ガザーリー

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アブー・ハーミド・ムハンマド・イブン・ムハンマド・アル=ガザーリーAbū Hāmid Muhammad ibn Muhammad al-Ghazālī, 1058年 - 1111年)はイスラーム神学者、神秘主義者(スーフィー)。ガッザーリー(Ghazzali)と表記する場合もある。

目次

[編集] 生涯

彼は1058年にホラーサーントゥースに生まれた。学者として名声を得ていた同名の叔父がおり、スーフィーとして大成した弟アフマド・ガザーリーがいる。父は羊毛紡ぎの商家を営んでいたが、ガザーリーの幼少時に没したらしい。息子たちに学問への道を志すことを願って資産を残し、ガザーリーは郷里のトゥースで初等教育を受け、シャリーア学を学んだ。その後ゴルガーンでさらに研鑽を積み、1077年ニーシャープールニザーミーヤ学院に赴き、シャーフィイー派法学およびアシュアリー派神学の権威で当代随一の大学者と呼ばれていたイマームルハラマイン・ジュワイニーのもとで法学と神学を学ぶ。師のもとで代講したり自らの著書の執筆をするなどしてしだいに学者として頭角を現すようになった。

1085年に師であるイマームルハラマインが死去すると、ニーシャープールを去ってセルジューク朝の首都であったイスファハーンの宮廷に出仕するようになり、ここで宰相ニザームルムルクに認められ、1091年バグダードニザーミーヤ学院の教授職を得た。しかし1092年パトロンであったニザームルムルクが暗殺され、ほどなくスルタン・マリク・シャーも変死すると宮廷では後継者争いが表面化しイスマーイール派テロ活動が活発化するなど、世情は著しく不安定になった。彼自身もしだいに理性と信仰の間に生じた矛盾に悩み、1095年に教授職を捨て、スーフィーとなって修行生活に入った。

1096年からシリアパレスチナ(シャーム地方)へ修行の旅に出かけ、以後10年間をダマスクスエルサレムヘブロンなどの旧蹟を巡って各地のモスクなどで瞑想に耽った。この間もムスリム住民に請われて『エルサレム書簡』を書いており、また大部の著作となる『宗教諸学の再興』の執筆も始めている。その時期にマッカマディーナへも巡礼している。

ただ、このスーフィーとしての修行時代も、上記のように弟子や各地のムスリム住民のために著述したり、また飢饉のときの住民救済や弟子たちへの就職の斡旋などのために政治指導者たちへ手紙を書くなどして奔走しており、世間から完全に隔絶していたというわけではなかった。

1106年に、ニザームルムルクの息子ファフルルムルクの強い要請によって、ニーシャープールのニザーミーヤ学院で再び教鞭をとった。この頃に学生たちに請われて大著『法理論精要』や自伝的思想書である『迷いから救うもの』を著している。1109年にトゥースへ帰郷し、1111年12月18日、弟のアフマドらに見守られて死去した。

[編集] ガザーリーの神学

ガザーリーは、正統的イスラム知識人としてイスラム哲学イスマーイール派に対する批判を行った一方、アリストテレス論理学をイスラム神秘主義(スーフィズム)に取り入れ、その理論化を行った。ガザーリーの高度な知識の裏づけによってなされた著作・論文によってイスラム世界内部でのスーフィズム批判(それまではスーフィズムはイスラーム正統の神学からはあやしげなものとして扱われる傾向があった)の波が徐々に収まっていった面がある。

ガザーリーはヨーロッパでもアルガゼル(Algazer)の名で知られ、その著書は哲学入門書として使われた。

また女性差別的な思想でも知られ、『女性は悪魔の軍隊の一員であり、男性が神に近づくことを妨げるのが彼女たちの存在意義そのものである』という言葉がある[1]

[編集] ガザーリーの主要な著作

[編集] 原典

英語表記を併記。

  • 『哲学者の意図』(Maqāsid al-falāsifa
  • 『哲学者の矛盾』(Tahāhut al-falāsifa
  • 『宗教諸学の再興』(Ihyā' 'ulm al-dīn
  • 『迷いから救うもの』(al-Munqidh min al-dalāl
  • 『幸福の錬金術』(Kimiyā' al-Sa'ādah
  • 『エルサレム書簡』(al-Risāla al-Qudsīya
  • 『神学綱要』(al-Iqtisād fi'l-I'tiqād
  • 『法理論精要』(al-Mustasfā min 'Ilm al-Usūl

[編集] 日本語訳

  • 『哲学者の意図』 黒田寿郎訳、岩波書店〈イスラーム古典叢書〉、1985年。
  • 『誤りから救うもの』 中村廣治郎訳、ちくま学芸文庫、2003年。
    • 上記の『迷いから救うもの』原典(al-Munqidh min al-dalāl)に同じ。

[編集] 脚注

  1. ^ 『イスラームとジェンダー-現代イランの宗教論争』p534