栗村修

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栗村 修(くりむら おさむ、1971年12月30日 - )は神奈川県横浜市出身[1]自転車ロードレースの元プロ選手で、プロロードレースチームスキル・シマノのスポーツディレクター(「コーチ兼広報」)、有限会社マビスポーツ代表である。J SPORTSの自転車ロードレース解説者としても親しまれている。選手引退後、チームミヤタの監督をプロチームとしての活動停止(事実上の解散)まで務めた。

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[編集] 経歴

中学2年生の時にミヤタ製のロードレーサーを入手し、15歳から本格的にロードレースに取り組む。高校中退後、フランスのナントに留学してクラブチームに所属。帰国後、全日本実業団選手権を中心に日本国内トップクラスの成績を収める。当時のホームコースは多摩川サイクリングロード多摩丘陵で、飯島誠ら多摩川サイクリングロードで練習する選手で「多摩川連合」なる集団を形成していたと述懐している。1996年に契約選手第1号としてシマノレーシングに加入。1998年に市川雅敏の推薦(当時の市川はその走りを非常に絶賛していた)によりポーランドのプロチーム「ムロズ」と契約、ヨーロッパチームとプロ契約した10人目の日本人選手となる。しかしながら、欧州プロロードの厳しさから、ネオプロとしてはまずまずの成績を残すもわずか1年足らずで欧州から帰国。2000年にミヤタ・スバルレーシングチーム(2007年「チームミヤタ」に改称)と選手契約。2001年に29歳で引退。2002年からは監督として同チームを率いた。2007年シーズンをもってチームミヤタがプロチームとしての活動を休止したことを受け、2008年はスキル・シマノで「コーチ兼広報」を務めることとなった。

[編集] 解説業

2000年からJ SPORTSのロードレース中継で解説者としても活動している。自身の監督経験を生かしたレース中の各チームや選手の戦略分析や、視聴者にもわかりやすく説明する技術に長けている。自分の失敗談なども臆せずに披露し、ユーモアを交えるが、当てこすりや揚げ足取り、嫌みな言動などは決してしない穏健な姿勢を取る。また、外見的特長から選手を瞬時に判定する判断力は定評がある(現地放送よりも正確な場合がしばしば)。

現地映像の選手たちの会話シーンにいい加減な台詞をアテレコするのが得意で、実況担当者や視聴者の笑いを取ることが多い。お気に入りの選手として、上から読んでも下から読んでも同じなので、名前が好きなイニャキ・イサシエウスカルテル・エウスカディ)、掟破りな走り(トレインを必要としない、2006年ツールドフランスでスチュワート・オグレディにゴール前でヘッドバッドを喰らわす等)をするというロビー・マキュアンパオロ・ベッティーニを挙げ、「綺麗にスマートに走って勝つ選手よりも人間味あふれる選手や走りのほうが好き」だという。2007年ジロ・デ・イタリアの解説においてフリオ・アルベルト・ペレス(CFSグループ・ナヴィガーレ)にも好意的な発言をしていた。中継では今中大介永井孝樹阿部良之らと同時に解説に入ることもある。

実況を担当するSaschaとのコンビは「我らワールド」(元々は2003年のツール・ド・フランス中継においてSaschaが命名した)の通称で視聴者に親しまれている[2]2007年ツール・ド・フランス第12ステージの中継ではゲストであるパックンマックンパトリック・ハーランに終始いじられ、無難にボケつつ、レース解説も過不足なくこなしてみせた。ベルギー婦人会帰りのご婦人達が横風を受けながら、先頭交代をして走る話を十八番とする。また、しばしばステージ優勝者のガッツポーズについて評論を行い、ガッツポーズ評論家と自称している。 その他、選手がチームカーに補給を取る際に、補給を行いながらチームカーで選手を加速させる・遅れた選手がチームカーに牽引され集団復帰を手助けするなどルール違反すれすれのグレーゾーンについて、自ら監督を経験した時の逸話を交えながら解説を行うこともしばしばである。

[編集] 選手の命名

解説中、選手にさまざまなキャッチフレーズを付けている。

[編集] ドーピング問題への姿勢

2007年ツール・ド・フランスの第15、16ステージにおいてアレクサンドル・ヴィノクロフミカエル・ラスムッセンが相次いで棄権に追い込まれた直後の7月26日の解説では、UCIプロツアーの選手たちが人権も無視された徹底的な監視下(24時間365日いつでもドーピング・コントロールの査察を受け入れなければラスムッセンのように排除される)に置かれていることを強調し、風邪薬も飲めなければ迂闊にスタミナドリンクを飲んだり消炎鎮痛剤も塗れないほどの極端な薬物規制下に置かれていて、各種のプロスポーツの中でも相対的に見て最もクリーンな状態にあることを敢えて指摘するなど、気骨のあるところを見せた。この日の栗村は「これ以上厳密にドーピングを排除したいのなら、もう選手をモルモット状態で管理するしかない」「5年後にはコーヒーも規制薬物に指定されていて選手たちが懺悔させられるかもしれない」など、怒りを露わにして現在のロードレースにおけるドーピング問題の異常さを魔女狩りに喩え警鐘を鳴らした。

[編集] 脚注

  1. ^ 出身地は公式サイトプロフィルパールイズミサイトインタビューによる
  2. ^ 2008年にはJ SPORTSのオンラインショップにて「WARERA WORLD CHAMPIONSHIP」のロゴ入りTシャツも発売された。

[編集] 外部リンク