マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ

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8歳のマルガリータ・テレサ王女、ディエゴ・ベラスケス
父フェリペ4世の喪に服すマルガリータ・テレサ王女、フアン・バウティスタ・マルティネス・デ・マーソ
舞台衣装を纏うマルガリータ・テレサ皇后、ヤン・トマス・ファン・イーぺレン画、1667年

マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ西Margarita Teresa de España, 1651年7月12日マドリード - 1673年3月12日ウィーン)は、スペインフェリペ4世の娘で、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の最初の皇后。ドイツ語名はマルガリータ・テレーザ・フォン・シュパーニエンMargarita Theresa von Spanien)。フランスルイ14世マリア・テレサは異母姉、スペイン・ハプスブルク朝最後の王カルロス2世は同母弟である。

生涯[編集]

フェリペ4世とその2番目の妻で神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の娘であるマリアナ(マリア・アンナ)の間の第1子、長女として生まれた。両親は実の伯父と姪の間柄で、マリアナは6人の子供を産んだが、成育したのはマルガリータと末息子のカルロスだけだった。

マルガリータは父王の大のお気に入りで、フェリペ4世は手紙の中でマルガリータを「私の喜び」と呼び、ディエゴ・ベラスケスらの宮廷画家たちに彼女の肖像画を多く描かせた。マルガリータには弟のカルロスとは違い、スペイン・ハプスブルク家オーストリア・ハプスブルク家との間で幾重にも結ばれてきた近親結婚の悪影響は見られなかった。

マルガリータは長い結婚交渉の末、両ハプスブルク家の間の伝統的な政略結婚に則り、1666年復活祭の日に母親の実弟で11歳年上の神聖ローマ皇帝レオポルト1世と代理結婚式を挙げた。同年12月、15歳の花嫁マルガリータがウィーンに輿入れすると、両人そろっての正式な結婚式が盛大に執り行われた。真冬に行われた皇帝の結婚式の祝賀ムードは、春先の四旬節にいたるまで続いた。

結婚式に際しては、作曲家アントニオ・チェスティによるオペラ『黄金の林檎』(Il pomo d'oro)が上演されたが、これはアルプス以北で行われた最初のオペラ公演だったと言われている。レオポルト1世はこのオペラ上演のために、ホーフブルク宮殿の隣に自分専用の劇場を築かせた。9時間の上演時間と、そのために費やされた10万グルデンもの出費は、長い間ヨーロッパ中の語り草となった。このオペラの一部の台本は、音楽好きな皇帝が新妻のために自分で執筆したものであった。

マルガリータは夫である皇帝を「叔父上さま」(Onkel)と呼び、皇帝は妻をドイツ語の愛称で「グレートル」(Gretl)と呼んでいた。2人の縁組は長く計画されていたものであり、スペイン宮廷は「お見合い」の代わりに、ベラスケスに描かせたマルガリータの3点の肖像画をウィーン宮廷に送っている。それぞれマルガリータが3歳、5歳、8歳の時の肖像であるが、これらの絵画は現在はウィーンの美術史美術館に所蔵されている。

マルガリータは非常に信心深い女性で、自分が何度も流産するのはユダヤ人が近くにいるせいだと考え、皇帝を説き伏せてウィーンからユダヤ人を追放している。また彼女は、夫と音楽に対する関心を共有していた。結婚生活は幸福で、皇帝夫妻は6年間の結婚生活で6人の子供を授かったが、成育したのは娘のマリア・アントニア(1669年 - 1692年)だけであった。またマルガリータは非常に華奢で、幼い頃から甲状腺腫に苦しんでいた。

マルガリータがスペインから連れてきた随員の打ち解けない態度や傲慢さのせいで、ウィーン宮廷には反スペイン感情が高まり、その悪感情はそのままうら若いマルガリータに向けられた。廷臣達は病弱なマルガリータが死の床に就くと、臆面もなく彼女がいなくなることを喜び、レオポルト1世の再婚相手探しに乗り出すという有り様だった。こうした宮廷人たちの心無い振る舞いに苦しんでいたマルガリータは、第6子を出産した直後に死去した。21歳で亡くなるまでに多くの妊娠を経験し、体がすっかり弱っていたのだった。

1673年、マルガリータの死の翌年に、レオポルト1世は同族(オーストリア・ハプスブルク家のチロル系の分枝)のクラウディア・フェリーツィタス大公女と再婚した。

レオポルト1世はマルガリータとの結婚により、潜在的なスペイン王位請求権を獲得したと見なされていた。一方、フランス王ルイ14世もまたマルガリータの異母姉マリア・テレサとの結婚を通じて、同様の権利を主張していた。1698年、スペイン王カルロス2世は、同母姉マルガリータのただ一人の孫であるバイエルン選帝侯世子ヨーゼフ・フェルディナントを王位継承者に指名したが、ヨーゼフ・フェルディナントは翌1699年に7歳で夭折した。レオポルト1世とルイ14世が次なるスペイン王位継承者をめぐって互いに譲歩しない姿勢を通したことから、スペイン継承戦争が勃発することになる。

子女[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Helga Widorn: Die spanischen Gemahlinnen der Kaiser Maximilian II., Ferdinand III. und Leopold I. Dissertation, Wien 1959
  • Brigitte Hamann: Die Habsburger – Ein biographisches Lexikon. Ueberreuter Verlag, Wien 1988
  • Irmgard Smidt-Dörrenberg: Margarita Maria. Des Velázquez lieblichstes Modell. Bergland-Verlag, Wien 1966
  • Konrad Kramar: Petra Stuiber: Die schrulligen Habsburger – Marotten und Allüren eines Kaiserhauses. Ueberreuter Verlag, Wien 1999, ISBN 3-8000-3742-4
  • Gigi Beutler: Die Kaisergruft. Wien 1998

外部リンク[編集]