ウィジャヤバーフ1世

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ウィジャヤバーフ1世
முதலாம் விஜயபாகு
ポロンナルワ王
在位 1055年1110年
戴冠式 1072年/1073年

出生 1039年
ルフラ
死去 1110年
ポロンナルワ
家名 ウィジャヤバーフ家
父親 モッガラーナ
母親 ロキタ
宗教 上座部仏教
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ウィジャヤバーフ1世முதலாம் விஜயபாகு, 1039年 - 1110年)は、スリランカの王。王家に生まれ、インド南部チョーラ朝セイロン島への侵略期に育つ。1070年、17年間の軍事行動によりチョーラ朝を駆逐[1][2]スリランカの仏教を立て直した。

生い立ち[編集]

1039年ごろ、セイロン島南部にあるルフナ公国の公子キッティ(またはキーティ)として生まれる。生まれた当時のセイロン島は北部が南インドチョーラ朝に支配され、中南部をセイロン王朝が支配するという状況だった。

15歳でルフナ公ロキサッラを倒し、1055年には自らがルフナ公に即位してウィジャヤバーフを名乗るようになった。

チョーラ朝はルフナ王国に対して度重なる攻撃を加えたがウィジャヤバーフはこれに反抗してむしろ同王朝の勢力を追い出し、1058年にはルフナ王国領の支配を確立した。

ポロンナルワ奪還[編集]

第一次[編集]

ルフナ公国平定後、ウィジャヤバーフは都のポロンナルワ奪還を目指して進軍した。1066年には1度目の攻撃を行い占領した[3]が南インドから援軍が駆けつけたチョーラ朝軍に敗北し、短期間でポロンナルワを明け渡した[4][5]。これ以降領内で3度の反乱が発生し、短期間で再びチョーラ朝を攻めることは叶わなかった。一方で彼はカタラガマを臨時の首都とし、ポロンナルワ奪還のため軍の増強に努めた。

脚注[編集]

  1. ^ Codrington, H.W (1926). A Short History of Ceylon. London: Macmillan & Co.. ISBN 9780836955965. OCLC 2154168. http://lakdiva.org/codrington/chap04.html 
  2. ^ A BRIEF HISTORY OF SRI LANKA”. Tim Lambert. localhistories.org. 2008年9月12日閲覧。
  3. ^ THE POLONNARUWA KINGS”. Rhajiv Ratnatunga. lakdiva.org. 2008年9月12日閲覧。
  4. ^ Raghavan, M.D. (1961). The Karava of Ceilon: Society and Culture. Colombo: K. V. G. De Silva & Sons. pp. 9-10. https://www.noolaham.net/project/38/3704/3704.pdf 
  5. ^ Kurukulattaraiyan. “The prince with the golden anklet”. Epigraphica Indica 21, part 5 (38): 220–50. 
ウィジャヤバーフ1世の碑文(ポロンナルワ)
先代
カッサパ7世
ポロンナルワ
1055年 - 1110年
次代
ジャヤバーフ1世英語版