源重之

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源重之(狩野安信『三十六歌仙額』)

源 重之(みなもと の しげゆき、生年未詳 - 長保2年(1000年)頃?)は、平安時代中期の歌人清和天皇皇子貞元親王の子である従五位下源兼信の子。子に有数・為清・為業・宗親[1]・源重之女がいた。伯父の参議源兼忠養子官位従五位下筑前権守三十六歌仙の一人。

経歴[編集]

冷泉天皇皇太子であった頃に帯刀先生(たちはきせんじょう)、967年康保4年)村上天皇崩御し、冷泉天皇即位すると左右の近衛将監となり、11月に従五位下叙爵するが、その後976年貞元元年)相模権守を皮切りに、日向など地方の微官に任ぜられるが官職には恵まれなかった。995年長徳元年)以後、陸奥守藤原実方に従って陸奥国に下向し、その地で没したという。享年は60余。

和歌[編集]

拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に68首が入集。家集『重之集』に見える『重之百首』は、百首歌の中で最も古いものである。旅の歌や不遇を嘆く歌が多い。

宮崎県高鍋町の東方にあった老松を見て詠んだ彼の歌「しら浪のよりくる糸ををにすげて 風にしらぶることひきの松」の歌碑がある。現在、地区住民の手によって保護管理されている。

  • 小倉百人一首
    • 48番 風をいたみ 岩うつ波の 己のみ くだけて物を 思ふころかな(「詞花和歌集」恋上210)

脚注[編集]

  1. ^ 重之集

関連項目[編集]