パリ〜ルーベ
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パリ〜ルーベ (Paris - Roubaix) とは、自転車プロロードレースの一つ。フランスのパリからルーベまで、およそ260Kmを走るワンデーレース。1896年から行われているクラシックレース。最多優勝者はロジェ・デフラミンク(1972、74、75、77年の4回)。
レースの最後はルーベの街中にあるヴェロドロームのトラックコースを1周し、ゴールとなるのが恒例。
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[編集] 概要
ワンデーレースの中では最も格式あるレースの一つであり、これを明らかに越えるものは世界選手権自転車競技大会のみ。ほぼ同格のレースもロンド・ファン・フラーンデレンだけであることから「クラシックの女王」と呼ばれる。
だが、その優雅な異名と裏腹に内容は過酷そのもの。コース自体は平坦だが、そこには総数30弱、総延長で50Km前後にも及ぶ未舗装の道路に握りこぶし大の石が敷き詰められたパヴェ(石畳)が登場し、強烈な振動で選手を苦しめたかと思えば、風雨にさらされ露出した鋭い角や段差でパンクや落車を発生させる。
その上、雨が降ろうものなら、はじけ飛ぶ泥のせいで、選手たちは泥まみれとなり、誰が誰だかわからなくなるほど[1]。おまけにぬかるみにタイヤをとられたり、濡れていっそう滑りやすくなった石が原因でパヴェでは大落車が発生。幾度となく阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられる。
また、晴れていれば晴れていたで、巻き上がる凄まじい土埃が選手の眼や喉に容赦なく襲い掛かり、視界の確保や呼吸もままならない。しかも乾燥した路面ではスピードが出やすくなるため、逃げやアタックを仕掛けようものなら、ただでさえシビアなバイクコントロールがいっそう困難になり、パンクが多発。加えて、バランスを失って落車しようものなら猛烈な勢いで石畳に叩きつけられることになり、無事ではすまない。
毎年のように骨折したり、感染症にかかる選手が発生するすさまじさゆえ、このレースには「北の地獄」というもう一つの異名が冠せられている。
いつ誰に何が起こるかまったく予想のつかないこのレースにおいては、一般的なレースのセオリーである「大勢のアシストがエースを勝たせるために働く」やり方がまったく通用しない。ゴール間際まで幾度となく繰り返されるアタックとアクシデントの末に勝利のチャンスを手にすることができるのは、果敢に先頭を走り続けるだけの実力を持ち、かつ致命的なトラブルを回避できた幸運に恵まれた真の強者のみである。
2007年のレースでは日本のナショナル・チャンピオン・ジャージを身に着けた別府史之が集団の先頭を引くシーンも国際映像で流れた。
[編集] パヴェについて
パヴェには番号が振られており、荒れ具合や距離などをふまえ、五つまでの星の数でその過酷さが表される。完走者でパンクを経験しないのは2割前後と言われており、最も過酷な五つ星がつけられるアランベールやラーブルなどのパヴェは一流のバイクコントロールを誇るプロ選手たちですら、パンクや落車が起きないよう、天に祈って走るほどである。
中でもアランベール(アーレンベルグ Arenberg)は、難所中の難所として知られており、1998年にはヨハン・ムセウが膝の骨を砕き、2001年にはフィリップ・ゴーモンが大腿骨骨折の大怪我を負っている。 かつて、レース中にバイクカメラが転倒を起こした事もあるように、選手以外の事故も起こっている。
そのため選手は、パヴェに入ると比較的路面の荒れが少ない路肩を選んで走るのが通例である。しかし路肩は非常に面積が狭いため隊列が一列棒状になり、先行する選手にとってはアタックの絶好のチャンスとなる。また前述のアーレンベルグの場合は路肩に柵が設置されているため、選手は否応にもパヴェを走らざるを得ない。
