ヨハン・ブリュイネール

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ヨハン・ブリュイネール

ヨハン・ブリュイネール(Johan Bruyneel、1964年8月23日- )は、ベルギー、イゼヘム出身の元自転車競技選手。現在はロードレースチームである、レディオシャック・ニッサンのチームディレクター(チーム監督)を務める。

1999年から2007年まで、ディスカバリーチャンネル2004年まではUSポスタルサービス)のチームディレクターを務め、ランス・アームストロングツール・ド・フランス総合7連覇(1999年~2005年)をもたらし、また、2007年2009年ツール・ド・フランスではアルベルト・コンタドールが優勝し、合計9回のツール・ド・フランス総合優勝をもたらした人物とされていたが、1999年~2005年の7回については後にドーピング問題により取り消された。

経歴[編集]

プロ選手年代は1987年~1998年。1990年ツール・ド・ラブニール総合優勝。1991年ルント・ウム・デン・ヘニンガー=トゥルム優勝、1992年グランプリ・デ・ナシオン優勝の実績を持つ。1993年のツール・ド・フランスでは平均最高時速記録を樹立し区間優勝、総合でも7位と健闘した。1995年ブエルタ・ア・エスパーニャでは総合3位に入った他、同年のツール・ド・フランス第7ステージで区間優勝&マイヨ・ジョーヌを獲得した実績も持つ(このステージ優勝ではずっとミゲル・インドゥラインの後ろに付いてラストだけ追い抜いての優勝だったために、エディ・メルクスや母国ベルギーからも「ベルギーの恥」と酷評されてしまった)。

1999年より、前述のUSポスタルサービスのチームディレクターとなり、ランス・アームストロングの他、タイラー・ハミルトンジョージ・ヒンカピーリーヴァイ・ライプハイマートム・ボーネンロベルト・エラスフロイド・ランディスヴィアチェスラフ・エキモフ等といった選手たちを率いた。

2005年にUSポスタルのスポンサー撤退により、新たにディスカバリーチャンネルとしてチームは生まれ変わり、アームストロングがツール・ド・フランスで7連覇を達成したが、アームストロングは同年のツールを最後に現役を引退。2005年に加入したパオロ・サヴォルデッリは翌2006年シーズンも残留したものの、チーム力低下に喘いだ。

2007年シーズン、サヴォルデッリはアスタナへと移籍したが、リバティー・セグロスから移籍したアルベルト・コンタドール、ゲロルシュタイナーから同チームに「復帰」した形となったライプハイマーらによってディスカバリーチャンネルは息を吹き返し、ツール・ド・フランスにおいて、コンタドールが総合優勝。ライプハイマーも総合3位に入る健闘を見せた。この他、ヒンカピー、ヤロスラフ・ポポヴィッチステイン・デヴォルデルヤネス・ブライコヴィッチ別府史之らを率いたが、同年限りでディスカバリーチャンネルはスポンサー及びチーム活動を停止した。

2008年、コンタドール、ライプハイマー、ブライコヴィッチが、アレクサンドル・ヴィノクロフドーピング騒動により、チームが瓦解しつつあったアスタナに転籍するや、ブリュイネールも過去の実績を買われてアスタナのチームディレクターに就任。またアンドレアス・クレーデンが既に2007年よりアスタナに在籍していたこともあり、旧ディスカバリーチャンネル時代にもひけを取らない強力なチーム力が備わった。

しかし同年、アモリ・スポル・オルガニザシオン(ASO)と国際自転車競技連合(UCI)が、当年のツール・ド・フランスの主導権争いを巡ってシーズン前から対立を極め、同年2月13日、ASOが主催するレースに、2006年、2007年のツール・ド・フランスでドーピング問題に揺れたアスタナを招待するわけにはいかないとして、同年のツール・ド・フランスへの招待状を見送った。また、ASOの動きに同調していたジロ・デ・イタリアの主催であるRCSスポルトも、同年のジロ・デ・イタリアに当初はアスタナに対して招待状を送っていなかったが、コンタドールがバスク一周で総合優勝を果たしたことや、クレーデンもツール・ド・ロマンディを、さらにライプハイマーがツアー・オブ・カリフォルニアを制した実績が買われて急遽招待を受けることになったが、コンタドールが調整不十分な状態で出場しながらも総合優勝を果たした。

