赤毛のアン

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赤毛のアン』(あかげのアン、: Anne of Green Gables グリーンゲイブルズのアン)は、カナダ作家L・M・モンゴメリ1908年に発表した長編小説。特に児童を対象に書かれた作品ではないが、この数十年は児童文学とみなされている。グリーンゲイブルズはアンが住むことになるカスバート家の屋号であり、直訳すると、「緑の切妻屋根」という意味になる。

概説[編集]

モンゴメリーがアンの容貌のモデルとしたイヴリン・ネスビット[1]。当時アメリカで人気だったコーラスガールで絵のモデル。

モンゴメリは新聞記事で読んだ、「男の子と間違えて女の子を引き取った夫婦の話」に着想を得て、この作品を書いた。彼女はプリンス・エドワード島の田舎で育った自身の少女時代も作品に投影した。孤児院暮らしだったアン・シャーリーが、11歳でアヴォンリーのカスバート家に引き取られてからクィーン学院を卒業するまでの少女時代5年間を描いた『赤毛のアン』は人気作となり、モンゴメリーはアンを主人公とする続編や周辺人物にまつわる作品を多数著している。モンゴメリーはイヴリン・ネスビット英語版の写真を雑誌から切り取り、書き物机の上に貼り、主人公アン・シャーリーのモデルにした。また、モンゴメリー自身、早くに両親と離れて祖父母に育てられたため、アン同様、孤独で理解されない子供として育った経験を持つ[2]

第1作『赤毛のアン』ほか、シリーズ全作には、ウィリアム・シェイクスピアやイギリス、アメリカの、『聖書』の句が多数引用され、原典を知っている人なら、感嘆させられる。『赤毛のアン』を読んだマーク・トウェインはモンゴメリに、1908年10月3日付けで「the dearest and most moving and most delightful child since the immortal Alice」(直訳すると「かの不滅のアリス以来最も可愛らしく、最も感動的で最もゆかいな子」)と絶賛の手紙を送った。これはその後のアンの宣伝コピーとして使われることになった。

なお、『赤毛のアン』は最初にモンゴメリーが複数の出版社に原稿を持ち込んだときは、すべての出版社で出版を断られたので、自宅の屋根裏部屋に”お蔵入り”していた時期が数年ある。年月を経て、モンゴメリーが本作を読み返し、面白いのでやはり出版すべきであると思い直し、出版社に再度交渉すると、今度はトントン拍子に進展したという。

登場人物[編集]

