朱雀天皇
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| 朱雀天皇 | |
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| 第61代天皇 | |
| 元号 | 延長 承平 天慶 |
| 先代 | 醍醐天皇 |
| 次代 | 村上天皇 |
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| 誕生 | 923年9月7日 |
| 崩御 | 952年9月6日 |
| 陵所 | 醍醐陵 |
| 父親 | 醍醐天皇 |
| 母親 | 藤原穏子 |
| 女御 | 煕子女王 藤原慶子 |
| 子女 | 昌子内親王(冷泉天皇中宮) |
| 皇居 | 大内裏 |
朱雀天皇(すざくてんのう、延長元年7月24日(923年9月7日) - 天暦6年8月15日(952年9月6日)、在位:延長8年11月22日(930年12月14日) - 天慶9年4月13日(946年5月16日))は第61代天皇。諱は寛明(ゆたあきら)。
目次 |
[編集] 系譜
第60代醍醐天皇の第十一皇子。母は藤原基経の娘、中宮藤原穏子。
[編集] 系図
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(60)醍醐天皇 |
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(61)朱雀天皇 |
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広平親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(62)村上天皇 |
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(63)冷泉天皇 |
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(65)花山天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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兼明親王 |
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致平親王 |
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(67)三条天皇 |
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敦明親王(小一条院) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(源)高明 |
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為平親王 |
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禎子内親王 (後三条母、陽明門院) |
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(64)円融天皇 |
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(66)一条天皇 |
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(68)後一条天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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昭平親王 |
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(69)後朱雀天皇 |
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(70)後冷泉天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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具平親王 |
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(源)師房 〔村上源氏へ〕 |
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(71)後三条天皇 |
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[編集] 略歴
延長4年(926年)、東宮となる。立太子の背景には、兄保明親王とその子慶頼王の二代にわたる東宮の夭折があり、母后穏子は怨霊を恐れて、幾重にも張られた几帳の中で寛明親王を育てたという。延長8年(930年)醍醐天皇の崩御を受け同年9月の践祚後、11月に8歳で即位。政治は、伯父忠平が摂関として取り仕切っていた。
治世中の承平5年(935年)2月、平将門が関東で反乱を起こし、次いで翌年には瀬戸内海で藤原純友が乱を起こした。(承平・天慶の乱)
懐柔策を試みたがうまくいかず、天慶3年(940年)、藤原忠文を征東大将軍に任命して将門征伐軍を送り、藤原秀郷の手により将門は討たれた。翌年には橘遠保により藤原純友が討たれ、乱はようやく収束した。
治世中はこのほかにも富士山の噴火や地震・洪水などの災害・変異が多く、また皇子女に恵まれなかったこともあってか、朱雀天皇は早々と同母弟成明親王(後の村上天皇)に譲位し、仁和寺に入った。しかしその後、後悔して復位の祈祷をしたともいう。天暦6年(952年)に出家して、その年に30歳で崩御。
[編集] 后妃・皇子女
[編集] 諡号・追号・異名
譲位後、朱雀院を「後院」としたため、「朱雀院」と追号。
[編集] 在位中の元号
[編集] 陵墓・霊廟
御陵は京都市伏見区醍醐陵東裏町にある醍醐陵(だいごのみささぎ)で、北西にある父帝醍醐天皇の山科陵から遠くない。醍醐天皇陵が上ノ御陵、朱雀天皇陵が下ノ御陵と呼ばれていた。
[編集] 関連項目
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