2009年のツール・ド・フランスでは再びコンタドールが総合優勝、4年ぶりに現役復帰したアームストロングが総合3位となるなど、改めて今、ブリュイネールの高い手腕が発揮されているといっても過言ではない。

しかし、この年のツール・ド・フランスの開幕直前の7月2日に、アスタナチームの創設に主要な役割を果たしていたヴィノクロフが、出場停止期間の終了に伴いアスタナチームでの現役復帰を発表し、自分の復帰を受け入れないならブリュイネールは去るべきだと発言したことを受け、今シーズン限りでアスタナの監督を辞任する意志を表明した。

同年1999-2005年+2009年の8年と長いつきあいになっているランス・アームストロングが新チームチーム・レディオシャックを立ち上げる事もありそちらへ移籍が決定。2010年のツアー・ダウンアンダーから新たなチームのスタートを迎えた。

ドーピング関与疑惑[編集]

ランス・アームストロングのドーピング疑惑に関連して、ブリュイネールの関与疑惑も取りざたされている。

2010年[編集]

  • 5月、フロイド・ランディスの証言によると、2002年のUSポスタル在籍時代に、当時同チーム監督のブリュイネールとアームストロングの手ほどきを受けてドーピングを行ったことがきっかけとなり、その後常習するようになったという。またランディスは、2003年スペインジローナにあるアームストロングのアパートで血液ドーピングに使用するための採血法をアームストロングに指導され、そのクローゼットにある冷蔵庫にはアームストロングとジョージ・ヒンカピーの血液が保管されていたと主張している[1]

2011年[編集]

2012年[編集]

  • 6月、全米アンチドーピング機関(USADA)はアームストロングに対し正式にドーピング違反であるとの判定を下した。ウォールストリートジャーナルはこれについて、「ツール・ド・フランスでの通算7回の総合優勝記録を一部ないしすべてはく奪される可能性がある」と報じている[3]が、USADAは、ブリュイネールが深く関与している点も告発している[4]
  • 10月10日
  • 10月22日
    • 国際自転車競技連合(UCI)はUSADAの裁定を受け入れ、アームストロングの1998年8月1日以降の成績の剥奪が確定した[7]
  • 11月1日、USADAは、数々のドーピング違反事例の疑いがあるとみて、当年12月末頃に当人を聴取する意向を明らかにした[8]

2013年[編集]

  • 1月14日
    • アームストロングが自らのドーピングを告白した[9][10]

脚注[編集]

  1. ^ ランディスが過去のドーピングを認める アームストロングらを告発 - シクロワイアード 2010年5月21日付記事
  2. ^ Hamilton alleges Armstrong EPO positive cover-up on 60 Minutes - cyclingnews.com 2011年5月23日付記事(英語)
  3. ^ ウォールストリートジャーナル日本語版 アームストロング氏にドーピング違反の正式判定
  4. ^ Bruyneel could face lifetime ban if USADA charges are upheld - cyclingnews.com 2012年6月14日付(英語)
  5. ^ U.S. Postal Service Pro Cycling Team Investigation - USADAのUSポスタルサービスチームにおけるドーピング事例に関する声明文
  6. ^ USADA: Bruyneel a key player in Armstrong and team's doping - cyclingnews.com 2012年10月10日付(英語)
  7. ^ UCI confirms Lance Armstrong's life ban - Cyclingnews.com 10月22日付(英語)
  8. ^ USADA will hear Bruyneel’s case before end of 2012, may call Armstrong to testify - velo news 2012年11月1日付(英語)
  9. ^ 薬物使用告白と米報道 永久追放のアームストロング - Cyclist.sanspo.com 2013年1月15日付
  10. ^ アームストロングが薬物使用を認める - nikkansports.com 2013年1月15日付

外部リンク[編集]