アン・シャーリー (Anne Shirley)
髪の色:赤毛、目の色:緑がかった灰色
とても痩せていて、青白く、そばかすだらけの顔をしている。自分の赤毛に劣等感を抱いている。そのため、自分のことを、カラスの羽のように見事に真っ黒な髪に、すみれ色の瞳、顔色は薔薇の花びらのようで肌は透き通るような象牙色、目は星のように輝いており、名前はレディー・コーデリア・フィッツジェラルド(自身のアンという名前がロマンチックじゃないとマリラに言っている)だと思うようにしている。
誕生月は3月。
想像力豊かでお喋り好きな女の子。美しくてロマンチックなものが好きで、美しいものには名前をつけたがる。
ノバスコシア、ボリングブロークの小さな黄色い家で生まれた。父はウォルター・シャーリーでボリングブロークの高校教師、母はバーサ・シャーリー(旧姓:ウィリス。母も高校教師をしていたが結婚時に辞めた)。アンは両親について、名前が素敵でよかった、父がジェデダイアみたいな変な名前だったらすごく恥ずかしいと物語の中で語っている。
両親とも世間知らずで教会に住んでいるネズミのように貧乏だった。
やせっぽっちで小さく、目ばかり大きい見た事もないほど醜く生まれたアンを母は、こんな美しい子は見た事もないと言い可愛がったが、アンが生後3か月の時に熱病で死亡する。父も4日後、同じ病気で亡くなる。
両親の死後、残された孤児のアンを誰も引き取りたがらなかった。両親共に出身地が遠く親戚も独りもいなかったため、シャーリー家のお手伝いに来ていたトーマスのおばさん(アンは自身の身の上を彼女に聞いた)が仕方なく引き取るが、トーマスおばさんの所もとても貧乏で、アンより年下の子供が4人もいた為、アンは子供の世話をさせられた。その後ボリングブロークからメアリーズビルに引越し、そこで暮らしていたが、8歳の時トーマスのおじさんが汽車に轢かれて死に、おじさんの母がおばさんと子供達を引き取る事になったが、アンの引き取りは拒否された。
アンが子供の世話ができるとわかると、川上の方に住んでいるハモンドのおかみさんがアンを引き取ってくれた。ハモンドのおじさんは川の上流の森を切り開いた所で小さな製材所を営んでおり、アンは切り株に囲まれて過ごす事になった。続けて双子が3回も生まれ、子供が8人いた。そこで2年と少し暮らしたがハモンドのおじさんが死んでしまった為、おばさんは親戚に子供をばらまいてアメリカに行ってしまった。
アンはホープタウンの孤児院に行った。超満員の孤児院はアンを引き取りたがらなかったが、引き取らないわけにいかず、マリラとマシューが孤児院から男の子を引き取ろうと決心するまで、そこで4か月暮らした。
15歳の年クィーン学院にギルバートと同率1位の成績で入学、翌年大学への奨学金を取って卒業。しかし、大学には行かず、その後、2年間アボンリーの学校で教え、レッドモンド大学に入学。4年後、22歳で卒業。その後、3年間サマーサイド高等学校の校長を務める。
25歳で、ギルバート・ブライスと結婚して、7人の子供(小さなジョイス、ジェム、ウォールター、ダイ、ナン、シャーリー、リラ)ができる(初めて生まれた子供(小さなジョイス)は生後1日で死んでしまったので、実際に育て上げたのは6人。)。
マリラ・カスバート (Marilla Cuthbert)
背が高く痩せてごつごつしており、ふくよかさがない。白髪が見え始めた黒い髪を後ろで小さなまげにまとめ、針金のヘアピンを2本さした髪型をしている。
世間知らずの頑固者で、あまり笑わない。非常に厳格で働き者(台所は片付きすぎているくらい綺麗で、庭には棒切れや石ころ1つおちていない)。
ひごろ寡黙なマシューが珍しく自己主張をした時は最大限したがわなければならないと心得ている。
ひとに教訓を与えるのが好きで、子供を育てるからには口を開くごとに教訓を垂れなければならないと信じている。
スグリ酒を作る腕は、プリンスエドワード島一と周りから噂されている。
マシュー・カスバート (Matthew Cuthbert)
アンを引き取ったとき60歳。心臓が悪い。体つきが不恰好で、白髪交じりの黒い髪を猫背の肩にかかるほど伸ばしている。
レイチェル・リンドと妹のマリラ以外の女性を恐れており、女性という不可解な生き物に笑いものにされている気がしておちつかないという、非常に内気な性格をしている。
父親も同じく内気な男性で、森の奥に引っ込みたかったがそうもいかないので村から離れた場所を選んで家をたてた。そのため、グリーン・ゲイブルズは他の家がなかよく建ち並んでいる街道からは殆ど見えない。
普段はマリラが不潔だと嫌がるので控えているが、精神が不安定なときに煙草をすう。その時はマリラも見てみぬフリをしてくれる。
アン16歳の年の夏、自分が全財産を預けていた銀行が倒産したという記事を読んで、ショック死。65歳没。
レイチェル・リンド (Rachel Lynde)
アボンリーの村を通る街道が丘を下っていったところにある、小さなくぼ地に住んでいる。
主婦としての素晴らしさは折り紙つきで、日常の家事をこなすどころか人並み以上にやってのける。村の裁縫の集いを切り盛りし、日曜学校の運営に手を貸したうえ、教会婦人会や国外伝道後援会の幹部でもある。10人の子供を育てあげた。自宅の窓辺に座り、外を通るもの全てに目を光らせ、おかしなものや場違いのものが目に入ったが最後、それが何故なのかをハッキリさせるまでは気がすまないという詮索好き。自分がひとに正直であることを自慢に思っている。
夫のトマスが死んでから、マリラといっしょにグリーンゲイブルスに住んでいる。
ダイアナ・バリー (Diana Barry)
髪の色:黒髪、目の色:黒目。
ふっくらとした体型で薔薇色の頬をしているとても綺麗な子。明るく楽しそうな表情は父親似、目と髪の色は母親似である。アンと出会った当時、アンより1インチ背が低かった。
誕生月は2月。アンと同い年。
沼の近くの斜面にあるリンゴ園の奥の小さな灰色の家に住んでいる。
アンの親友。
ダイアナという名前について、アンは文句なしに素晴らしいと言ったが、マシューはあまりキリスト教徒らしくない名前だと苦言を示した(ジェーンやメアリーというまともな名前の方が性に合っているといった)。この名前は、ダイアナが生まれる時に部屋を貸していた学校の教師につけてもらったものである。
口を開く前に必ず笑う子で、本を読むのが大好き。
後にフレッド・ライトと結婚する。
バリーの奥さん (Mrs. Barry)
髪の色:黒髪、目の色:黒目。
背が高く、意志の強そうな口元をしている。
ダイアナの母親。子供の育て方が厳しいと評判。
ギルバート・ブライス (Gilbert Blythe)
アンより3歳年上。アンがはじめてアボンリーの学校に行ったとき、アンの赤毛をからかってニンジンと言ったため、アンに石板で頭をたたかれた上その後数年間口をきかれなくなった。
25歳の年にアンと婚約、28歳の年にアンと結婚。
18歳の年にクィーン学院にアンと同率1位の成績で入学、翌年に金メダルを取って卒業。その後2年間ホワイトサンズの学校で教えて、20歳でレッドモンド大学に入学。4年後レッドモンド大学卒業。医学生になり、3年後に27歳で卒業。

