが、第16ステージ終盤、プチ・サン・ベルナール峠から下りの途中、突然バランスを崩し顔面から落車。脳震盪と頬骨骨折でリタイヤした[1]。またこの年の秋には、チーム・サクソバンクの一員としてジャパンカップ参戦のため来日、クリス・アンカー・セレンセンの優勝に貢献した。
2011年、チーム・レオパード・トレックに移籍。
脚質 [編集]
強いスプリント力は持たないが、ルーラーとしての能力は非常に高く、チームメイトのファビアン・カンチェラーラと並んでチームCSC-サクソバンク、チーム・サクソバンク、レオパード・トレックのダイナモとなっていた。実際、この二人が交代しつつ平地で集団を引き始めると集団の速度は一気に上がるため、チームの戦術オプションの一つとして逃げ集団の追撃や後続の分断などに多用されている。
また山岳もある程度こなせる能力があり、特にジロ・デ・イタリアでは山岳ステージで大逃げを決めたり、山岳タイムトライアルで上位に食い込むなどの見せ場を作ることが多い。2008年ツール・ド・フランスのピレネー越えでは1級山岳の前半部分を凄まじい速さで引き続け、一流クライマーであるダミアーノ・クネゴやアレハンドロ・バルベルデを集団から振り落としたことさえある。
大ベテランの域に達した近年では、レース全体を見据えた駆け引きも非常にうまく、総合優勝を狙う選手のアシストとして極めて有能な選手と言える。
またドイツ・ツアーやクリテリウム・インターナショナルのようにエースとして出場するレースでは、オールラウンダーとしての総合力を遺憾なく発揮し、何度か総合優勝を遂げている。
主な戦績 [編集]
- 1998年
- バスク一周第5ステージ優勝、ツール・ド・フランス第9ステージ山岳王ジャージ
- 1999年
- クリテリウム・インターナショナル総合優勝
- 2001年
- ツール・ド・フランス第16ステージ優勝、同第7ステージ総合リーダージャージ、ドーフィネ・リベレ第7ステージ優勝
- 2002年
- クリテリウム・インターナショナル第3ステージ優勝、同ポイント賞
- 2003年
- パリ~ブルージュ優勝、クリテリウム・インターナショナル第3ステージ優勝
- 2004年
- クリテリウム・インターナショナル総合優勝、同第2、第3ステージ優勝、バスク一周 第5ステージ優勝
- 2005年
- パリ〜ニースプロローグ優勝、バスク一周 第5ステージ優勝
- 2006年
- ツール・ド・フランス第13ステージ優勝、ドイツ・ツアー総合優勝、同第2、第6、第7ステージ優勝
- 2007年
- クリテリウム・インターナショナル総合優勝、同第2ステージ優勝、ツアー・オブ・カリフォルニア第3ステージ優勝、ドイツ・ツアー総合優勝
- 2008年
- クリテリウム・インターナショナル総合優勝、ジロ・デ・イタリア第18ステージ優勝、ツール・ド・ポローニュ総合優勝
- 2009年
- クリテリウム・アンテルナシオナル 総合3連覇(区間1勝=第2)。パリ〜ニース総合6位。
- 2010年
- カタルーニャ一周 区間1勝(第4)。
注 [編集]
外部リンク [編集]
- Team CSC: Jens Voigt(英語)
- イェンス・フォイクト - サイクリングアーカイヴス (英語)
- イェンス・フォイクト - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(英語)
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