ゴダイヴァ夫人

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ジョン・コリア作「ゴダイヴァ夫人」。1898年頃の作品

ゴダイヴァ夫人(Lady Godiva、990年頃 - 1067年9月10日?)は、11世紀イングランドの女性。マーシア伯レオフリックの夫人で、自身も後に領主となった。夫レオフリックの圧政を諌めるためコヴェントリーの街を裸で行進したという有名な伝説が残っているが、中世を専門とする歴史家の見解は、これは史実ではないことで一致している[1][2][3]。同時代頃(?)の偽イングルフの年代記によれば、ゴダイヴァは「美しいかぎりの、聖い心もちの女性」であったといわれる[4]

伝説[編集]

英米の人口に膾炙する漠然とした伝説は、領民に対して情けぶかい夫人が、理不尽な夫に難癖をいわれて素裸で長髪をなびかせ馬に乗って町内を横断する羽目になり、町人は夫人に恩義を感じて目をそむけ野次馬をさしひかえたのだが、ただ一人、トムという男が盗み見たため、以来、ピーピング・トムといえば覗き見をする人間の代名詞となった、というものであるが、このうちどの部分がどのように成立したかを以下に説明する。

この伝説については、ロジャー・オブ・ウェンドーヴァー英語版(1236年没)の年代記、『歴史の花英語版』がもっとも簡素かつ最古とされる典拠であるが[5]、それは次のような記述である:[6]

伯爵夫人ゴダイヴァは聖母の大そうな敬愛者で、コヴェントリーの町を重税の苦から解放せんと欲し、たびたび夫に対して祈願して(減税を)迫った。…伯爵はいつもきつく叱りつけ、二度とその話はせぬようと嗜めたが、(それでもなお粘るので)ついに「馬にまたがり、民衆の皆がいるまえで、裸で乗りまわせ。町の市場をよぎり、端から端まで渡ったならば、お前の要求はかなえてやろう」と言った。ゴダイヴァは「では私にその意があればお許し頂けますのですね?」念をおしたが、「許す」という。さすれば神に愛されし伯爵夫人は、髪を解きほどき、髪の房を垂らして、全身をヴェールのように覆わせた。そして馬にまたがり二人の騎士を供につけ、市場を駆けてつっきったが、その美しいおみ足以外は誰にも見られなった。そして道程を完走すると、彼女は喜々として驚愕する夫のところに舞い戻り、先の要求を叶えた。レオフリク伯は、コヴェントリーの町を前述の役から免じ、勅令(憲章)によってこれを認定した。

ロジャーの『歴史の花』よりも広く書写された中世時代のベストセラーに、同じ僧院の後輩マシュー・パリス英語版による補訂版ともいうべき『大年代記英語版』があるが、その記述も上と大差はなく、誰にも見られなかったことを伯爵が「奇跡だと感じ入った」という部分のみが誇張である。[7]

トマス・パーシー司教英語版のフォリオ写本(1650年頃の写本)所収のバラッドの一篇「レオフリクス」(Leoffricus)[8][9]では、伯爵はすでに市民に対し免税優遇策を施してはいたが、ただ「馬税」だけがいまだ徴収されていたので、妻のゴダイヴァ(Godiva)が、更にその撤廃を嘆願した。ゴダイヴァは、裸で馬乗りすることを命じられた日を指定して、町内中の役人に通知すると、役人たちは彼女の意を汲み、町民たちに命じて、「その日は家にこもって戸も窓も締め切るように」と言いつけた[10](町民に屋内に閉じこもれという発令がされるのは、このバラッドが初だという[11]

また、「裸で」という言葉の解釈にも諸説あり、「長い髮が効果的に体を隠していた」「下着のようなものは身に着けていた」「貴族の象徴である装飾や宝石類を外した格好だったことを『裸で』と言い表した」など複数の説がある。ただし、彼女の時代の"naked"という語は「いかなる衣服も身につけず」という文字通りの意味であり、それ以上の比喩的な使い方があったわけではなく、後付的な解釈である感も否めない。また、領民のためではなく自らの懺悔のために行ったという説もある[要出典]

ピーピング・トム (伝説)[編集]

コヴェントリーの行事で展示されたピーピング・トムの木像。W. Reader (1826年の投稿記事)のスケッチ

町衆みんなが守った礼儀にさからって、一糸まとわぬゴダイヴァ夫人をただひとり覗き見したというピーピング・トム伝説は、文学作品から広まった形跡はない。これは17世紀以降、コヴェントリー地域の巷に出現した伝説である。

