トム・ボーネン

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トム・ボーネン
Tom Boonen
2015年のボーネン
個人情報
本名 トム・ボーネン
Tom Boonen
愛称 Tornado Tom (トルネード・トム)
Tommeke (トメケ)
生年月日 (1980-10-15) 1980年10月15日(43歳)
国籍 ベルギーの旗 ベルギー
身長 192cm
体重 82kg
チーム情報
所属 引退
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 スプリンター
クラシックスペシャリスト
プロ所属チーム
2002
2003–2017
USポスタル
クイックステップ
グランツール最高成績
主要レース勝利

世界選手権

ロードレース (2005)
TTT 2012

ツール・ド・フランス

ポイント賞 (2007)
通算6勝

ブエルタ・ア・エスパーニャ

通算2勝

パリ〜ルーベ

(2005, 2008, 2009, 2012)

ヘント〜ウェヴェルヘム

(2004, 2011, 2012)

ロンド・ファン・フラーンデレン

(2005, 2006, 2012)

E3・ハレルベーク

(2004-2007, 2012)

ブリュッセル・サイクリング・クラシック

(2012, 2016)

ベルギーの旗 ベルギー選手権

ロード (2009, 2012)
獲得メダル
ロードレース
世界選手権
ベルギーの旗 ベルギー
2005 マドリード 個人ロード
2012 リンブルフ TTT
2016 ドーハ 個人ロード
最終更新日
2017年1月26日

トム・ボーネン(Tom Boonen、1980年10月15日 - )は、ベルギーアントウェルペン州・モル出身の元自転車プロロードレース選手。2002年プロデビュー。192 cm・82kgという体格を活かした力強いスプリントスタイルと圧倒的な実力から「トルネード・トム (Tornado Tom)」という愛称をつけられている。

2005年世界選手権優勝や2005~2006年ロンド・ファン・フラーンデレン優勝を果たすなどフランドル・クラシックを中心としたワンデイレースで活躍するほか、2007年ツール・ド・フランスでもポイント賞を獲得するなどの成績を残しているスプリンター

経歴[編集]

17歳の時に本格的にロードレースを始め、ベルギーのアマチュアチャンピオンになるなど数々の記録を打ちたてた後、2002年にプロデビュー。パリ〜ルーベでいきなり3位に入り、ヨハン・ムセウの後継者として注目を集めはじめる。そして、USポスタルでは十分な機会が与えられないことを不満に思い、新しく発足したクイックステップへと移籍。

2003年

2004年

2005年

2006年

2007年

2008年

2009年

  • パリ〜ルーベを連覇、同レース3度目の優勝を果たした。
  • ベルギーの旗 ベルギー選手権・ロードレース初制覇。
  • 再度のコカイン陽性反応問題で出場が危ぶまれていたツール・ド・フランスにも直前になって出場が決定。しかしゴールスプリント争いに全くと言っていいほど絡めないまま、第6ステージでの落車ダメージや開幕前から患っていた体調不良のため第15ステージに出走せずリタイアとなってしまった。
  • 8月のエネコ・ツアー ステージ1勝
  • ブエルタ・ア・エスパーニャではまたもステージ優勝を挙げられないまま、第4・第7ステージでの落車ダメージが元で第13ステージ途中でリタイアした。
  • パリ〜ツールでも逃げを決めて有利な状況に持ち込みながら、スプリント勝負でフィリップ・ジルベールに競り負けて2位に終わるなど消化不良のシーズン後半となってしまった。

2010年

2011年

2012年

オムロープ・ヘット・ニウスブラット2015 : ニキ・テルプストラ (2), イアン・スタナード (1) & トム・ボーネン (3).

2013年

2014年

2015年

2016年

2017年

コカイン陽性反応問題[編集]

2008年[編集]

2008年5月26日に実施された競技外ドーピング検査で、コカインの陽性反応が出る[1]。もっとも、レース外ドーピング検査につき、UCIやベルギー車連から直接の処分は下らなかったが、これを受けて同年のツール・ド・スイスの出場を拒否され、さらにツール・ド・フランスを主催するASOからも2008年の大会への出場禁止通知を受けた。この騒動に対してボーネンおよびチームは6月11日に会見を開いて謝罪。コカイン摂取の有無には触れなかったが、当面レースへの出場を見合わせることを発表した。

2009年[編集]

2009年4月27日、再びコカイン陽性反応が発覚。これを受け、自身の記者会見が行なわれた[2] 他、所属するクイックステップは会見の席上で、当面の活動を一切禁じると表明した[3] が、6月7日開幕のドーフィネ・リベレより復帰している。

尚、ボーネンはその後のインタビューで過去のコカイン摂取を認めた上で、2009年のコカイン陽性反応時には既に問題は無くなぜ陽性反応が出たのか分からないとコメントしている[4]

人物[編集]

元プロロードレース選手の父アンドレと美容師の母アグネスの長男として生まれる。弟のズワンもプロロードレース選手を目指していたが、アンダー23カテゴリー時代に心臓の欠陥が発覚してプロになることを断念している[5]

これまでの実績に加え、野性味と純粋さを併せ持った魅力的な容姿から熱狂的なファンが多く、「ベルギーのアイドル」といわれることもある。世界選手権を制した2005年にはベルギーを代表するアスリートとして数々の賞を受けた。ベルギーにいてプレッシャーを受けるのを嫌って2005年末からモナコへと移住していたが、2009年2月にベルギーの実家近くに新居を購入して引っ越した [6]

趣味はマウンテンバイク、冬のトレーニングはシクロクロスで、という筋金入りの自転車好き。またコーラが好物のようで、レース中によく飲んでいる光景が見られる。愛用のヘルメットは、ベルギー王国から贈られたもの。ダイヤモンド+名前が刻まれた純金プレートつきで、時価100万円相当の品である(パオロ・ベッティーニらも使用)。

2006年9月には、ランボルギーニ・ムルシエラゴを購入したことが大きく報道された(中古だがそれでも4800万円)。その2ヶ月後、恋人だったローレ・ヴァンドヴェイエルとの破局を発表した。更にその5ヶ月後、ドライブ中に猫の飛び出しが原因で路肩に衝突し、愛車のランボルギーニが大破した。

近年、会見やインタビューでもキャップを被ったままのことが多かったが、2度目のコカインの摂取の謝罪会見で、久しぶりにキャップを脱いだボーネンが披露され話題となった。

所属チーム[編集]

主な成績[編集]

プロ入り1年目から現役最終年まで全てのシーズンで勝利を挙げ、通算122勝を記録している。

グランツール[編集]

  • ツール・ド・フランス通算6勝
    • ポイント賞(2007年)
    • 2004年 総合120位、区間2勝(第6、20)
    • 2005年 途中棄権、区間2勝(第2、3)
    • 2007年 総合119位、区間2勝(第6、12)
  • ブエルタ・ア・エスパーニャ通算2勝

尚、グランツールには通算で14度出走しているが、完走は3回しか無い (2003年ブエルタ、2004年・2007年ツール) 。特にポイント賞を獲得した2007年のツール・ド・フランス以降は8大会連続で途中棄権しており、一度も完走することなく現役を引退した。

ステージレース[編集]

ワンデイレース[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]