ラファイエット夫人
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マリー=マドレーヌ・ピオシュ・ド・ラ・ヴェルニュ=ラファイエット夫人(Marie-Madeleine Pioche de La Vergne, comtesse de La Fayette、1634年3月18日(洗礼日) - 1693年5月25日)、いわゆる、ラファイエット夫人(Madame de La Fayette)は、フランスの女流作家。
生涯 [編集]
1634年にパリに下級貴族の家庭で生まれ、若くしてギリシャ語、ラテン語、イタリア語などを学んだ。少女時代から摂政母后アンヌ・ドートリッシュに仕え、サロンの花形となった。1655年、ラファイエット伯爵と結婚。オーヴェルニュの領地に暮らすが、1660年ごろには夫婦仲は疎遠になっていた。シャイヨのサント・マリー修道院にいる2人の妹達を度々訪ねるうちに、亡命中のチャールズ1世の未亡人であったヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスと末娘の王女ヘンリエッタ・アンの知遇を得た。ラファイエット夫人は下級貴族の出身に過ぎなかったが、10歳年下のヘンリエッタと深い友情で結ばれ、その友情は生涯変わらず、ヘンリエッタ・アンの最期も看取った。セヴィニエ夫人とも交流があった。義兄ルイ14世とヘンリエッタの不倫を擁護するために、小説を刊行する。『クレーヴの奥方』などの作品を残し、1693年に死去。
著書・伝記 [編集]
- 『クレーヴの奥方』 3篇とも生島遼一訳で、岩波文庫。
- 『モンパンシエ公爵夫人』
- 『タンド伯爵夫人』
- 『実像クレーヴの奥方 <ヴァロワ宮延の華>アンヌ・デストの生涯』
- ヴァランティーヌ・ポワザ 萩原茂久訳 彩流社 1995年