1826 年に投稿された W. Reader という地元通の記事によれば、夫人をのぞき見した仕立屋がいたという伝説はそのころすでに定着しており、町をあげての恒例の祭り(Trinity Great Fair 現今en:Godiva Festival)では、ゴダイヴァ夫人に扮した人が行列に参列し(Godiva processions)、街角には「ピーピング・トム」と呼ばれる木像が置かれるしきたりであった(そのイラスト画像などは#二次資料を参照)。同記事の筆者は、この木像の甲冑・異称などから、それがチャールズ2世(1685年没)時代頃のものと推定する。また、古物収集家ウィリアム・ダグデール英語版 (1686年没)が、その巨著らのなかで「のぞき野郎」のことにひとことも触れていないことから、伝説の発祥はその後と結論した[12]

ゴダイヴァ夫人の行進の行事が始めて開催されたのは1677年であるが[13]、翌1678年にはジェームズ・スウィナートンという男の子がゴダイヴァ夫人役だったという[14]

文献における「覗き男」登場の経緯はどうかというと、これは英国人物事典(DNB 1890)に詳しい[15]。まず歴史家ポール・ド・ラパン=トワラ英語版 (1732年)がルポタージュする地元事情によれば、戸窓を閉めきって見るな、死罪に処すぞ、ときついお達しがあったのにのぞき見した男がおり、そいつは命で償ったというのが町の言い伝えであり、町ではこの故事を記念し、男の像が一軒の家の窓から外を覗くように飾ってあると報告する[16]。次にトマス・ペナント『チェスターからロンドン』( 1782 年)によれば、 のぞき見したのはとある仕立屋だったとし、ゴダイヴァ夫人の行進では、ゴダイヴァ役が、むろん全裸ではないが、四肢にぴったり合わせた純白の絹衣をまとうとしている[17]。英国人物事典によれば、「ピーピング・トム」が名指しで文書に登場する最古例はコヴェントリー市の公式年代記(1773年6月11日付)で、木偶に新しいかつらと塗料が支給された記録である。

このほか、覗き男の名がアクティオン(?)(Action)であったという1700年以前の書簡があるという[18]

トム(トーマス)という名はアングロサクソン名ではないので、実在のゴダイヴァ夫人の時代の領民の名としてはありえないことが指摘されている。またトーマスはこののちに天罰がくだって盲目にされた、あるいは住民によって視力を奪われてしまったとも伝えられる[19]

ピーピング・トム (俗語)[編集]

ピーピング・トム(Peeping Tom)は英語の俗語で、覗き魔のこと。ゴダイヴァ夫人の裸身を覗き見た上記の男の名に由来する。日本語の同意の俗語「出歯亀」(でばがめ)に相当。

史実[編集]

コヴェントリーにあるゴダイヴァ夫人の騎馬像

マーシア伯レオフリック(968年-1057年)の妻。名前の綴りは一定しない。アングロサクソン名は Godgifu または Godgyfu であり、これはgood giftを意味する[20]。Godiva はラテン風の綴りである。イーリー大聖堂英語版年代記 Liber Eliensis (12世紀末) によれば、ゴダイヴァという名の伯爵未亡人が1028-9年頃、死期を悟り同寺院に土地を寄贈したとあるが、もしこれと同一人物であるとすれば、その彼女が病状から回復して、そののちにレオフリックと再婚したことになる[21]

レオフリックもゴダイヴァも共に信仰活動に熱心であった。ロジャー・オブ・ウェンドーヴァーによれば、レオフリック伯が1057年が死去したとき、みずから建立したコヴェントリーの修道院に埋葬されたが、この建立は妻であるゴダイヴァ伯爵夫人の助言によるものであったという[22]。このベネディクト会修道院、聖メアリーの小修道院英語版は、1043年に設立されたが[23][24]修道院解散令英語版に廃院となった 。下って1050年代には、ウスター市の聖メアリー修道院 (St Mary's Priory) への土地の寄進状において、またリンカンシャー州のストウ村の聖メアリー教会英語版(Minster Church of St Mary, Stow in Lindsey)の建立勅令にも、ゴダイヴァ(Godgife)の名がレオフリックの名と連記されている[25][26] 。さらに夫妻の名前はレオミンスター、チェスター、マッチウェンロック、エヴェシャムの教会堂の後援者として記録されている[27]

