スチュアート・オグレディ

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スチュアート・オグレディ
Stuart O'Grady
Cycling (road) pictogram.svg
O'Grady, Stuart - Amgen 2007.jpg
個人情報
本名 Stuart O'Grady
スチュアート・オグレディ
愛称 Stuey
生年月日 1973年8月6日(38歳)
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
身長 176cm
体重 73kg
チーム情報
所属 グリーンエッジ
分野 ロードレース&トラックレース
役割 選手
特徴 スプリンター
プロ所属チーム
1995–2003
2004–2005
2006–2010
2011
2012–
ガン
コフィディス
チームCSC/チーム・サクソバンク
チーム・レオパード・トレック
グリーンエッジ
主要レース勝利
Gold medal.svg アテネ五輪・マディソン(2004)
パリ〜ルーベ(2007)
HEW・クラシックス (2004)
ツアー・ダウンアンダー (1999、2001)
ツール・ド・フランス 区間2勝
最終更新日
2012年1月15日

スチュアート・オグレディStuart O'Grady, 1973年8月6日- )は、オーストラリアアデレード出身の自転車競技選手。

目次

[編集] 経歴

[編集] 概略

トラックレースではアテネオリンピック金メダリストロードレースではスプリンタータイプの選手としてツール・ド・フランスの序盤ステージにおいてしばしばマイヨ・ジョーヌを獲得したり、また2007年パリ〜ルーベも制するなどの実績を持つ、オーストラリアを代表する自転車競技選手である。また、オーストラリア勲章(OAM)も受章している。

[編集] 五輪2大会連続メダル獲得

オグレディの自転車選手としてのキャリアはトラックレースから始まった。

1992年バルセロナオリンピックでは、4000m団体追い抜きのメンバーとして銀メダルに貢献。

1996年アトランタオリンピックでは、4000m団体追い抜きポイントレースで銅メダルを獲得。

[編集] プロロード選手としての実績

アトランタオリンピックの1年前となる1995年にガンと契約を結んでプロ選手となり、その後はロードレースにおける活躍ぶりが目覚しくなった。

1998年のツールでは第4 - 6ステージまで総合首位に立った。また2001年のツールでも、第4 - 6、第8 - 9ステージでマイヨ・ジョーヌを身にまとった。この他ツールのポイント賞争いにおいても常に上位に食い込む活躍を見せる。しかしエリック・ツァベルの壁が厚かったこともあり(ツァベルは1996 - 2001年まで6年連続ポイント賞受賞)、ポイント賞獲得には至っていない。とりわけ惜しかったのは2001年のツールで、最終ステージにおいてマイヨ・ベールを身にまとってレースに挑んだが、最後にツァベルに逆転されてしまった。

一方、2008年のシーズンよりUCIプロツアーの対象レースに組み入れられることになったツアー・ダウンアンダーの初代総合優勝者(1999年)であり、2001年にも同レースを優勝している。

[編集] 五輪金メダル~チームCSC移籍

2004年コフィディスに移籍。

2005年

2006年ビャルヌ・リース監督に懇願し、チームCSCへの移籍を果たす。

2007年

2009年

2011年チーム・レオパード・トレックに移籍。

2012年、母国の新チームグリーンエッジに移籍。

[編集] 家系・支援

オグレディの家系は自転車一家であり、叔父は東京オリンピックに出場した経験を持つ。また父も南オーストラリア州の選手権大会を制するなどの実績を挙げている。そしてオグレディは母国オーストラリアにおいて、ジュニアの自転車チームのスポンサーとなり、チームの財政的支援を行っている。

[編集] 外部リンク


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