蒲松齢
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蒲 松齢(ほ しょうれい、Pu Songling、1640年6月5日 ‐ 1715年2月25日)、字は留仙または剣臣、号は柳泉居士。清代の作家。聊斎先生と呼ばれた。
[編集] 概要
山東省淄川の地元の名家に生まれたが、父親の蒲槃の代には家業が没落し始めていた。また妾の子として生まれた蒲松齢は家の中でも地位が低かった。19歳の時に童試を受け、県試・府試・道試にすべて首席合格して秀才となった。しかしその後の科挙にはことごとく落第し、46歳になって初めて廩膳生(奨学生)に選ばれ、71歳の時にやっと貢生の名誉を与えられた。蒲松齢はわずかな土地を持ち、生涯教師や幕僚などを務め糊口した。
1671年、同郷の孫蕙の幕僚となって江蘇省宝応県に行き、その後孫蕙に随行して高郵に赴き、翌年に帰郷した。その後畢氏の家塾の教師となり、40年近く務め、71歳の時に家に帰った。1715年、不遇のうちに生涯を閉じた。
蒲松齢は20歳から小説の執筆を始め、同時に話の素材の収集を行っていた。鄒濤の『三借廬筆談』によると彼は茶とパイプを傍ら置いて大通りに座し、道を通った者をひき止めては語らって奇異な事柄を収集し、気に入るものがあればそれを粉飾して文にしたという(ただし魯迅はこの話を疑っている)。こうして40歳の時には12巻・490余篇に及ぶ志怪小説『聊斎志異』が完成された。聊斎志異の完成後も蒲松齢は同郷の王士禎の協力を得て文章の改易を続け、死の直前まで行っていた。聊斎志異は蒲松齡の死後刊行された。
王士禎は蒲松齡を奇才として高く評価し、『聊斎志異』の序文を書いている。『聊斎志異』は王士禎が評価したことで評判が高まり、広く流布するようになった。手稿は後半部は失われたものの、前半部は現存し遼寧図書館に収蔵されている。これは中国の古典小説の中で唯一現存している手稿である。蒲松齡この他に詩、詞、散文、俚曲を多数創作しており、白話小説『醒世姻縁伝』の作者西周生は蒲松齡の筆名だといわれている。
[編集] 著作
- 聊斎志異
- 醒世姻縁伝
- 晴雲山房詩文集
- 紅椒山房筆記
- 雑説
- 片雲詩話
- 省身録
- 懐刑録
- 日用俗字
- 歴字文
- 聊斎詞
- 聊斎白話韻文