1057年にレオフリックと死別した後、未亡人としてノルマン・コンクエスト後まで生き延びた。ウィリアム1世による検地台帳「ドゥームズデイ・ブック」には、ノルマン人によるイングランド征服後もわずかながら残ったアングロサクソン人領主の一人として、また唯一の女性領主として記されている。ただし土地調査が行われた1086年には既にゴダイヴァは死去していたとする説もあり[28]、1066年から1086年の間に死去したとする説、1067年9月10日をゴダイヴァの命日とする説など諸説ある[29]。また、ゴダイヴァの墓所についても、夫の隣に埋葬されたとする説、すでに現存しないエヴェシャムの教会に埋葬されたとする説など諸説ある。

これらの史実から、コヴェントリーの街を裸で馬に乗って行進したという有名な伝説は事実ではないというのが歴史家の見解である(前述)。

関連情報[編集]

  • 欧米では、増税反対のために街頭抗議デモを行う場合に、ゴダイヴァ夫人の故事にならい、スキンカラーのボディスーツをまとった女性が白馬にまたがり、ねり歩くパフォーマンスを行うことがある[30][31]
  • SF作家ロバート・A・ハインラインは、「効果的なパフォーマンス」「印象的な出来事」の例として、ゴダイヴァ夫人の故事を頻繁に引用している。
  • ベルギーチョコレートメーカー「ゴディバ」の社名およびシンボルマークはゴダイヴァ夫人に由来する。
  • 小惑星(3018)のゴダイヴァは、彼女に因んで命名された。
  • ノースロップ・グラマンF-14トムキャット戦闘機偵察機バージョン(偵察ポッドを搭載)は、ニックネームがピーピング・トムである。
  • クイーンの楽曲「ドント・ストップ・ミー・ナウ」の歌詞では、競技用自動車について、ゴダイヴァ夫人のように駆け抜けると表現されている。

脚注[編集]