日本語訳一覧[編集]

アンの家のモデルになったモンゴメリーのいとこの家(プリンスエドワード島
アンの家のモデルになったモンゴメリーのいとこの家の中(プリンスエドワード島

邦題[編集]

邦題の『赤毛のアン』は、村岡花子が初邦訳を手掛けた時に付けられたものである。当初、村岡花子は『窓辺に倚る少女』という題を考えていたが、刊行する三笠書房の編集者・小池喜孝が『赤毛のアン』いう題を提案し[3]、当時の社長の竹内道之助が花子にこれを伝えた。花子はこれを一旦断るが、これを聞いた花子の当時二十歳になる娘のみどりが『赤毛のアン』という題に賛同し、これを強く推した。このため花子は、みどりのような若い読者層の感覚に任せることにし、『赤毛のアン』という邦題を決定した[4]。しかし、こうして刊行された『赤毛のアン』の表紙に描かれたものは、どう見ても金髪の少女[5]であった[6]

なお、イタリア語訳の題名も「赤毛のアン」を意味する Anna dai capelli rossi となっているが、これは、翻訳書の刊行よりも先に、日本のアニメ作品がこの題名でイタリア国内で放映されたことが影響していると考えられている[7]

アン・シリーズ一覧[編集]

各タイトルは村岡花子訳に準拠する(『アンの想い出の日々』のみ、村岡花子の孫である村岡美枝[8]訳に準拠する)。一般に、『赤毛のアン』から『アンの想い出の日々』までの9冊の本を、アン・ブックスと呼ぶ。アン・ブックスをより狭い範囲に呼ぶ場合もあるが、9冊の本はアンを主人公とするか準主人公とする「アンの物語」である。これに対し、追加の2冊は短編集で、アヴォンリーの村を舞台とし「アンの物語」と同じ背景設定であるが、大部分の作品はアンとは直接に関係していない。総じて題名が示す通り「アンの周囲の人々の物語」である。 なお、4冊目「アンの幸福」の原題はイギリス版とアメリカ版で異なり、イギリス版はAnne of Windy Willows、アメリカ版はAnne of Windy Poplarsで、内容も少し異なる。

アンの作者ルーシー・M・モンゴメリーの墓(プリンスエドワード島
書名 原題 出版年 アンの年齢 物語の年代
赤毛のアン Anne of Green Gables 1908 11〜16 1877〜1882
アンの青春 Anne of Avonlea 1909 16〜18 1882〜1884
アンの愛情 Anne of the Island 1915 18〜22 1884〜1888
アンの幸福 Anne of Windy Willows 1936 22〜25 1888〜1891
アンの夢の家 Anne's House of Dreams 1917 25〜27 1891〜1893
炉辺荘のアン Anne of Ingleside 1939 34〜40 1900〜1906
虹の谷のアン Rainbow Valley 1919 41 1907
アンの娘リラ Rilla of Ingleside 1921 48〜52 1914〜1918
アンの想い出の日々 The Blythes Are Quoted 2009 40〜75 1906〜1941
以下はアンとの関連が薄い短編集
アンの友達 Chronicles of Avonlea 1912
アンをめぐる人々 Further Chronicles of Avonlea 1920

