藤原伊尹

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藤原 伊尹(ふじわら の これただ/これまさ、延長2年(924年) - 天禄3年11月1日972年12月14日))は、平安時代中期の公卿摂政藤原師輔の長男。正二位摂政太政大臣。贈正一位。別称は一条摂政漢風諡号謙徳公、国公は三河公

村上天皇期の実力者右大臣藤原師輔の長男で、妹の中宮安子が生んだ冷泉天皇円融天皇即位すると栄達し、摂政・太政大臣にまで上り詰めた。しかし、その翌年に早逝。子孫は振るわず、権勢は弟の藤原兼家の家系に移る。

目次

[編集] 生涯

父の師輔は右大臣として村上天皇天暦の治を指導した実力者だった。妹の中宮安子が村上天皇の後宮に入り、東宮皇太子憲平親王為平親王守平親王といった有力な皇子を生んでいる。

天慶4年(941年従五位下に叙される。 村上天皇の時代の天暦天徳年間に蔵人に補任され、美濃伊予守など地方官を兼任した。ところが、天徳4年(960年)に父・師輔が急死する。この時、伊尹は従四位上蔵人頭春宮権亮左近衛権中将であり、弟の兼通・兼家もともに従四位下中宮権大夫正五位下少納言に過ぎず、九条流は存亡の危機を迎えた。だが、憲平親王を皇太子と定めた村上天皇の強い意向で、同年の除目参議に進み、康保4年(967年)に従三位に昇り、続いて上臈4名[1]を飛び越して権中納言に転じる。その間に弟の兼通・兼家を相次いで蔵人頭に送り込むことに成功して、村上天皇との関係を維持した。

同年、村上天皇が崩じて安子の皇子の憲平親王が即位(冷泉天皇)。父の師輔は既になく、伯父の実頼関白太政大臣となったが、天皇との外戚関係がなく力が弱かった。一方、伊尹は天皇の外伯父として、権大納言に任じられ、翌安和元年(968年正三位に昇る。伊尹は冷泉天皇に娘の懐子女御として入内させ、師貞親王が生まれている。

冷泉天皇は狂気の病があり、長い在位は望まれず、東宮には同母弟の為平親王、守平親王が有力だったが、年少の守平親王が東宮に選ばれた。これは為平親王の妃が左大臣源高明の娘であり、将来源氏外戚となることを藤原氏が恐れたためだった。さらに、安和2年(969年)、源満仲が謀反の密告をし、突如高明は失脚して大宰府左遷されてしまった(安和の変)。この陰謀の首謀者は諸説あるが伊尹が仕組んだという説もある。同年、冷泉天皇は譲位し、守平親王が即位する(円融天皇)。東宮には師貞親王が立てられた。

天禄元年(970年右大臣に拝せられ、同年、摂政太政大臣だった伯父の実頼が薨去し、天皇の外伯父の伊尹は摂政氏長者となる。天禄2年(971年太政大臣をに任ぜられ、正二位に進む。伊尹は名実ともに政権を掌握したが、それから程ない翌天禄3年(972年)病に倒れ、上表して摂政を辞め、まもなく薨去した。享年49。正一位を贈られ、謙徳公と諡された。死因は糖尿病だったとする説が有力である。

伊尹の後任の関白には兼家が有力だったが、中宮安子の遺言によってその兄の兼通が任じられた。永観2年(984年)、円融天皇が譲位して師貞親王が即位した(花山天皇)。外伯父となった伊尹の子の中納言義懐が朝政を執るが、花山天皇は兼家の策謀によって出家退位させられ、一条天皇即位し、外戚の兼家が摂政となった。絶望した義懐は出家してしまい、以降、伊尹の系統は振るわなくなる。

[編集] 人物

性格は豪奢を好み、大饗の日に寝殿の壁が少し黒かったので、非常に高価な陸奥紙で張り替えさせたことがある[2]。父の師輔は子孫に節倹を遺訓していたが、伊尹はこの点は守らなかった[3]

和歌に優れ、天暦5年(951年)梨壺に設けられた撰和歌所の別当に任ぜられ、『後撰和歌集』の編纂に深く関与した。『後撰和歌集』(2首)以下の勅撰和歌集に38首が入首[4]。家集『一条摂政御集』(『豊蔭集』)がある。書家として名高い藤原行成は孫であり、そこから世尊寺系と呼ばれる家系を輩出した。

[編集] 逸話

大鏡』において、伊尹の若死についての以下の逸話がある。

  • 伊尹の父師輔は自らの葬送について、極めて簡略にするように遺言していたにもかかわらず、伊尹は通例通りの儀式を行った。師輔の遺言に背いたために伊尹は早逝したとの噂があったとされる[3]
  • 伊尹が若年の頃の除目藤原朝成とともに蔵人頭の候補になった。朝成は伊尹がまだ若く、家柄もよいのだから、これからも機会はあろうが、自分はこれが最後の機会だから譲ってくれと頼み込んだ。伊尹はこれを承知するが、結局、蔵人頭には伊尹がなった。朝成は生霊となって祟りをなし、摂政になって程ない伊尹を殺し、その子たちにも祟りをなしたという。なお、記録上両者が官職を競合したとする証拠は無く、伊尹は朝成よりも先に亡くなっている[5]

[編集] 系譜

[編集] 官歴

※日付=旧暦

[編集] 脚注

  1. ^ 伊尹より先に参議に任じられていた源雅信小野好古源重信藤原朝成の4名。
  2. ^ 『大鏡』第三巻18段
  3. ^ a b 『大鏡』第三巻17段
  4. ^ 『勅撰作者部類』
  5. ^ 『大鏡』第三巻26段

[編集] 関連項目


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