山鹿流
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山鹿流(やまがりゅう)は、山鹿素行によって著された兵学(兵法)の流派。
諸藩でも普及しており、肥前国平戸藩では山鹿素行の一族の山鹿平馬が家老に、素行の次男である藤助が兵法師範に採用されて山鹿流が伝来している。
長州藩では吉田松陰が相続した吉田家は代々山鹿流師範家であり、松陰も藩主毛利敬親の前で「武教全書」戦法偏三の講義を行っている。実の叔父にあたる玉木文之進も山鹿流兵学に明るかった。(萩市史第一巻)。
また、筑後国柳河藩でも山鹿流兵法師範がおり、文久年間に柳河藩士卒が山鹿流に編成されている。
[編集] 山鹿流陣太鼓
山鹿流といえば、歌舞伎・人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』のなかで、赤穂四十七士の吉良邸討ち入りを指揮する大星由良助が合図に叩いた「山鹿流陣太鼓」が有名だが、実際には山鹿流の陣太鼓というものは存在せず、物語の中の創作。