ルディ・アルティヒ

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獲得メダル

ルディ・アルティヒ
Arc en ciel.png
1959 アマ・個人追抜
1960 プロ・個人追抜
1961 プロ・個人追抜
1966 ニュルブルクリンク プロ・個人ロード
1965 サン・セバスティアン プロ・個人ロード

ルディ・アルティヒRudi Altig 1937年3月18日- )はドイツマンハイム出身の元自転車競技選手。スプリンター型の選手であった。

経歴[編集]

1960年1961年世界自転車選手権・個人追い抜きで連覇を達成したことがアルティヒの自転車選手キャリアとしての第一歩といっても過言ではなく(アマチュア時代は1959年に世界選手権の個人追い抜きを制覇している)、その後はロードレースでも活躍の場を広げる。

1962年ブエルタ・ア・エスパーニャでは区間3勝を挙げて見事総合優勝。同年のツール・ド・フランスでも3区間優勝に加え5日間マイヨジョーヌも堅持。そして最終的にはポイント賞を受賞した。1964年には、ロンド・ファン・フラーンデレン西ドイツ国内選手権を制した他、ツールでは区間1勝に加え、4日間マイヨジョーヌを堅持。

1965年の世界選手権では、優勝したトム・シンプソンに続いて2位に入る。そして翌1966年の世界選手権は、アルティヒが住む場所から程近いニュルブルクリンクでの開催。地元開催で世界チャンピオンに挑んだアルティヒは、ジャック・アンクティルレイモン・プリドールのフランス勢を退けて見事優勝を果たした。またこの年の西ドイツ スポーツマンオブザイヤーも受賞した。

その後は1968年ミラノ~サンレモを制し、ブエルタでも区間2勝。1969年はツールで区間1勝を挙げた他マイヨジョーヌも1日堅持。また1970年には2度目の西ドイツ国内選手権を制した。

上記の世界選手権個人追い抜き連覇を果たしたように、アルティヒはトラックレースも得意としており、とりわけ6日間レースは当時ドイツ国内では大人気の冬季競技であったが、アルティヒはベルリン、ブレーメンなどの同レースを含め通算22勝を挙げ、当時は西ドイツのスーパースターの一人であった。

一方、現役時代は薬物使用疑惑が絶えず持ち上がった選手としても有名で、その疑惑については引退後にメタンフェタミンなどの使用歴を告白しているが、アルティヒの現役当時はドーピング違反の罰則規定が設けられる以前であり、正確にはドーピング違反には当たらない[1]自身の行為についても肯定的な発言を述べてる[要出典]1971年に引退後はドイツ公共放送連盟(ARD)、ユーロスポートの解説者を2005年まで務めた。

脚注[編集]

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  1. ^ Die Doping-Mafia”. DeutschlandRadio (2007年12月26日). 2010年5月28日閲覧。

外部リンク[編集]