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一条 冬良(いちじょう ふゆよし/ふゆら)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿。太政大臣・一条兼良の二十三男。官位は従一位・太政大臣。一条家10代当主。号は後妙華寺。
文明4年(1472年)応仁の乱のため、避難していた奈良で元服。正五位下に叙される。兄・教房が土佐国にあり、また、教房の嫡男・政房が摂津国福原で横死したため、教房の養嗣子となり家督を継ぐ。
文明9年(1477年)兼良と共に帰京する。長享2年(1488年)関白・内大臣となり、延徳4年(1492年)1月6日、従一位となる。明応2年(1493年)には太政大臣に任ぜられる。同年関白を辞任したが明応6年(1497年)再度関白職に復帰した。跡継ぎが居なかったため、兄・教房の孫の房通を婿養子にして家を継がせた。永正11年(1514年)3月27日薨去。享年51。
父・兼良の影響を受け、学問に熱心で古今和歌集の講義を行ったり、新撰菟玖波集の編纂に尽力した。
- 父:一条兼良
- 母:町顕郷の娘・南御方
- 妻:二条政嗣の娘
- 生母不明の子女
- 養子
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