オーロフ (スウェーデン王)
オーロフ・シェートコヌング(ウーロヴ・シェートコヌング[1]とも。Olof Skötkonung、? - 1022年?)は、スウェーデン王(在位:994年[2]? - 1022年?)。
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解説 [編集]
オーロフはスウェーデン中部のスヴェーア人、南部のイェート人の双方を支配した事がわかっている中で最古の王である[3][2]。父はエリク6世 (勝利王)、母は、スコグルのトースティの娘のシグリーズ(Sigrid Storråda)[4]。
999年[1]または1000年[5]のスヴォルドの海戦においては、デンマーク王スヴェン1世と連合し、ノルウェー王オーラヴ1世トリュグヴァソンと戦い[1]、これを倒した[5]。
オーロフは1008年頃[注釈 1]、キリスト教(西方教会)の洗礼を受けた。
スウェーデンは北欧では最も遅くまで異教の影響が残った地域である。オーロフはキリスト教徒となった後も、ガムラ・ウップサーラで9年に1度催される大犠牲祭の司祭を務めたが、それはガムラ・ウップサーラが異教にとっても王位継承にも関係する政治にとっても重要な地であったためである。オーロフ以後、スウェーデンの王は、キリスト教化していったが、12世紀にキリスト教側が勝利するまで歴代の王は司祭を務めていた[6]。 オーロフはまた、ヴェステルイェートランドのスカーラに司教座(en)を置いた。スウェーデンでのキリスト教化はこの司教座が中心となって進められた[6]。
アイスランドの詩人、ハルフレズの生涯を伝えるサガでは、オーロフの元をハルフレズが訪ねて詩を献上し、これを喜んだオーロフが彼にスウェーデン滞在を勧めたものの固辞された経緯が語られている[7]。
なお「シェートコヌング」の名の意味は不明とされている[6]。ヒースマン姿子はその著書においてウールヴ従属王[8]と呼んでいる。
脚注 [編集]
注釈 [編集]
出典 [編集]
- ^ a b c 『北欧史』44頁。
- ^ a b 『北欧史』年表27頁。
- ^ 『北欧史』42-44頁。
- ^ 『ヘイムスクリングラ』収録の『〈灰色マントのハラルド王〉のサガ』第11章(『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 -(一)』スノッリ・ストゥルルソン著、谷口幸男訳、プレスポート・北欧文化通信社、2008年、318頁)。
- ^ a b 『スカルド詩人のサガ コルマクのサガ/ハルフレズのサガ』(森信嘉著、東海大学出版会、2005年、ISBN 978-4-486-01696-0)182頁。
- ^ a b c 『北欧史』53頁。
- ^ 『スカルド詩人のサガ』138頁。
- ^ ヒースマン姿子『ヴァイキングの考古学』同成社〈世界の考古学 11〉、2000年、ISBN 978-4-88621-210-8、143頁。
関連項目 [編集]
- en:Christianization of Scandinavia#Sweden(スウェーデンのキリスト教化)
参考文献 [編集]
- 百瀬宏・熊野聰・村井誠人『北欧史』山川出版社〈新版世界各国史21〉、1998年、ISBN 978-4-634-41510-2。
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