グスタフ1世 (スウェーデン王)
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グスタフ1世(Gustav I, Gustav Eriksson Vasa, 1495年 - 1560年9月29日)はスウェーデン国王(在位:1523年 - 1560年)。ヴァーサ王朝の祖。
1509年から1514年にウプサラ大学に学び、1518年から翌年にかけてスウェーデン独立派の貴族としてデンマーク軍と戦って捕らえられる。1520年、ストックホルムでデンマーク王クリスチャン2世によるストックホルムの血浴が起こると、脱出してダーラナに帰り1521年にこの地方の農民を率いて反乱を起こし成功した。スウェーデンの摂政となることを宣言し、1523年、スウェーデン国会(Rikstag)に選ばれて国王となった。
1527年、ヴェステロースで開かれた国会において法律を定め「この国では簡素で真実なる神の御言葉のみを弘めるべき」とし、ルター派の教義を全面的に認め、スウェーデン教会がローマから分離するきっかけをつくった。ついで国土の26%を占めるカトリック教会の土地を没収し、国土の5%にすぎなかった王家の土地を拡大し財政基盤を改善した。行政改革を行い、ダーラナやスモーランドに起きた地方の反乱を厳しく鎮圧した。
グスタフ1世は宮廷が大陸風の華やかなスタイルをもつことを重要視し、この時代に聖書のスウェーデン語訳も完成し、宗教改革者ウーラウス・ペトリによって詩や神学の書物があらわれた。
1000スウェーデン・クローナ紙幣に肖像が描かれている。
子女[編集]
1531年、ザクセン=ラウエンブルク公マグヌス1世の娘カタリーナと結婚。1子を儲けた。
- エリク14世(1533年 - 1577年) - スウェーデン王
1536年、マルガレータ・エリクスドッテルと再婚。10子を儲けた。
- ヨハン3世(1537年 - 1592年) - フィンランド公。1568年にスウェーデン王となる。
- カタリーナ(1539年 - 1610年) - オストフリースラント伯エッツァルト2世の妻
- セシリア(1540年 - 1627年) - バーデン=ローデマヒェルン辺境伯クリストフ2世の妻
- マグヌス(1542年 - 1595年) - エステルイェートランド公。精神病を患った。
- カール(1544年、夭折)
- アンナ・マリア(1545年 - 1610年) - プファルツ=フェルデンツ公ゲオルク・ヨハン1世の妻
- ステン(1546年 - 1547年)
- ソフィア(1547年 - 1611年) - ザクセン=ラウエンブルク公マグヌス2世の妻
- エリサベト(1549年 - 1597年) - メクレンブルク公子クリストフの妻
- カール9世(1550年 - 1611年) - スウェーデン摂政。1604年に王となる。
1552年、カタリーナ・ステンボックと3度目の結婚。子は無かった。
関連項目[編集]
- スウェーデン=フィンランド
- ヴァーサ・ロッペット
- カルマル同盟
- 宗教改革
- 近衛連隊 (スウェーデン)
- グスタヴ・ヴァーサのストックホルム入城 - スウェーデンの画家カール・ラーションによるグスタフ1世を描いた絵画
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