ソリドゥス金貨

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ソリドゥス金貨(ソリドゥスきんか、Solidus)は、4世紀のローマ皇帝・コンスタンティヌス1世の時代よりローマ帝国東ローマ帝国で鋳造された金貨の総称。東ローマ帝国では「ノミスマ」と称された。11世紀ころまで高純度を維持し、「中世のドル」として東ローマ帝国の内外で流通した。

中世フランスや南米などで使われた通貨のソル(Sol)、中世イタリアで使われたソルド(soldo)、中世スペインで使われたスエルド(sueldo)はソリドゥスに由来し、ペルーでは現在もヌエボ・ソルという通貨が使われている。

ドル記号$の由来の一つ。また、ソルジャー(兵士、soldier)という語は、「ソリドゥスのために戦う者」という意に由来する。

概要[編集]

コンスタンティヌス1世を描いたソリドゥス金貨

3世紀ローマ帝国は「3世紀の危機」とも称される全般的な混乱期であった。政治的分裂は同世紀末にディオクレティアヌス帝によって収拾されたものの、物価騰貴などの経済混乱は収拾したとはいえなかった。こうした中、4世紀前半にコンスタンティヌス1世が通貨の安定を図って鋳造した金貨がソリドゥス金貨の起源である。金保有量は4.48g。東ローマ帝国の時代にも同様の金貨が流通した。

ソリドゥス金貨(東ローマ帝国期にはノミスマと称される)は帝国統治における経済的な主柱であり、6世紀ユスティニアヌス1世の命によってトリボニアヌスによって編纂された『ローマ法大全』においても、金貨についての取り決めが多く記されていた。金貨の重量と純度は歴代皇帝によって遵守されたため信頼性が高く、それゆえ数世紀にわたって各地で流通した。7世紀、東ローマ帝国領のうちのシリアエジプトがイスラーム勢力によって征服されるが、その後もしばらくはノミスマが流通した。(ウマイヤ朝のカリフ、アブドゥルマリクの時代に独自に金貨が鋳造された。)その後も東ローマ帝国では貨幣経済は衰えず、都コンスタンティノープルは経済の中心地としても栄えていたことから、ノミスマは重要な役割を果たし続けた。

しかし、11世紀後半ころより、金貨の純度が劣化してその信頼を低下させていった。1071年のマンツィケルトの戦いセルジューク朝に敗北した後には、金の含有量は50%を切ってしまった。

その理由としては、コンスタンティノス8世(在位:1025年 - 1028年)以降の皇帝が国庫を浪費した結果、国家財政が窮乏化したために、劣悪な金貨をあえて使用した(財政が窮乏すると貨幣を悪鋳するというのは古今東西で見られる。帝国ではこの頃、並行して官位の売買なども行われている)という見解、11世紀以降のヨーロッパにおける経済成長と金不足との関連を指摘する見解などが挙げられるが、結論には至っていない。

関連項目[編集]