金峯神社 (吉野町)

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金峯神社
Konbu Shrine, Yoshino01.JPG
拝殿
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山1651
位置 北緯34度20分34秒
東経135度52分54秒
主祭神 金山毘古命
社格 式内社(名神大)・郷社
本殿の様式 流造
例祭 10月第3日曜日
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金峯神社(きんぷじんじゃ)は奈良県吉野郡吉野町にある神社である。吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祭る。式内社名神大)で、旧社格郷社

境内ユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部[1]

祭神[編集]

吉野山の地主神である金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祀る。

歴史[編集]

創建の経緯などは不明である。『栄花物語』には藤原道長が詣でたことが記されている。明治以前の神仏習合時代には「金精明神(こんしょうみょうじん)」と呼ばれ、本地仏阿閦如来釈迦如来大日如来金剛界)とされていた。金精の名は金峯山は黄金を蔵する山という信仰があったことが背景にあると思われる[2]

建造物[編集]

義経隠れ塔
  • 拝殿
  • 義経隠れ塔
金峯神社脇の小径を下った場所に建つ宝形造・檜皮葺きの簡素な塔である。追っ手に囲まれた源義経が屋根を蹴破って逃げたといわれ、「蹴抜の塔(けのけのとう)」とも呼ばれる。現在のものは大正初年に再建されたもの。

文化財[編集]

国宝[編集]

  • 金銅藤原道長経筒 1口
    1952年昭和27年)11月22日、国宝工芸品)に指定[3]。金峯山経塚出土品のひとつで、表面に刻された銘文中に「寛弘四年八月十一日」の年記がある。
    高さ35.8センチメートル、口径15.7センチメートル。藤原道長寛弘4年(1007年)に大和の金峯山経塚(奈良県吉野郡天川村)に埋納した厚手で大ぶりな円筒形経筒である(経塚とは、この世に弥勒仏が出現するとされる遠い未来まで経典を保存するために経箱や経筒を埋め、盛土したもの)。鍛銅製で鍍金が施され、器表に24行で510文字の銘文が刻まれており、埋経の趣旨と経緯が記されている。年代の明らかな経塚遺物としては最古のものである。銘文の内容は道長の日記『御堂関白記』の記載とも符合し、歴史的にも重要なものである。京都国立博物館に寄託。[4]

重要文化財[編集]

  • 大和国金峯山経塚出土品
    以下8点一括。1953年(昭和28年)3月31日、重要文化財考古資料)に指定。金峯神社所蔵[5]
    • 鍍銀経箱
    • 金銅経箱台残闕
    • 紺紙金字法華経 巻一、四、五、六、七残闕
    • 紺紙金字無量義経残闕
    • 紺紙金字弥勒上生経残闕
    • 紺紙金字弥勒下生経残闕
    • 紺紙金字法華経 巻三、四、六、七残闕
    • 紺紙金字無量義経
  • 鉄鐔 卒塔婆透し
    1個(附 蒔絵箱1個)。1925年大正14年)4月24日、重要文化財(工芸品)に指定[6]

史跡[編集]

[編集]

  1. ^ a b 世界遺産登録推進三県協議会、2005、『世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道』、世界遺産登録推進三県協議会(和歌山県・奈良県・三重県)、pp.39,75
  2. ^ 『神仏習合の本』 学習研究社 2008年
  3. ^ 昭和28年3月11日文化財保護委員会告示第17号
  4. ^ 経筒の説明は以下の資料による。
    • 『週刊朝日百科 日本の国宝10』、朝日新聞社、1997、pp.4-298, 4-299
    • 大阪市立美術館編『祈りの道 -吉野・熊野・高野の名宝-』(特別展図録)、毎日新聞社、2004、p.290
  5. ^ 大和国金峯山経塚出土品”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2010年1月22日閲覧。
  6. ^ 鉄鐔卒塔婆透シ”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2010年1月22日閲覧。
  7. ^ 大峯奥駈道”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2010年1月18日閲覧。

交通機関[編集]

近鉄吉野線吉野駅より吉野ロープウェイ乗り換え「吉野山」下車、徒歩約1時間45分