派生作品[編集]

小説作品[編集]

  • 『こんにちは アン』Before Green Gables (2008年)
    • 「赤毛のアン」100周年を記念して、モンゴメリ財団から依頼された児童文学作家バッジ・ウィルソンが執筆した作品。
    • アン・シャーリーが両親を失い、マシュウとマリラの兄妹に引き取られるまでの11年間を物語る。この原作を元にしたアニメ作品が『こんにちは アン 〜Before Green Gables』として日本でテレビアニメ化されている。

映画作品[編集]

  • 『天涯の孤独』(1919年)
  • 『紅雀』(1934年)
    • RKO製作、ジョージ・ニコラス・ジュニア監督、ドーン・オデイ主演のモノクロ映画。オデイはこの映画以後、芸名を「アン・シャーリー」とした。

上記の2作品は、いずれも原題はAnne of Green Gables。『紅雀』は日本では1935年に公開され、当時、日本では原作が未だ刊行されていないためこのタイトルとなった(『天涯の孤独』も同様)。

  • 『そよ風の町』Anne of Windy Poplars (1940年)
    • RKO製作、ジャック・ハイヴリー監督、アン・シャーリー主演。日本では1949年に公開。現在の『アンの幸福』。上記の作品と同じ日本では原作が当時未刊行のためこのタイトルとなった。
  • CBCが製作したミーガン・フォローズの主演のテレビ映画、『赤毛のアン』は、初めてプリンス・エドワード島でロケを行ったことで話題となった。更に、『アンの青春』とその続編の計3作のダイジェスト版が劇場公開されている。第3作目は小説版での第3作『アンの愛情』とはかけ離れたオリジナル・ストーリーである。 製作、監督、脚本はケビン・サリバン。
  • 『アンを探して』(2009年)宮平貴子監督、穂のかロザンナ・ザンボン紺野まひる主演。

テレビ映画[編集]

  • Anne of Green Gables (1956年)
  • Anne of Green Gables (1972年)
    • 英国で製作された、全5回のミニシリーズ。ジョーン・クラフト監督、キム・ブレーデン主演。

ケビン・サリバン脚本作品[編集]

  • Anne of Green Gables (1985年)
    • CBC製作の、全3時間強のミニシリーズ。ケビン・サリバン監督、ミーガン・フォローズ主演。
    • 日本では1986年に邦題『赤毛のアン』としてダイジェスト版が劇場公開された。BSやCS等では完全版あるいは前後編でも放送。
  • Anne of Avonlea / Anne of Green Gables: The Sequel (1987年)
    • 1985年にCBCで製作された、Anne of Green Gables の続編。4時間弱ある。アメリカでビデオ化の際に改題された。小説の『アンの青春』のみならず、『アンの愛情』、『アンの幸福』の題材も含まれている。 ケビン・サリバン監督、ミーガン・フォローズ主演。
    • 日本では1988年に邦題『赤毛のアン アンの青春』としてダイジェスト版が劇場公開された。BSやCS等では完全版あるいは前後編でも放送。2014年にはLaLa TVにおいて邦題『続赤毛のアン アンの青春』として公開された。
  • Anne of Green Gables: The Continuing Story (2000年)
    • 1987年にCBCで製作された、Anne of Avonlea の続編。3時間強あり、ケビン・サリバンによる脚本は、オリジナル色が強い。ステファン・スケイニ監督、ミーガン・フォローズ主演。
    • 日本では2000年に『赤毛のアン アンの結婚』として、ダイジェスト版が劇場公開された。BSやCS等では完全版あるいは前後編でも放送。
  • Anne of Green Gables: A New Beginning (2008年)
    • グリーンゲイブル以前のアンを、The Continuing Story 後のアンが回想するという形で描く。旧作のシーンが折り込まれたり、『アボンリーへの道』を含めて全作品に登場するレイチェル・リンド役のパトリシア・ハミルトンが長命であったという設定でそのまま登場するが、サリバンのオリジナルストーリーで、父親の生存など設定の変更がいくつかある。モンゴメリの原作のフランチャイズ作品。
    • アン役はバーバラ・ハーシーとハンナ・エンディコット=ダグラス(幼少期)。
    • 日本では邦題『赤毛のアン 新たなる旅立ち』として2011年にBSで放送された。2014年にはLaLa TVにおいて邦題『赤毛のアン 新たな始まり』として放送された。

