富士川

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富士川
富士川 2005年12月24日撮影
東海道新幹線車内より上流方向
水系 一級水系 富士川
種別 一級河川
延長 128 km
水源の標高 2,685 m
平均流量 63.2 /s
(清水端観測所 2000年)
流域面積 3,990 km²
水源 鋸岳(山梨県)
河口合流先) 駿河湾(静岡県)
流域 長野県山梨県静岡県

富士川(ふじかわ)は、長野県山梨県及び静岡県を流れる河川一級水系富士川の本流であり日本三大急流の一つに数えられている。

甲斐駿河を結ぶ要路であり、人々の暮らしに密着してきた。JR身延線列車の愛称に「ふじかわ」が使われていることにもそれは伺われる。

目次

[編集] 地理

南アルプス北部、山梨県と長野県の県境に位置する鋸岳のこぎりだけ)に源を発し、上流部では北杜市まで長野・山梨両県の県境を成す。北杜市から山梨県域に入って甲府盆地を南流。笛吹川との合流点までは釜無川かまなしがわ)と称される。釜無川の名前の由来には諸説あり、上流の「釜無山」にちなむというものや、「水量が豊富で流れが速いため、釜を洗おうとするとすぐに流されて無くなってしまうから」という伝承に近いものなどが挙げられる。その中でも有力視されているのが、絶え間なく流れる様子を表した「クマナシ隈無し)」に由来しているというものである。市川三郷町増穂町の町境で笛吹川と合流、ここから富士川の名で呼ばれる。さらにそのまま南流し、途中早川、更に下って静岡県に入ると芝川などの支流を合わせ、雁堤の南で東海道と交差し、富士市静岡市清水区との境で駿河湾に注ぐ。

[編集] 呼び方

正式には「ふじわ」と濁らない発音であり、新幹線富士川橋など橋付近のに掲げられている国土交通省の看板など、国土交通省の発行の記述は「ふじわ」と記載されている。また流域の静岡県、山梨県では「ふじわ」と呼ばれ、これは静岡における4音の川で、2音目が濁るもの(安倍川、地名の芝川町など)で共通のルールであるが、多くの日本人が「ふじわ」と発音している。

辞書での呼び名はまちまちで、講談社の日本語大辞典、三省堂大辞林では「ふじわ」と記載されている一方、小学館の日本語大辞典、岩波書店広辞苑では「ふじわ」と表記されている。 他、NHKのアナウンサーは「ふじわ」と発音をする。

「ふじわ」と発言される理由として、1180年に源頼朝と平維盛が戦った富士川の戦いを、「ふじわのたたかい」として歴史の教科書に紹介されていることや、信濃川利根川のように、他の地域ではむしろ濁る方が大きい川[要出典]とされている。

ちなみに、流域の静岡県富士川町は正式に「ふじわちょう」と発音する。

[編集] 歴史

[編集] 富士川の戦い(1180年

詳細は富士川の戦いを参照

1180年に源頼朝平維盛が戦った合戦。治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役の1つである。

石橋山の戦いで敗れた源頼朝は安房国で再挙し、進軍しながら東国武士がこれに参集して大軍に膨れ上がり鎌倉に入る。頼朝は駿河国で、都から派遣された平維盛率いる追討軍と戦い勝利し、関東での割拠を確立させた。

岩本山からみた富士川と雁堤
岩本山からみた富士川と雁堤

[編集] 雁堤の工事(1674年

詳細は雁堤を参照

江戸時代の始めまで、いくつもの支流をつくりながら、富士市の東(現在の田子の浦)の方へ曲がっており、川沿いにあたる富士市は度重なる洪水による災害が多発していたが、1674年に古郡重高・重政・重年の父子三代が50年以上の月日を費やし、富士川の流れそのものを直線となる現在の場所に変え、洪水が多発していた場所に遊水地としての機能も持つ2.7kmに及ぶ大堤防「雁堤」を建設された。

[編集] 富士川水運

富士川は急流で難所も多かったが、内陸の甲斐南部と駿河との交通路として、駿州往還とともに古くから水運が利用された。

江戸時代1602年駿河国甲斐国(現在の増穂町鰍沢町)との間に富士川渡船が開始されたという。江戸期には甲斐が幕府直轄の天領であったため、慶長12年(1607年)の角倉了以らによる開削事業により運行の安全が確保されて、江戸への廻米輸送を中心に水運が発達した。寛永年間には鰍沢河岸 ・黒沢河岸・青柳河岸が設置されて山梨・八代・巨摩三郡からの廻米輸送が行われ、後に信濃南部の諏訪・松本からの廻送も行われるようになった。河岸には代官所や米倉が置かれ、沿岸の町や村には多くの船着場があり、現在でもその名残をとどめる屋号などがみられる。廻送された廻米は駿河国岩渕(現在の静岡県庵原郡富士川町)の河岸で陸揚げされ、清水港へ集められた後大型船で江戸へ廻送された。また、上荷にはや海産物など内陸の甲斐で産しない商品を中心に輸送が行われ、身延詣の旅人にも利用された。

明治時代(1868年)になると廻米輸送が無くなり衰退するが、三河岸の商人による起業で明治7年には富士川運輸会社が設立され、発展した。中央線の敷設により陸上輸送が可能になると再び水運は衰退し、大正11年(1922年)には富士川運輸会社も解散。富士身延鉄道(現在のJR東海身延線)の全通(1928年)とともにその役目を終えた。

釜無川 開国橋上から八ヶ岳を望む
釜無川 開国橋上から八ヶ岳を望む

[編集] 流域の自治体

長野県
諏訪郡富士見町
山梨県
北杜市韮崎市甲斐市南アルプス市中巨摩郡昭和町中央市西八代郡市川三郷町(ここまでが釜無川)
南巨摩郡増穂町鰍沢町、南巨摩郡身延町南部町
静岡県
富士郡芝川町庵原郡富士川町富士宮市富士市静岡市清水区

[編集] 主な支流

括弧内は流域の自治体

[編集] 並行する交通

[編集] 鉄道

[編集] 道路

[編集] その他

静岡県では、電気の供給について、富士川を境に東側が東京電力の営業地区(50ヘルツ)、西側が中部電力の営業地区(60ヘルツ)となり、周波数が異なる。また、静岡県を3分割あるいは4分割する際には東部と中部を富士川を境にして分割する。

[編集] 外部リンク