パヴェを走行中にアタックがかかると、後方の選手は追撃のためにリスクを覚悟でパヴェの中央部を走らざるを得ないが、その路面状況や隊列の長さゆえ、通常のロードレースに比べると追撃の難易度は高く、集団が分断されやすい。そのような状況を利用するため、風圧を受けるのを承知で先頭に立ち、パヴェの特に荒れた箇所に突入するところでアタックをかけて追走集団を分断することで、人数を絞り込んでいくといった各種の駆け引きもレースの重要なポイントとなっている。
[編集] 機材について
過酷なパヴェを攻略するため、このレースには他のUCIプロツアーのレースでは使用されない特殊な機材が使用される。
例えば振動を軽減する目的でマウンテンバイクのようなサスペンションを付けたロードレーサーを投入したり、わざわざこのレースに合わせたジオメトリを採用したり、振動軽減の加工を施した特製のワンオフフレームを使用するケースがある。 そのほか厚手のバーテープを二重に巻いたり、エラストマー(衝撃吸収剤)をフレームやハンドル内に封入することも多い。
さらに泥詰まり対策としては、通常使われるキャリパーブレーキの代わりにカンチブレーキを使用することがある。
またホイールも、パンクやトラブル防止のために、他のレースのような少ないスポークのエアロリムにクリンチャータイヤといった構成ではなく、多めのスポークにチューブラータイヤ(パンクしてもある程度走り続けることができるため)か、チューブレスタイヤという組み合わせを使用することが多い。かつてはシクロクロス用のハンドメイドタイヤ「デュガス」を愛用する選手も多かった。
このほかレース中の対策として、パヴェでは車が選手の脇を通れないことが多く、通常のチームサポートカーやマヴィックカーではトラブルに対応できない可能性があるため、ニュートラルカーとして、ホイールを積んだオートバイが多数投入されるのも特徴である[2]。しかしながら、これだけのサポート体制によってもパンクしたホイールを速やかに交換出来ない選手は発生してしまう。この為、地元の自転車愛好家が自前のホイールを持ってパヴェの出口辺りに待機しており、サポートを受けられない選手にホイールを提供する光景が各所で展開する。
[編集] エピソード
- 1949年の歴代優勝者はアンドレ・マエとセルセ・コッピ(ファウスト・コッピの弟)の2人となっているが、これはれっきとした公式記録である。これは、逃げを決めていたマエたちがヴェロドロームに入る時に間違ったコースに誘導され、途中で気が付き裏口からドームに入り込んで、マエが勝利。しかし直後に正しいコースを走ってきて先頭でゴールしたセルセ・コッピが異議を申し立てたため、どちらを優勝とするべきか半年以上すったもんだしたあげく、両者を優勝としたためである(詳細は歴代優勝者の外部リンクを参照)。
- 90年代の最強チームと呼ばれたマペイは1996年、98年、99年の3回、チームメンバーで表彰台を独占する快挙を成し遂げているが、その全てに関わったのが、1999年優勝者のアンドレア・タフィである。2005年に彼が引退する前、「最後のクラシック」として選んだのもこのレースであり、その時には「PARIS - ROUBAIX」の文字の入ったスペシャルジャージで走り、注目を集めた。
- 1996年のレースではマペイのヨハン・ムセウ、ジャンルカ・ボルトラーミ、アンドレア・タフィの3人で逃げを決め、ゴール前はパレードのような走行をしてチーム内の順列どおりムセウ、ボルトラーミ、タフィの着順となった。この為一部から「勝負をするべき」という声が上がったが、ボルトラーミは「やっても同じ結果になっただろう」というコメントを残している。
- 2006年のレースでは逃げを決めたファビアン・カンチェラーラを追う集団が踏切を通過しようとする直前に遮断機が下り始める珍事が発生した。この時、強引に踏切を通過したレイフ・ホステ、ペーター・ヴァンペテヘム、ウラジミール・グゼフの3選手は、ゴール後に失格となった。
- ドキュメンタリー映画に「ロード・トゥ・ルーベ」がある。監督はデヴィット・ディールとデイブ・クーパー。
[編集] 歴代優勝者
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
| パリ〜ルーベ |
|---|
| 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 |

