顧炎武

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顧炎武

顧 炎武(こ えんぶ、ピン音:Gù Yánwŭ、万暦41年(1613年) - 康熙21年(1682年))は中国末、初の儒学者。明の滅亡に際して反清運動に参加した。経学や歴史学の研究の傍ら経世致用の実学を説き、考証学正統派の始祖とされる。

事績[編集]

顧炎武は元の名を絳、字を忠清という。清代になって炎武という名に改め、字は寧人、号は亭林とした。江蘇省崑山の出身である。明末の東林党の流れを引き継ぐ政治結社復社に参加していた。 1644年李自成によって明が滅び、清が中国本土に侵入してくると郷里の子弟を組織して義勇軍を結成して清朝支配に抵抗して、各地を流浪しては反清の活動に積極的に携わっていた。

各地を流浪するにあたり、一緒に共する馬に書物を満載しながら文献と照らし合わせた実地調査を行い、地理や歴史の研究に勤しんだ。経学訓詁学金石学などにも精通していた彼は陽明学を批判、実証学的な研究を行い世間に有益な経世致用の学を追究した。晩年は陝西省華陰に居を構え、清朝の招聘を断り続けた。

その著書と思想[編集]

顧炎武は清代考証学の浙西学派の祖と称される。しかし清初三大師といわれる黄宗羲王夫之(船山)と同じように反清復明運動に携わっていた経歴は、現実社会に対する批判という性格を帯びてその学問にもあらわれている。

代表的著作といわれる『日知録』は一見すると随筆を寄せ集めた文集である。しかしその論ずるところは多岐にわたり、中でも歴史に関する箇所は明代の政治経済や社会について鋭い見解を示しており、そのまま現実に対する批判と提議へとつながっている。そして各項目とも事実についてただ論じ批評するのではなく、十分な考証を行った上でその議論を行っている。もっともその書が世間に公開されたのは彼の没後であり、清代の考証学者たちは彼の実証主義的な手法を専ら採り入れることとなる。

この他、中国の各地方の地学、特徴、軍事などのあらゆる点を論じた『天下郡国利病書』や漢字の音韻学について述べた『音学五書』などの著書がある。

関連書籍[編集]

関連項目[編集]