ベルギー領コンゴ
- ベルギー領コンゴ
- Colonie du Congo belge(フランス語)
Belgisch-Kongo(オランダ語) -
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1908 - 1960
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(国旗) (国章) 
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公用語 フランス語、オランダ語 首都 レオポルドヴィル
ベルギー領コンゴはかつて存在したベルギーの植民地。現在のコンゴ民主共和国を領域とする。ベルギー国王レオポルド2世が、その私領コンゴ自由国の支配権をベルギー政府に委譲する1908年11月15日からコンゴ民主共和国が独立する1960年6月30日まで存在した。
1908年から1950年代 [編集]
レオポルド2世はコンゴに対する圧政により厳しい国際的非難を浴びコンゴの支配権を放棄した。コンゴはベルギー議会が1907年11月28日に、国王が次の年の9月に調印した条約によりベルギーに併合された。コンゴはボマに駐在する総督と何人かの副総督によって統治されることになった。ブリュッセルには植民地大臣を議長とする植民地評議会がおかれコンゴに対する支配を監督した。植民地評議会は14名の委員で構成され、うち3名は上院によって、8名は下院によって、3名は国王によって任命された。コンゴは15の行政区画に分割され、予算は毎年ベルギー議会によって審議された。
ベルギー領コンゴの成立によりコンゴの状況は画期的に改善された。経済と社会に多くの変化があり、コンゴは列強からみて都合のいい“模範的”植民地になった[要出典]。病院と初等中等教育機関がキリスト教系の団体や教会自身によって建設され、民族の言語さえも学校で教えられたが、これは植民地教育においては稀な事であった[要出典]。こうした教会の勢力拡大にともなって、いくつかの民族言語をまぜあわせた共通語が広められ、今日のリンガラ語となった。医療は目覚しい成果を挙げ(それまでそういう施設が存在しなかったのだから当たり前だが)、アフリカ睡眠病がほぼ撲滅された[要出典]。全国の少なくない町に診療所が置かれ、都市部の住民は西洋医学に基づいた治療を受診できるようになった[要出典]。植民地政府は鉄道、港湾、道路、鉱山、農園、工業団地などの建設を伴う経済再編成を推進した。コンゴの教育はカトリック教会やプロテスタント等により担われた。初等教育は普及率が高かったが、高等教育は乏しかった。教育内容はキリスト教やヨーロッパの価値観を反映したものであった。
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参考文献 [編集]
- HISTORY OF THE DEMOCRATIC REPUBLC OF CONGO - HistoryWorld 上のページ