アブー・ライハーン・アル・ビールーニー

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アブー・ライハーン・アル=ビールーニー( ابو الريحان محمد بن احمد البيروني Abū al-Rayḥān Muḥammad b. Aḥmad al-Bīrūnī, 973年 - 1048年)は、ホラズム出身の著述家数学者天文学者旅行家哲学者薬学者占星学者。さらに歴史学言語学にも言及しており、彼の学問分野は広範である。 イスラーム世界を代表する知識人である。アル=ビルニアル=ビールーニーとも表記される。

973年、ホラズム(今日のウズベキスタン領内)で生まれた。しかしながら、彼の出身名(ニスバ)である「ビールーニー」 bīrūnīとは、ペルシア語で「郊外」という普通名詞であるか地名であるかは定かでは無い。 アブー・ナスル・マンスールのもとで数学を学び、イラン中央アジアの各地を遊歴。イブン=スィーナーアヴィセンナ)と交流を持った。サーマーン朝の君主マンスール2世やホラズム・シャーのマアムーンなどに仕えたが、ガズナ朝がマーワラーアンナフルを征服するとこれに使えるようになった。1000年頃、後にゾロアスター教の重要な資料となる『古代諸民族年代記』を執筆。

アル=ビールーニーによって描かれた月食の図。右のやや大きめの円が太陽。左の大円の周囲に配された小円は地球を公転する月のそれぞれ位置を示し、赤い直線が陽光などの光線を表す。『星学入門』(ペルシア語版)より
アル=ビールーニーによって描かれた月食の図。右のやや大きめの円が太陽。左の大円の周囲に配された小円は地球を公転するのそれぞれ位置を示し、赤い直線が陽光などの光線を表す。『星学入門』(ペルシア語版)より

1017年から1030年にかけて、ガズナ朝スルタンマフムードに仕えた。マフムードの十数回に及ぶインド遠征にたびたび随行し、インドの民俗歴史法律および言語をまとめた『インド誌』を1030年に完成させた。同年、天文学書『マスウード宝典』をまとめあげた。この本の中で、地球自転を説き、地球の半径を約6339.6キロメートルと計算している。

他に薬学全集『薬学の書』、鉱物事典『宝石の書』を執筆した。著書の数は120を超える。著書は主にアラビア語で執筆されている。『ヨーガ・スートラ』のアラビア語訳などインド関連の著作を20編ほどあり、プトレマイオスの『アルマゲスト』をサンスクリット翻訳することを試みたが、この翻訳が成功したことを示す証拠は今のところ見つかっていない。

ちなみに『シャー・ナーメ』の著者フェルドウスィーとも同時代人である。

[編集] 著作

『古代民族年代記』(Āthār al-Bāqiya ‘an al-qurūn al-khāliyah)
『マスウード宝典』(al-Qānūn al-Mas‘ūdī)
『星学入門』(Kitāb al-Tafhīm li-awā'il ṣanā‘at al-tanjīm)
『インド誌』(Taḥqīq mā lil-Hind min maqūlah maqbūlah fī al-‘aql 'aw mardhūlah)
『宝石の書』(Kitāb al-Jamāhir fī Ma‘rifat al-Jawāhir)
URL: Kitab al-Jamahir: on Gemstones (English)
『薬学の書』