オットー・フォン・ゲーリケ

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オットー・フォン・ゲーリケ
Anselmus von Hulle (1601-1674) による彫版
人物情報
生誕 1602年11月20日
マクデブルク
死没 1686年5月11日(83歳没)
ハンブルク
国籍 ドイツの旗 ドイツ
学問
研究分野 物理学者政治家
主な業績 真空の研究
プロジェクト:人物伝
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オットー・フォン・ゲーリケOtto von Guericke、元の綴りはGericke。ユリウス暦1602年11月20日 - 1686年5月11日グレゴリオ暦1602年11月30日 - 1686年5月21日)は、ドイツ科学者発明家政治家。特に真空の研究で知られている。

経歴[編集]

ドイツマクデブルクの貴族の家に生まれた。1646年から1676年までドイツマクデブルク市長を務め、三十年戦争マクデブルクの戦いで壊滅状態に陥ったマクデブルクの復興に力を尽くした。

空気圧と真空[編集]

L'electrisée: 静電気発生装置(1750年ごろの版画)

1650年、任意の容器に接続でき、シリンダーとピストンでその容器内の空気を排気する真空ポンプを発明し、真空の特性の研究に使った。ゲーリケは気圧の力についての実験を公開している。直径51cmの製の半球状容器(マクデブルクの半球)を2つ組み合わせ、その内部の空気を真空ポンプで排気する。2つの半球それぞれに8頭の馬をつなぎ、両方から引っ張らせ、それでも2つの半球が離れないという実験である。中に再び空気を入れると、半球は簡単に離れた。1663年にはベルリンのブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの前で、24頭の馬を使った同じ実験を披露している。

このような実験は、アリストテレスが「自然は真空を嫌う」と述べたことによる「真空嫌悪」説(つまり、真空という状態は作れないとする仮説)への反証となり、長年の哲学者および科学者の議論に終止符が打たれた。ゲーリケはまた、真空が物体をひきつけるのではなく、周辺の流体が物体に対して圧力をかけていることを証明した。

その他の研究[編集]

ゲーリケはまた気圧計を用いた天気の予想も行い、それが気象学の先駆けとなった。晩年は電気の研究に注力したが、その成果はほとんど現存していない。世界初の静電発電機(摩擦起電機) "Elektrisiermaschine" を発明した。左の版画はその一種を描いたものである(1750年ごろ)。

1686年、ハンブルクで死去。オットー・フォン・ゲーリケ大学マクデブルク はゲーリケの名を冠している。

参考文献[編集]

いずれもドイツ語

  • Matthias Puhle: Die Welt im leeren Raum. Otto von Guericke 1602 - 1686. Deutscher Kunstverlag (Ausstellungskatalog, 1. Aufl.), Berlin & München 2002; ISBN 3-422-06374-9
  • Schneider, Ditmar: Otto von Guericke. Ein Leben für die Alte Stadt Magdeburg. 2004, ISBN 3-519-25153-1
  • Otto von Guericke, Neue 'Magdeburgische' Versuche über den leeren Raum Reihe Ostwalds Klassiker, Bd. 59: Übersetzung von Guerickes "Experimenta nova Magdeburgica de vacuo spatio", 1672. (Magdeburger Halbkugeln) 1996, ISBN 3-8171-3059-7
  • Otto von Guericke: Otto-von-Guericke-Gesamtausgabe. Stekovics, Halle a. d. Saale 2005; ISBN 3-89923-089-2; Bd.II/2/3/1: Otto von Guericke: Relationes Derer dem herren Bürgermeister Otto von Guericken, wegen gemeiner Stadt Magdeburgk, 18. Jahr nach ein ander, uffgetragenen undt anvertraueten 17 unterschiedenen, mehrentheils gar langwirigen, Verschickungen (1642 bis 1660). Translit. von Ditmar Schneider, Lat. Übers. Rudolf Engelhardt.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]