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  1. ^ [1] Coe, Charles. "Lady Godiva: The Naked Truth." Harvard Magazine. July-Aug. 2003 (July 28, 2008)
  2. ^ [2] Why did Lady Godiva take a naked horse ride?
  3. ^ [3] Lady Godiva: The naked truth, BBC News, 24 August, 2001, 15:31 GMT
  4. ^ Ingulph's (?) Historia Croylandensis (she was 'tunc fœminarum pulcherrima sic corde sanctissima"), Hales & Furnival 編 "Leoffricus"序、p.473 で引用; "a most beautiful and devout lady," (Gentleman's Mag. Lib. 4, p.110)
  5. ^ DNB 1890 (Dict. Nat. Biog.), vol.22, .36 "the simplest and oldest form.. by Roger of Wendover, whose Flores.."
  6. ^ Giles 1899 英訳, p.314-5 より重訳
  7. ^ Matthew Paris, Yonge1853編訳
  8. ^ Hales & Furnivall 1868, 第3巻, p.473-
  9. ^ 匿名 Collection of Old Ballads (1723-5)にも異本が収録。
  10. ^ Hales & Furnivall 1868, 第3巻, p.473-, "wherefore to all the officers of all the towne she sent .. that on the day that shee shold ryde, all persons through the towne / shold keepe their houses, & shutt their dore, & clap their windowes downe," 53-60 行。
  11. ^ DNB 1890, "This ballad first mention the order.."
  12. ^ W.Reader 1826 vol.96, p.22 "yet no one, including the late Sir W. Dugdale, even hint at the circumstance in question. We may safely, therefore, appropriate it to the reign of Charles II."
  13. ^ W.Reader 1826 vol.96, p.22, "In 1677 .. the Procession at the great Fair was first instituted."
  14. ^ Hartland, E. Sydney, Science of Fairy Tales, (1890), p.75 コヴェントリー市の年代記の写本Dより抜粋:"31 May 1678, being the great Fair at Coventry.. and Ja. Swinnertons Son represented Lady Godiva"
  15. ^ DNB 1890, "That one person disobeyed the order .. first stated by Rapin (1732)... Pennant (Journey from Chester to London)(1782) calls him 'a certain taylor.' The name 'peeping Tom' occurs in the city accounts on 11 June 1773 when a new wig and fresh paint were supplied for his effigy."
  16. ^ Paul M. Rapin de Thoyras 著, Thomas, N. Tindal 英訳 The History of England" Vol. I, 2nd ed. 1732年版 p.135, "Notwithstanding, there was one, who could not forebear giving a look.."
  17. ^ Pennant, Thomas, The Journey from Chester to London" 1811年版 p.190, "the curiousity of a certain taylor overcoming his fear, he took a single peep"(この版では、すでにこのころ絹ではなく綿衣がつかわれている、と脚注する)
  18. ^ DNB 1890, "Poole quotes from the 'Gentleman's Magazine' a letter from Canon Seward (ca. before 1700) which makes the peeper 'a groom of the countess,' named Action (?Actæon)"
  19. ^ Leman Rede, "Peeping Tom", The New Monthly Magazine and Humorist, (1838), Part the First, p. 115: "Tradition adds, that the people resolved to close up their houses,.. but.. that one, whose name has not survived, looked forth upon her, and was strcken blind, as some affirm, by the vengeance of Heaven; or, according to others, was deprived of sight by the inhabitants." (引用だが、典拠を"a modern writer" としか明かさない)
  20. ^ [4] クリックなか見!検索 Chaper1 Godgifu of Mercia pp.7-8
  21. ^ DNB 1890 (Dict. Nat. Biog.)
  22. ^ Roger of Wendover, 前述(西暦1057年の記述), Giles 1899 英訳, p.314 "Leofric earl of Chester.. was buried in the monastery he had founded at Coventy...by the advice of his wife the noble countess Godiva."
  23. ^ Dugdale, William (1686年没) , Monasticon Anglicanum (Bohn, 1846), Vol. III, p.177。"1043年"の記述は, 付録 Num. IV のアレクサンダー教皇勅書にみえ、また、建立勅令の異本では 1044年, 1051年]
  24. ^ 1043年の勅令の数々の異本は Anglo-Saxons.net, S 1226に提示。ただし真贋については、疑わしい('spurious'と表記される)
  25. ^ ウスターの勅令には[「レオフリクとその妻」とのみ表記。Anglo-Saxons.net, S 1232
  26. ^ ストウ勅令では"Godgife" と表記。Anglo-Saxons.net, S 1478. Thorpe (現代英語訳付) p.320
  27. ^ The Chronicle of John of Worcester ed. and trans. R.R. Darlington, P. McGurk and J. Bray(Clarendon Press: Oxford 1995), pp.582-583
  28. ^ K.S.B.Keats-Rohan, Domesday People: A prosopography of persons occurring in English documents 1066-1166, vol.1: Domesday (Boydell Press: Woodbridge, Suffolk 1999), p.218
  29. ^ "A History of Penn and its People", Wolverhampton History & Heritage Society
  30. ^ [5] Businesswoman in Godiva-style protest, BBC News, Thursday 19 September, 2002
  31. ^ [6] A modern-day Lady Godiva to re-enact tax protest ride, DESERET NEWS April 14-15, 1983

一次資料[編集]

(勅令など史料)
  • Coxe, Henry O., 編 Rogeri de Wendover, Chronica, sive Flores Historiarum, Vol. 1, London, 1891 p.496-7 (A.D. 1057)
  • Thorpe, Benjamin (ベンジャミン・ソープ), Diplomatarium anglicum aevi saxonici: A collection of English charters, Vol. 1 (London, 1865) (古英語と現代英語対訳) (books.google)
(史書)
(創作)

二次資料[編集]

  • Daniel Donoghue (2002-12). Lady Godiva: A Literary History of the Legend. Springer. ISBN 978-1405100472. 
  • (anonymous), The history of lady Godiva and Peeping Tom of Coventry, with a description, Coventry, J. W. Mills, sixth ed., sans date. books.google(トム像は蝶ネクタイをしている)
  • Dugdale, William, Antiquities of Warwickshire (1656)、p.66 Internet Archive
  • Hartland, E. Sydney, "Peeping Tom and Lady Godiva," Folk-Lore, I, 2 (June, 1890) 217-226 (books.google)
(英国人名事典)

(ピーピング・トムの木像のスケッチ)

    • (再版/絵カット無)The Gentleman's magazine library 4 (1885) (1731-1868年の記事を主題別に分類), p.111

外部リンク[編集]

  • Donoghue, Daniel (2002-12-20) (英語). Lady Godiva: A Literary History of the Legend. Wiley-Blackwell. ASIN 1405100478. ISBN 978-1405100465. 
    • ダニエル・ドナヒュー、伊藤盡(訳)、2011、『貴婦人ゴディヴァ: 語り継がれる伝説』、慶應義塾大学出版会(原著2002年) ISBN 978-4766418590 LCC LCC