舞台作品[編集]

1964年に、カナダで、ノーマン・キャンベル(Norman Campbell)等によって制作、初演。1969年イギリス1970年日本1971年アメリカ合衆国で、それぞれ上演された。代表的なミュージカルナンバーは、アイスクリーム。日本では劇団四季が断続的に上演、他にもエステー主催で毎年8月に全国で上演しており、アン役はこれまでにタレントの山川恵里佳、歌手の華原朋美島谷ひとみ神田沙也加高橋愛が務めている。また、「国連クラシックライブ協会」が主催の「生命のコンサート音楽劇」としても上演されている。近頃では、海外公演も行なわれている。

アニメ作品[編集]

その他[編集]

  • 日本においては、2009年にすべてのキャストを男性声優で行ったドラマCD『サウンドシアタードラマCD 赤毛のアン』が発売された(例えばアン役に代永翼、ダイアナ役に岸尾だいすけ等)。
  • NHK連続テレビ小説花子とアン』 - 『赤毛のアン』の日本語翻訳の第一人者である村岡花子の生涯を描いたテレビドラマ。所々に『赤毛のアン』を題材としたエピソードが盛り込まれているが、続編にあたる『アンの青春』、『アンの愛情』を題材としたエピソードも採り入れている。
  • 小説・映画『白ゆき姫殺人事件』で、アンとダイアナの交流がモチーフとして使われている。

赤毛のアン事件[編集]

2001年に、『赤毛のアン』の原題である「Anne of Green Gables」の商標登録を認められたサリヴァン・エンターティメント・インターナショナル・インコーポレーテッド社に対し、プリンス・エドワード・アイランドが一部商品についての登録無効の審判を2004年特許庁に請求し、翌年登録無効の審決を得た。これに対し、上記サ社はこの審決を取り消す判決を求めた裁判を起したが、日本・カナダの国際信義に反するものとして、知財高裁はこれを退けた[10][11]

関連書[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 刊行百周年を機に読み直す『赤毛のアン』赤松佳子、奈良女子大学文学部研究教育年報 6, 37-46, 2009-12-31
  2. ^ モンゴメリの日記(八) - 友の死…『日記抄』一九一九年ニ月七日をもとに 竹内 素子/伊澤 祐子/藤掛 由実子, 仙台電波工業高等専門学校/宮城学院女子大学/東北大学非常勤講師
  3. ^ 第313回「赤毛のアン」の名付け親「小池喜孝」の本 - 山下敏明さんのあんな本、こんな本 なお、小池はその後、三笠書房を辞し、北海道北見北斗高等学校へ社会科教諭として赴任した。
  4. ^ 小池の提案は原稿が印刷所に回される前夜だったため、花子のこの翻意が1日遅ければ、邦題は『窓辺に倚る少女』となっていた可能性があった。(村岡恵理『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』マガジンハウス、2008年ISBN 978-4-8387-1872-6
  5. ^ 雑誌『少女の友』の昭和15年(1940年)2月号で紹介されたイギリスの画家、ラルフ・ピーコックの『エセル』と題した人物画。
  6. ^ 村岡恵理『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』マガジンハウス、2008年ISBN 978-4-8387-1872-6
  7. ^ カナダ人もびっくり! イタリアに『赤毛のアン』を広めたのは日本だった!
  8. ^ 花子の(養女)・みどりの実娘であるため、実際は大姪に当たる。
  9. ^ 公式サイト
  10. ^ 赤毛のアン事件知財高裁平成17(行ケ)10349号 平成18年9月20日判決(四部)<棄却> 〔特許ニュース2006年10月27日号〕
  11. ^ 著作物の題号と同一構成の商標が公序良俗に反し無効とされた事例-Anne of Green Gables事件松原洋平、知的財産法政策研究15号、北海道大学、2007

外部リンク[編集]