王夫之

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王夫之
王夫之

王夫之(おうふうし、万暦47年(1619年)-康熙31年(1692年))は、末から初にかけての思想家・儒学者。字は而農。号は薑齋・一瓢道人・船山先生。

経歴[編集]

湖南省衡陽県出身。14歳で生員となり、崇禎15年(1642年)、『春秋』の成績優秀により武昌の郷試に兄とともに及第する。ところが、翌年の会試は途中の農民反乱のために北京に辿りつくことができず、そのまま崇禎17年(1644年)の李自成による明の滅亡を迎えた。その後、清軍が南進するや、永暦2年/順治5年(1648年)、反清挙兵を計画するが失敗して敗走、南明永暦帝の下で明朝再興活動に身を投じる。ところが、権力者の[[]]に睨まれて処刑されかけて衡陽に逃れ、更に清の追及を受けて各地を転々、晩年になってようやく衡陽近郊の石船山に腰を据えて「明朝の遺民」として生涯を送った。

貧困と逃亡の日々の間にも学問著述に努め、四書五経を始め老荘思想仏教などにも幅広い知識を有した。特に『春秋』の研究に優れ、『春秋家説』『春秋稗疏』『春秋世論』『続春秋左氏伝博議』などの著作を著している。他にも『資治通鑑』を論じた『読通鑑論』やそれに続く宋代について論じた『宋論』、南明政権の歴史書である『永暦実録』などが知られている。

明王朝が民衆反乱と夷狄(清)侵攻によって滅んだことから、強い華夷思想と身分秩序の確立の必要性を表し、陽明学――特に李贄の思想を激しく批判した。その一方で尚古主義を批判して、中華民族を復興して新しい政治を確立する必要を唱えた。そのために強力過ぎる皇帝権力を抑えて郡県制を軸とした分権制度を確立し、豪農の土地兼併や商人の営利活動を規制して、中小の自営農民を保護する体制確立を求めた。その思想は清末の反清民族活動にも影響を与えた。

参考文献[編集]

  • 後藤基巳「王夫之」(『アジア歴史事典 2』(平凡社、1984年))
  • 佐藤錬太郎「王夫之」(『歴史学事典 5 歴史家とその作品』(弘文堂、1997年) ISBN 978-4-335-21035-8